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ライター入門、校正入門、ずっと入門。vol.17

「校正・校閲の仕事を専門とするプロフェッショナル集団」聚珍社の中嶋泰と、フリーライターの張江浩司が多種多様なゲストお迎えしつつ、「書くこと、読んでもらうこと」について話していくトークイベントの模様をダイジェストでお届けします。


タワマンに引っ越すほどの怪談ブーム

張江 司会の張江です。ライターをやっております。

中嶋 このイベントを主催しています、校正を専門としています株式会社聚珍社の中嶋です。

一色 プログレッシブアイドルXOXO EXTREMEの一色萌です。よろしくお願いします!

張江 今回は校正にとってかなり難敵というか、そもそも校正することができるのかという、怪談がテーマです。ではゲストをお呼びします。どうぞ!

高田 青森県弘前市からリモートで失礼します、高田と申します。

張江 高田さんとは2回くらいしかお会いしたことないんですけど、怪談に限らず音楽とかお笑いとかジャンルレスに見識がおありなので、めちゃくちゃ話が弾んだんですよね。「やっぱりジャンルは横断してなんぼですよね」と。

高田 そうですね、「張江さんは俺か?」という親近感がありましたね。

張江 一色さんは怪談お好きなんですよね?

一色 すごいマニアというわけではないんですけど、YouTubeで怪談の動画を見るのは大好きで。高田さんの出ている動画もいくつか拝見しました。

中嶋 怪談がそんなに流行っているなんて全然知らなかったです。

張江 中嶋さんは口裂け女とかのリアルタイム世代ですか?

中嶋 そうそう、テレ朝の「水曜スペシャル」でやってましたし。小学生のとき、家の近所に稲川淳二さんの家が建ったんですよ。なにも起こってないのに、みんなで怖がってました(笑)。

張江 怪談に触れるタイミングってありますよね。僕は「学校の怪談」世代で。一色さんは?

一色 私は「ほん怖」(ほんとにあった怖い話)世代だと思います。「アンビリバボー」もよく見てましたね。

張江 高田さんは?

高田 私は1978年生まれなんで、「あなたの知らない世界」とか。小学生のころがオカルトブームだったんですよ。TVで心霊の特番がよくやってましたね。再現ドラマあり、心霊写真ありで。エンタメの一分野として相当メジャーだったんです。

張江 いつの時代も怖いコンテンツってありますよね。漫画もそうだし、Jホラーだってあるし。それが今はYouTubeになってる。

一色 アイドルの子たちが楽屋で怪談の話めっちゃしてますよ。都市伝説とか怪談のYouTubeを見てる子はすごく多いです。

高田 コロナ禍以降の流行り方はすごいですね。それ以前は知る人ぞ知るものだったのが、どんどん広まっていって、今はYouTubeを中心に動いている金額がえげつない。誰とは言わないけど、怪談オカルト関係のYouTubeやってる人がタワマンに引っ越してましたから。

一色 すごい!

高田 イベントの配信チケットも何千枚売れたとか。そういうのを聞くと、オカルトとか怪談にも夢ありますよね。企業の協賛もつくし。

張江 コロナ禍のステイホームがきっかけで怪談師の数が倍になったと聞きました。

高田 倍どころじゃないですね。

張江 怪談が配信に向いていたということですか?

高田 そうですね。怪談は目的が決まってるんですよ。基本は「怖い」。ちょっと味わい深い視点になると「不思議」。怖くはないけど聞いたことがないものは「驚き」。そのどれかを感じられればもう100点というのが実話怪談です。元々はニコ生やねとらじなどで好事家が配信してたんですよね。そのころはすごく人気のある人でも同時視聴で300人くらい。100人超えたらたいそうなもの。そこからお金につながることはほとんどなかったです。時々オフ会に近い有料イベントをやるくらいですかね。でも、とある怪談関係の人が言うには、昔の怪談愛好家の熱がすごくて、スナックやクラブでの集まりに平気で1万円払ったり、面白かったら追加でおひねりもくれたそうです。会社の重役さんがシークレットで怪談会を開いたりもしてたらしいですね。

張江 落語家さんがお座敷に呼ばれて芸をやるみたいな感じですね。

高田 まさにそんな感じで。でも、それはあくまでも個人的な体験で、SNSで広まったりはしなかった。

張江 それが今になって一気に開かれたと。

高田 序盤のうちに話した方がいいかと思うんですけど、今のブームは、正確には怪談YouTuberブームなんですよ。

一色 料理系YouTuberさんがたくさんいるように、怪談、オカルト関係のYouTuberさんが流行ってるというか。

高田 そうです。料理系YouTuberが増えても、料理ブームとは言わないですよね。やっぱりYouTubeと怪談の組み合わせが目新しいのかなと。私の怪談の書籍は、2010年代の中盤に比べて発行部数が3分の1になってます。

張江 怪談ブームよりも出版不況の方が強いという。

高田 だから、このブームと自分は全然関係ないと思ってやってます。怪談をしゃべるイベントに呼ばれたりすることは増えましたけどね。

張江 それこそアイドルみたいに推しの怪談師がいて、その人のYouTubeを観たりイベントに足繁く通ったりはするけど、それ以外の本とか映画を深掘りしているわけではないというか。

高田 アイドル化はすごいですね。出待ちとか2ショット撮るとか、どのイベントでもありますよ。

張江 シーズン1で大坪ケムタさんがゲストのときに「これからはライターも顔を出してキャラクター化しないといけない」という話になりましたけど、それに通じる話ですね。

高田 でも、そもそもブームっていつか終わる前提じゃないですか。その人気がずっと続くなら、文化という言葉を使いますよね。そういう意味では、怪談はすでに文化として定着してるので。

怪談を校正できますか?

中嶋 話を聞いてると、怪談師という存在が落語家とか講談師に近づいてる感じがしますね。

一色 専門性が上がってますよね。

高田 なんだかよくわからない人たちが集まって怖い話をするイベントです。と言われても行きづらいですよね。怪談師という言葉があると、安心できるんです。

一色 怖い話にもいろいろあるけど、怪談が聞けるんだなという指標にもなってる気がします。危ない事故とかの話ではないだろうなっていう。

張江 紛争地帯で危ない目にあった話でもないだろうし。

高田 でも、怪談イベントってずっと幽霊の話をしてるわけでもなくて、実際に事故の話とか戦争の話をしてるのを横で聞いてたことありますよ。「怖い怪談をしましたよ」という肝さえ押さえておけば、他はけっこう自由度が高いんですよね。「今回はストイックに怪談しか話しません」というイベントもあります。

張江 高田さんが主催のイベントを観に行ったんですけど、ミュージシャンが怪談を語るという趣旨で。the band apartの原昌和さんの語り口が軽妙で、幽霊が出てくる怖い話なのにみんな笑ってるんですよね。不思議なグルーヴ感だなと。

高田 怪談師というのは、基本的に「俺は怪談が好きなんだよ」というノリだけでしゃべってるとも言える。さっきの話でいうと、落語家さんとの違いはそこで。厳しい修行を積んでなるものではない。原さんなんて、特にいるだけで面白い人ですから。いい意味でも悪い意味でも、プロとアマチュアの境目がすごく曖昧なんです。

張江 だからこれだけ増えたというのもありそうですね。

高田 そうですそうです、参入しやすいんですよ。爆発的に増えると、注目される人、されない人の差が生まれる。注目されない人は自然と消滅して、ある程度人間力のある人が残っていく。それが現状です。

張江 最近の怪談師の人たちを見ていると、昔のバンドマンを思い出すんですよ。今でこそ、ちゃんと就職もできそうなバンドマンが増えてますけど、一昔前まではみんな社会性がなかったじゃないですか。アイドルもそうでしたよね?

一色 「アイドル以外できないからやってます」ていう感じの人が多かったですね。

張江 でも、アイドルも最近はみなさんしっかりなさって。どんな仕事でもできるけど、アイドルが好きだから自ら選んでいる感じの人が増えましたよね。怪談師の方々は「この人、怪談がなかったらどうしてたんだろう」というのが多い。

一色 アイドルだ!(笑)

張江 それが高田さんの言う人間力につながるのかなと。普通の人は、なんか怖いことが起こりそうになったときに避けるじゃないですか。でも、怖そうな方に行くのが怪談師の人たちですよね。

中嶋 川を渡っちゃう人っていますよね。

張江 そうそう。謎のビデオテープを見つけたら、とりあえず再生しちゃう人たち(笑)。その一線を越える人たちが、昔ならバンドなりアイドルをやってたし、今は怪談師になっているというか。だから怖い話を持ってるバンドマンも多いのかなと。だんだんビジネスとして成立してくるといろんな人が入ってくるようになって、ビデオテープを再生しない方の人が増えるんですけど、まだ怪談師の世界には再生しちゃう人の方が多いんだろうなと思うんです。

高田 怪談イベントやってると、何か起きるのを待っちゃいますよね。急に電気消えないかな、とか。たまにあるんですよ。そういうアクシデントが恐怖度を高めますし。ぁみさんという、芸人さんから怪談師になった方を弘前に呼んでイベントやったことがあるんですよ。今はもうなくなっちゃったマグネットというライブハウスが会場で、ここは幽霊がでることで有名だったんですよ。その日は演出としてステージの後ろにお札とかを貼ってたんですけど、最後にぁみさんが「今日は皆さんお集まりいただきありがとうございました」と頭を下げた瞬間にお札がヒラヒラ〜と落ちてきて。

一色 おお……。

高田 現実的に考えたら、ステージ照明の熱でのりが剥がれたのかなとなりますけど、これは怪談イベントなんで、怪談的な体験になって「チケットお安く感じるわ」となるんですよね。

張江 その瞬間に立ち会えたわけですもんね。ビジネス的に傾いていくと、「この瞬間にお札が剥がれるように細工しましょう」ということにもなる。

高田 そうなっちゃうとつまらないんだけど、オカルト歴史の中では繰り返されてきたことでもあります。具体的には言えませんけど(笑)。

一色 見てる側は、仕込みかどうかわからなければ面白がっちゃいますよね。

高田 それに関しては、吉田悠軌さんという怪談・オカルト研究家の方が言ってるんですけど、「本当にあった怖い話です」というはじめ方をしている以上、「それは嘘だ」とは言えないと。実話怪談の「実話」の部分ですよね。でも、その真実性はなにが担保しているのかは曖昧ですよね。僕らはちゃんと取材して書いてるし、当事者の人を連れてこれることもあるけど、その人すら仕込みの可能性もある。それを校正できますか?という話にもなりますよね。

張江 まさにそれが、今回のテーマを怪談にした理由なんです!例えば、Aさんがある山に行って怖い体験をした、という話を校正するとしたら、Aさんが山に行ったかどうかをファクトチェックする必要があるのか、という。

中嶋 校正する立場から言うと、ある文章を読んだときにこれが一次情報なのか二次情報なのかを気にすることはありますね。一次情報は自分が実際に体験したり取材して得た情報。二次情報は、自分では行ってないけど行った人の話を聞いて、それを集めて得た情報です。信頼度は一次情報の方が上なんだけど、やっぱり時間やお金がかかりますよね。美味しいカレー屋さんがあったとして、食べログを見て「こういう味なんだ」というのは二次情報なんだけど、それはそれで貴重な情報ですし。二次情報は選び方次第になってくるんです。

一色 カレー屋さんには実際に行けるから一次情報を得ることはできますけど、怪談の場合は「怖い体験をするぞ!」ってわけにはいかないですよね。心霊スポットに行ったって、確実に何か起こるわけでもないし。そうなると、信憑性を求めすぎるのも酷だなって気がしてくるんですよね。

中嶋 高田さんは怪談作家さんということですが、実際にあった事件を元に怪談を書くときは現地に行って取材したりするんですか?

高田 そういったものは、怪談文芸の世界ではルポルタージュ怪談と呼ばれています。吉田悠軌さん、川奈まり子さん、住倉カオスさんが得意とされてますね。怪談を見つけたら、その土地に何があるのか、何か事件があったんじゃないのか、ということを古い新聞や文献を調べ上げて書くという。蛇が出てくる怪談なら、この辺りに蛇の伝承はないか?とか。でも、一つのジャンルになってるということは、それだけレアケースということでもあるんですよ。ほとんどの人はやってないし、私もやりたくない。労力がすごいですから。私が取材するものは、そこまでしなくても成立させられるなというものが多いというのもありますし。

伝言ゲームも怪談の一部

中嶋 稲川淳二さんは、地方が舞台の怪談をするときは、その土地の風向きも調べて話すと何かで読みました。家屋の作りとかも土地土地で違いますよね。そういうのもメモしてくると。

張江 その土地の風土というのは怪談に大きく作用しそうですよね。

高田 相当ありますね。怪談の書籍では、ご当地怪談がブームなんですよ。数年続いてますね。例えば「青森怪談」とタイトルについてると、青森で異常に売れるんです。それ以外の土地では全く売れないけど。ご当地怪談のいいところは、地元の人しか知らないような地名を説明なしで出せること。その方がリアリティがでますよね。でも、それも乱暴な話ではあるんですよ。「怪談恐山」という本を出したときに、恐山の近くに住んでる人から「あなたはなんで恐山をそんなに怖いように書くの?」とやんわり言われたことがあって。それ以来、極力地名を出さないようになりました。今でも土地に依存している怪談を書くときはナーバスになります。

一色 怪談作家さんならではの悩みかもしれないですね。怖い体験をして、それを話すとなったらそんな気を遣ってる余裕ないじゃないですか。「本当にあったんだもん!」っていう。

高田 それは本当に大きいテーマで。「本当にあったんだもん」で人を傷つけていいのかと。

張江 重要ですよね。怖い話は、基本的に悪いことが起こるので、それを「本当にあったんです」と前置きして書いたり話したりするときに、不都合を被る人が出てくる可能性がある。今までが怪談好きという限られたコミュニティの中で前提を共有しながら楽しんでいたものが、だんだん広がっていくと「うちの近所の評判を落とさないでくれ」みたいなことになっていく。あとは、本当かどうかだけに焦点があたっちゃったり。怪談師が稼いでると知ったら、「私が教えた体験談で稼いでるならお金ちょうだいよ」と言ってくる人もいるかもしれない。

高田 そういうトラブルに近いことは、もうけっこうあります。ある怪談作家にネタを提要した人が、急に「あれを書くのはやめてくれ」と。理由を聞いたら「親戚がYouTubeを始めることになったから、そこで話すから」と言われたそうで。でも、難しいですよね。話というのは誰のものなのか。

張江 著作権は記録物に対して発生するはずだから、口頭で伝えられたものに関してはどうなるんですかね。

一色 落語家さんは古典の噺を共有してるじゃないですか。「時そば」の内容はみんな知ってるけど、誰が話すかが重要ですよね。でも怪談はその人しか話さないことに価値がある気がします。

張江 怪談と怪談師が紐付いてる状態ですよね。

一色 そうそう、「この人のこの怪談」という感じだから、同じ話を違う人がしてたらパクった感じがしちゃう。

高田 怪談師は取材のプロという側面があるからですね。「この怪談は私のもの」と言いたくなるんですよ。

張江 他の怪談師さんの持ってる怪談を話すということはあるんですか?

高田 あんまりないですけど、私はむしろ率先してやりますね。怪談イベントには流れがあるわけですよ。その流れに沿った話をしていくのが一番いいので、そういう話を自分が持っていなければ「これは〇〇さんの話なんですけど」と前置きして話します。無理に自分の話をして、流れを悪く売る必要はないので。

張江 そこでさも自分の話のようにしちゃったらダメなわけですよね。

高田 それはよくないです。

張江 ちゃんと出典を明記しないと、盗用になってしまう。

高田 過去にはそういったことが問題になって、弁護士を通してのやり取りになった事例もありますね。

中嶋 取材した人が、他の怪談師にもしゃべってたということはないんですか?

高田 それは全然ありますね。それは一生懸命取材した結果だからしょうがないよねという。「ネタ元さん」という言葉をよく使うんですよ。「あの人は私のネタ元だから」みたいな。ネタ元さんは実際に幽霊が見える人だったり体験する人だったりしますね。私のネタ元さんの中には元々怖い話が好きで普段から集めてる人もいます。この人から話を聞くと、二次情報ということになりますね。私は二次情報でも三次情報でも、面白ければ書きます。人に伝わっていく過程で変容していく感じも込みで怪談だと思っているので。

張江 ある種の伝言ゲーム的な。

高田 そうです。それでも「本当にあった話なんだけど」という冠はつける。やっぱり実話怪談なので。

張江 提供者が「私が途中で盛った話です」とは言えない。

高田 それじゃあもう書けない(笑)。

怪談作家が悩む「怖い」との距離感

高田 そもそも、怪談を校正するとなると、お化けはファクトなのかという問題がありますよね。現在の医学では認められてないものだから。我々の言う「実話」は、ノンフィクションというか、プロレス的なファンタジーでもある。ちゃんと取材してる。そこはガチであると。

張江 0を1にはしていない。

高田 そう、ガチで取材してるけど、それがいわゆる真実かというと一次ソースを捕まえたとしてもわかりはしない。再現性もないし。そういう世界ではありますね。

中嶋 科学に基づいて校正したら「幽霊はいないので間違いです」で話が終わっちゃいますからね。

一色 例えば、お化けが出てくる小説を校正するときに、右側が壁になってる道を歩いている場面で「右から女が出てきた」と書いてあったら、それが左の間違いなのか、幽霊が壁から出てくる描写なのか、二通り考えられますよね。本当は指摘すべきだったのに、幽霊だと思って見落としちゃったり。

高田 実際にそういうことありましたよ。自衛官から聞いた話で、硫黄島の基地に船で向かったと。到着して、宿舎に行くまでに迷ってしまって困ってたら「海佐、こちらです」という声がどこからともなく聞こえてきて、そっちの方に行ったら宿舎があった、と。その自衛官はまだペーペーだったから、海佐と呼ばれてうれしかったというオチもついて。でも、他の自衛官にこの話をしたら「違うよ」というわけです。なにが違うのか聞いたら「船で降りる場所と宿舎の位置関係的に、そんなことにはならないです」と。でも、これを校正にかけたとして「高田さん、これは間違ってますよ」とはなりにくいと思うんです。怪談だから、そこにあまり注目しないというか。

張江 でも、地理を知ってる人からすれば引っかかりますよね。前提があり得ない話になっちゃうと、怖がれない。「全部嘘じゃん」となってしまう。

中嶋 怪談は本当が混ざってないと怖くないですよね。

張江 そういう部分を強固にするためにルポルタージュ怪談みたいなやり方があるんですよね。

高田 そうです、実話性が高まるほど怖いので。「今生きてる世界にある」という感触が怪談に生まれるんですよね。だから体験者本人が語る怪談は強いんですよ。

張江 高田さんの「絶怪」という本を読ませていただいたんですけど、最後に収録されている「ここに漂え」という話だけ「これは小説です」という書き出しなんです。

一色 他の話は「実話です」とリアリティを持たせてるのに?

張江 それが反転して、「創作です」と言われた方が怖くなるんですよ。

高田 「ここに漂え」という話は、間違いなく実話です。でも、お話の中で一人捕まってるんですよ。で、出所もしてる。その人は生活してるんで、それを実話として書くのはよくないですよ。すごくレアなことなんで、特定されることもある。なので、変えてる部分もあります。どこを変えてるかは教えません。小説として楽しんでくださいね、と。そうしないと書けなかったけど、書きたかったんですよ。売れる売れないとかよりも、この話に惹かれたのもあるし、「書いてほしい」という体験者の気持ちに応えたかったのもあるし。エピローグではそれを書いた自分というものを出して、それを読んでいるあなたというメタな三重構造にしました。

張江 今は怪談師、怪談語りのブームだけど、怪談作家たる高田さんの凄味ですよね。文章じゃないとできないことですよ。これを語ろうとしたらメタ構造が複雑すぎる。他にも一人語りになっていたり、第三者視点だったり、話によって文体が違うじゃないですか。高田さんの中に「この話はこうした方が怖い」というジャッジがあるんですよね?

高田 明確にありますね。取材してるときの私の体験込みで。基本的に、怪談というのは怪異が主役なんです。私はそれと同時に人間を描きたいので。ただ何が起こったかわかりやすくまとめることはしたくない。文学性というものを込めたいとは思ってます。

張江 怪談を取材したり書いたりしすぎて、何が怖いのかわからなくなっちゃうこともありますか?

高田 完全にその状態ですね。怖がりではあるんですよ。取材しながら怖すぎて涙目になったことも何回もあるし。でも、「怖い」というのは曖昧すぎるから、最終的に信じられるのは自分しかいないんです。

一色 自分が怖いと思っていない話をしても伝わらなさそうですよね。

高田 プレゼンするときに悩みますよ。「この話、俺は怖いと思ってるのかな」とか。

一色 そういう意味で、取材するって大事なのかもしれないですね。その人が怖いと思った話なわけだから。

高田 その人の「怖い」を尊重するということですから。でも、そこで私の邪魔をするのが文学性ですよ。その「怖い」を自分に一旦落とし込んで、何か持ち帰れるようなかたちにするにはどうすればいいのか考えちゃうと、怖いがわからなくなるんです。機械的に聞いた話をバンバンかける人はそこを悩まないですよね。

張江 俯瞰して見ちゃうと、体験者が感じた怖さからは距離ができちゃいますもんね。

高田 うん。でも、そうしないと表現できないものがあるんですよね。自分は物書きだっていう認識もあるし、最近気付いたのは怪談はモチーフでしかないなと。自分が表現したいことのモチーフとして実話怪談を取材して、それを料理してるというか。主観を入れないで取材した怖い話をそのまま書いてほしいという読者もいるんだけど、そもそも話を聞いて書いている時点で一次ソースからは離れるんですよ。実話を享受した気分になっているだけで、本当はできていない。自分が想像した時間しか流れていない。でも、その写実と離れたところにあるイメージに宿る生々しさには普遍性があるんだと思います。

実話怪談が持つ「ケア」

張江 怪談を取材するときに、かなり踏み込んで話を聞かなくちゃいけないこともあると思うんですよね。その人自身が忘れようとしていることだとか。その踏み込むバランスは難しくないですか?

高田 私もかなり突っ込んで聞くことがあります。話している人自身は関係ないと思っていることが、怪談に紐付いていたりする。長年の勘で、こっちを深掘りすると何か出そうだなってわかってくるんですよ。無闇に傷つけたり、人権侵害するようなことはしませんけど。

一色 取材の様子も見てみたいです。

高田 面白いと思いますよ。例えば、スナックにふらっと入ってはじめて会うお客さんと話すんです。初対面だから、あちらから話してくれることはないんで、こちらから徐々に怖い話をしていくんですね。そうするとだんだん何かを思い出して「そういえばこんなことがありました」って話してもらえるんです。それまでに1,2時間経ってるんで、もう酔っ払っちゃってるんですけど(笑)。「私、怖い話なんてありません」と言ってた人が2時間後に話す怪談がめちゃくちゃ怖いんですよ。最高の瞬間です。

張江 最初から「怖い話あります!」という人の話は怖くない、というのもよく聞きます。

高田 やっぱり、幽霊を信じてない人が話す怪談が一番怖いですね。取材で面白いのは、怖い話をしてると、「そういえば私も」と連鎖していくんですよ。恐怖というワードから、記憶が喚起されてるんですよね。「行間からみなさんの記憶を呼び起こしてくださいね」ということをやっているのが実話怪談なんです。

張江 思い当たる節、というか。自分の何かを思い出すから怖いんですよね。だから、海外の怖い話を聞いても、あまり怖くない。自分の記憶と共通点がないから。

中嶋 言葉も違いますしね。

張江 宗教観も違いますし。

高田 キリスト教圏の人たちは悪魔を怖がるけど、我々は幽霊が怖いものとして刷り込まれてるじゃないですか。幽霊というワードに反応して、みんな記憶を取り出してるんですよね。すごくロマンチックなことだと思う。

張江 記憶の蓋を開ける作業というか。「潮風を感じたら、あの人のことを思い出す」みたいなことと同じ作用が怪談にもあるんですね。

高田 まさにそうです。恐怖は原始時代からある感情なんですよ。恐怖心がないとみんな動物に食べられちゃうんで。いい感じに脳を刺激すると、すぐに出てきやすいんですよね。

張江 その思い出した怖さを吐き出さないと辛いのかもしれないですね。だから怖い話を聞いて思い出したら、言わずにはいられなくなる。

一色 「自分だけで抱えるのはもったいない、説明をつけてほしい」みたいな感じですかね。

高田 文筆家の柿内正午さんは「実話怪談はケアの領域だ」と言っていました。自分一人で抱え込んでいた、他人に言ったら変だと思われるかもしれない出来事を、怪談作家・怪談師が受け皿になって聞き出すわけです。そうすると、吐き出したときにカタルシスをわずかながらでも得られる。これは「あなたから見えた他人とは違う世界を私は認めますよ」ということで、これはケアの領域だと。私が取材したときも、話した後にスッキリしている人が多いですね。

張江 なるほど。怪談イベントの登壇者は、誰かの怖い話を聞いたときに、基本的に「怖いですね」と言うじゃないですか。「そんなの嘘だよ」とは言わない。ある種、肯定する場所として怪談イベントとかYouTubeが機能してるのかもしれないですね。

高田 内心では面白くないと思ってても表明しないです。「怪談師 下手」で検索してもほとんど出てこないですからね。みんな基本的に受け入れてます。

人権に無頓着な怪談ではいけない

高田 今一番怪談で危ないのは、誰かの人権を侵害するかもしれないということだと思ってて。人権を侵害された方が発信できる時代なので、ナーバスに考えるべきだなと。「お化けがやったことだからしょうがない」じゃすまないですよね。価値観もどんどん変わってるし。

張江 ちょっと前に高田さんがツイートされてましたけど、「親の因果が子に報い」みたいな古典的な怪談が、「親はこうあるべき」「子供はこうあるべき」という抑圧につながる可能性もあると。

高田 古臭い説教みたいになっちゃう。昔からの価値観を押し付けて、「バチが当たるから良く生きましょうね」というのは古いですよね。

張江 何にバチが当たるかは、偉い人が決めてることが多いですしね。

高田 その部分は、怪談はまだどこか無頓着なんですよ。このままではいけないとはすごく思っていて。「ここに漂え」という話も、20年前だったらそのまま実話として書いてたと思うんです。「だって本当にあったことだから」って。

張江 時代とともに高田さんの人権意識が高まったことで、小説として書くことになったわけですね。ミュージシャンで漫画家の劔樹人さんの本でも、夜中に子供の幽霊らしきものを見たという話について、「どうか幽霊であってほしい、実際に夜中に子供が一人で外にいたら虐待の可能性もあるから」と書いていました。そういう意識はすごく大切ですよね。真夜中に裸足でフラフラ歩いている女性がいたら、幽霊かもしれないけど、一方で精神疾患を持っている人かもしれないわけで。

高田 もっと根源的に考えると、知人から聞いた話なんですが、ある踏切で少女が亡くなったと。それから夜になると女性の影が見えるという噂が立つようになった。でもそれはその少女の母親だったんです。「ここにくれば娘に会えると思って」と。幽霊の存在を認めること自体が、誰かを傷付けることもあるというか。でも、怪談文化を人権意識でもって終わらせようというわけではないんです。悪しき問題があるという自覚を持ちながら、エンタメを提供していくにはどうすればいいのかと。

張江 「こんなこと不謹慎だからやめましょう」という考えがあって、その正反対には「怪談なんだからなんでもいいでしょ」がある。その両極の間のグラデーションの中でちょうどいいところを探そうよということですよね。それは人によっても違うだろうし、時代によっても変わるし。これだけ急激に怪談師が増えてるなら、自覚的な人が増えていけばいいよね、という。

中嶋 いろいろな書くことに携わる人に話を聞いてますけど、結構この話題に行き着きますよね。怪談も同じだというのは面白いです。この視点はなかった。

張江 全ての表現が無縁ではいられないということですよね。

高田 いいことですよ。いろんな人の小さな悲しみを無視せずに、その上で我々はどうエンタメを作るのかというね。

張江 そうですよね。ちょうどいい落とし所は必ずあるはずだから。

一色 その時代ごとにありますよね。

高田 そこに敏感じゃないとダメですね。怪談師だからって怪談ばっかり見てちゃダメなんですよ。

一色 視野を広く持たないといけない。

高田 こういうことを考えてる私たちこそが、本当に文化的な人間なんですよ。

張江 高田さんと私たちはもっと評価されていい!(笑)

高田 本当ですよ。なんで俺はこんなに金がないんだって話だから(笑)。

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