何考えてるか分からないと言われるひとの話
わたしは自分のことを話すのが苦手だ。
もちろん、近況とかそういう他愛のない自分のことなら話せるが、本心となると別。何が辛い、何が悲しい、何で寂しいなど弱音を吐くことが苦手。
小さいころ、いじめにあっていた時に泣きながら先生に伝えても、特に詳細も聞かず、はいはいと流されてなんの対処もなかったところから始まっているのかもしれない。思えば小さい頃はこちらが何か話しても大人には流されていた記憶しかない(それほど大したことないことばかり話してたのかもしれないけど)。
だから、言っても聞いてもらえないと思ったし、言う必要がないと思っていた。
自分の本心なんか伝えたところでどうにかなるわけじゃないし、そもそも誰も興味ないんじゃない?弱ってる話をしたところで相手が困るだけだし、だったら言わないほうがいいよね、と自分の中で完結させていた。
そうしたら「悩みがなさそうなひと」だとか「能天気なひと」のイメージがついて、そうじゃないんだけどなと思いつつそれがみんなから求められてる自分ならそうなるしかないかと思った。そうしていたら本心の伝え方が分からなくて、長くいる恋人にも「何を考えているか分からない」と言われるようになった。
そうして何年も経って、気づいたら心が壊れてた。
自分の中の不安を自分でどうにかすることに限界がきて、カウンセラーさんや上司にも話していたけど、人前だと明るく振る舞う癖が抜けなくて笑って話してしまったり大事な本心は結局隠してしまって、当たり前だけど解決に至るわけがなかった。
もう不安に対してどうしたらいいか分からなくて解決するには死ぬしかないと思った。
これはまずい状態で、なんらかの精神疾患の可能性があるのだと自分でも分かった。
その時、姉が精神疾患であった頃のことを思い出し、姉ならなんとか話を聞いてくれるかもしれないと連絡をした。それが、初めて心から家族を頼った瞬間だった。
なぜ弱っているのか、何が不安なのか、自分の話をゆっくりした。本心を話しても否定せず、「初めて話してくれた」と姉も嬉しそうだった。
聞けば、わたしは家族にも何を考えているか分からない存在だったらしい。伝えられてないんだからそりゃそうなんだけど、そう聞いた時は家族にさえ何考えてるか分からないと思われてるなんて、と自分を恥じた。
何考えてるか分からないひとは、ごく稀に本当に何も考えていないひともいるかもしれないが、大概はそうではない。伝え方を知らないだけだ。
今回初めて伝えられた勇気が、今後の人生を変えていく第一歩になることを祈っている。