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最短最速で

得られるものってどんなものがあるんだろう。

いろんなもの分かり易くなっている。
「分かったつもり」になり易くなっている、とも言えるかもしれない。

でも、「何が」?

私は「価値」だと思う。

変わりたい。からこそ、価値のあるものを見つけそうになる。

でも、価値のありそうなものって何?


価値って言葉の起源を探してみた。

今の意味になったのはどうやら、中世のヨーロッパ18世紀ごろのこと。

「金」が「良い」と捉えられるようになって、「損得勘定の観点から都合が良さそう」なものを「価値のあるもの」として捉えるような風潮になったみたい。

いろんな背景があるのが歴史だから、これが歴史、と呼ばれるものかも短絡的には捉えたくないけれど、ただ。
この「損得勘定」が「価値」に結びつけられる感覚は、なんとなくしっくりきてしまうのは私だけだろうか。

そうなると、

「この人は価値がある」「こいつはなぁ。価値がないから」
と他者に向けて価値を見る言葉。

あるいは

「自分なんて価値がない」
って自分に向けてつぶやく言葉。

いろんな文脈があるけれど、今の世の中、初めて聞くフレーズではない。

こうやってしれっと、なんとなく、言ってしまう、聞き流してしまうような言葉。

私はこういうところが時々ぞっときてしまう。

価値を「損得勘定の観点から都合が良さそう」という意味で、もしも定義するのであれば、人とか命に対してこれを使うということは、「自分の感覚で」命すらも損か得か、を軽く言えてしまう。恐ろしいことだ。

行き過ぎた考えかもしれない。

でも、こういうことをいちいち考えていきたいと思う。


言葉が人をつくるから。

人は他者だけじゃない。自分のことも。

最短最速で、いろんなものを見てしまうと、ちょっとした瞬間で、
でも見逃しちゃいけないものすらも、かっ飛ばしていってしまうことがある。

「変わりたい」

その思いは大事にして。

でも、その道のりが安易で楽なものであることをあえて選ばずに。

どんな逆境があっても、それすらも面白がれる、余白を。

私はそこに、人間くささがあって、その人たらしめるものになって、そして、それがその人の信念であり、美学になると思うのです。

そのエネルギーだけが私は本物だと思いたいのです。

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