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祖父の軍隊生活

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わたしの祖父が晩年(平成25年)に綴った、戦時中の祖父の体験をまとめた冊子が見つかりました。 それをテキストに起こして、マガジンにまとめました。 このマガジンでは、少年時代か…
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【軍隊生活の思い出 -1話-】少年時代~入隊

ひっこしの準備で片付けをしていたら、今は亡きわたしの祖父(父方)が晩年に綴った、軍隊生活の思い出を記録した手作りの冊子が出てきました。 この冊子、平成25年に御年92歳の祖父が綴ったものを、パソコンでテキストに起こして冊子にしたものです。 戦時中における当事者の鮮明な記憶が綴られていました。 祖父もまさか人生の一番濃い時期の記憶を、孫にnoteで公開されるとは思ってなかったと思いますが、その貴重な体験談を、以下の6話に分けて綴りたいと思います。 この記事はその第1話に

【軍隊生活の思い出 -2話-】入隊一年目

入隊一年目初日 連隊へ着くと、営庭では式場が出来ています。 テーブルの上には紅白の餅と、りんごが待っていました。 部隊長から挨拶があり、それぞれ中隊の係から各班に部屋に連れて行かれ、いろいろ説明がありました。 短時間に全ての説明があるので、中々一遍ではわかりませんが、それでは済まないのが軍隊であります。 一日目はこれで終わりました。九時に消燈ラッパが鳴ります。 ♪初年兵は、可哀想だね、又、寝て泣くのかねー♪ そして夜が明けると、今度は起床ラッパが元気よく鳴りま

【軍隊生活の思い出 -3話-】入隊二年目

入隊二年目教育隊 昭和十七年、いよいよ入隊二年になりました。 毎日、訓練の休憩の度に、教官から下士官の試験を受けるように勧められました。 受験した結果、運よく合格しました。 まもなく教育隊に入隊し、初年兵以上に厳しい訓練が始まります。 入隊一週間目の夜、点呼が終わると同時に、班付けの軍曹が「待て」と大声を出します。 「今晩、教育隊最初の気合を入れてやるから、一歩間隔に開いて歯をくいしばれ」 と言います。 背の低い方から、コブシであごをなぐり始めます。 私は大

【軍隊生活の思い出 -4話-】出征

出征門司港 昭和十六年十二月に日本は宣戦布告をしているので、いつ何時、何が起こるか分からない状況でした。 大矢野原(熊本県内にある演習場)での実弾演習が終了した頃、いよいよ動員の命令があり、新しい部隊が編成されました。 我々は豪北派遣 一一九六二部隊 吉瀬大隊 武内中隊納小隊 第一分隊で、私は第一分隊長を命ぜられました。 いよいよ出征の準備です。 もうその頃はスパイがいるので、夕方を待って熊本駅へ行きました。 駅は厳重な警戒で、周りが暗くなるのを待ってから列車が

【軍隊生活の思い出 -5話-】終戦

終戦ジョホールバルに駐留 そのうち、部隊の異動の命令が下りました。 今迄渡って来た島を、後戻りです。戦況が変わったのだろうと想像しますが、我々には何も分かりません。 丁度、南方の雨期で、毎日決まった様にスコールがやって来ます。 この雨の中を毎日四十キロ、十五日間休みなく行軍し、六百キロ歩きました。若いと言う事でしょう。 やがてシンガポールの北端、ジョホールバルに着くと、ここで約一か月の駐留です。 ここは初戦で日本軍が激戦を繰り広げた地で、丘にはものすごい数の墓標

【軍隊生活の思い出 -最終話-】復員

復員名古屋港 そのうち年も明けて五月となり、いよいよ復員の日が近くなりました。 おそらく二十日頃、米軍の大きな船が来ていました。どの位の人数であったか分かりませんが、いっぱい詰み込んでレンバン島を出航しました。 約一週間で鹿児島の桜島が見えました。皆、甲板に出て 「万歳、万歳」 といったものでした。 そのまま北上して名古屋港に着くと、多くの米兵が待っていて、一人一人頭から白い粉を振りかけ、消毒をして下船させられました。 近くの宿に入り、その夜は戦友達と最後の別