螺旋の映像祭の為の往復書簡.7
これは写真家/美術家の本藤太郎と音楽家の宮田涼介が、2020.10/10に逗子市で行われる「螺旋の映像祭」に提出する作品を制作する為に行っている公開往復書簡です。
※前回はこちら
混沌、沸き立つ興奮に満ちた釜-或いは儀式について-
宮田 さま
日中はまだまだ暑いですが、夕方になると確かに秋風を感じられる様になりました。海から運ばれてくる潮の香りと、山から降りてくる土の匂いが、指先から昇る紫煙と程良く混ざり合って胸の高まりを感じています。(まあニコチンの作用でしょうが)
夏の事は憎んでいますが、耐え忍んだからこそこの幸福な感覚を得る事が出来るワケで、夏は夏で無くてはならない存在ですね。秋の訪れは久しく会えていなかった親密な人との再開に似ています。今年も庭で曼珠沙華が咲き始めました。
秋は夕暮れ。夕日の差して山の端いと近うなりたるに、からすの寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。まいて雁などの連ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入りはてて、風の音、虫のねなど、はたいふべきにあらず。 清少納言『枕草子』
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さて、「恐怖」の話でした。生き物が生き延びていく上で欠かすことの出来ない感情としての「恐怖」ですが、人類は備わっていた〈想像力-imagination-〉を駆使して「恐怖」を克服し、現在の繁栄にまで至っています。
そして「芸術」は狭義においても広義においても、人類の〈想像力-imagination-〉の賜物のひとつであり、我々が〈つくってしまう〉事もそれが否応無く駆動してしまうからですね。
ここまでは共通認識であるとして、私が気になったのは宮田さん個人に備わるパーソナルな〈恐怖〉の部分です。
〈つくってしまう〉という〈欲望〉と〈見られてはいけない〉という〈恐怖〉が同時に発生してしまうが為に、ある種の「禁じられた遊び」としての創作活動を長い事続けてきたという話は大変興味深いです。
見られてしまう事に怯えながらもおびただしい量の文章を所構わず書き続けた子ども時代の宮田さんのエネルギーは凄まじいものがありますね。
フロイトは意識と無意識を「エス(イド)」「自我」「超自我」に分けて考えましたが、宮田さんの創作モードは正に「エス(イド)」、つまりフロイトの説明だと「混沌、沸き立つ興奮に満ちた釜」ですね、この蓋がぶっ飛んだ状態なんだと思います。
正に宮田さんは歩く為に歩く様な、作る為に作ってしまうタイプの作家なんですね。
きっと噴出する〈想像力-imagination-〉との付き合い方には大変苦労してきたもんだと想像します。 しかし、それに加えてそこへ同じくらい強い自意識が働いて、成果物は隠される事になる。確かに〈評価〉される事が前提の図工は私も苦痛でしたね。
そんな宮田少年も大きくなり、社会と対峙せざるを得なくなり、きっと悩ましい存在でもあったであろう自身の「混沌、沸き立つ興奮に満ちた釜」を守る為に作品を発表する事になりました。とはいえ、大衆に対してではなく、あくまでも〈誰か〉へ向けて。
この感覚はなんだか〈祈り〉に似ていますね。
確かに、〈つくること〉は〈信じること〉であり、それはつまり〈祈ること〉なのかもしれません。
薄暗がりの中で何かに衝き動かされて、不安にも苛まれて、それでも来るべき〈誰か〉を信じて祈る様に作り続ける宮田少年の姿が一瞬見えた気がしました。
そしてその結果として〈自己陶酔〉を起こすというのはまるで原始的な宗教の儀式にも似ていますね。
正に祈りの人ですね。
そんな祈りの人が文章からアンビエント音楽に行き着いたのは自然な流れだと思います。今後絵画なんかもやってみてはどうですか?(無責任)
さて、私の場合はどうでしょうか。
私が写真を撮るのは「記録」をする為です。それは現在自分の網膜を通った光が脳に届けられ、処理され、「視覚」として認識されている映像が疑わしいからです。
つまり自分が疑わしいからです。
見たものをカメラで撮影し、そうして得られた映像を凝視する事によって少しでもそれが「かつて、そこに、あった」事を確認したいから写真を撮っています。
「写真はすべて存在証明書である。」というのはロラン・バルトの言葉ですが、私は日々後ろへ過ぎ去っていくイメージの存在証明をする為に撮影行為をしています。勿論、究極的にそれが不可能である事は自覚しながら。
“一枚一枚の写真はぼくの内的イメージの表出ではない。それは現実を指示する記号なのだ” 中平卓馬『現代芸術の疲弊』
スタンスは違うものの、私がしている事も結局は「祈ること」であり「儀式」の様なものでしたね。
書きながら、一瞬作品の姿が見えました。もう一踏ん張りですね。
ちょっと雑談タイムにしましょう。最近何か面白い作品ありました?あったら是非教えてください。
2020.9.17 自宅にて
本藤太郎
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P.S
この往復書簡や本番の記録などを全て終わった後にZINEにまとめませんか?
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次回はこちら
本藤太郎/Taro Motofuji a.k.a Yes.I feel sad.
逗子生まれ。日本大学藝術学部写真学科卒。カメラマンとして撮影現場を奔走する傍ら2016年より美術活動を開始。写真作品を中心に舞台やインスタレーション、楽曲や映像等を制作し国内外のアートフェアや地域アート等で発表している。 ZAFには2013年の「逗子メディアアートフェスティバル」の頃から雑用として関わっており、2017年には作家として参加。今日も眠い。
https://www.yesifeelsad.com/
https://www.instagram.com/taromotofuji/?hl=ja
宮田涼介
神奈川在住の音楽家。ピアノ楽曲や電子音響作品を中心に、国内外でアルバムを発売。また、カフェやWebコンテンツでのBGM制作、シンガーへの楽曲提供・編曲を行う。
http://ryosuke-miyata.com/
https://www.facebook.com/ryosuke.miyata.music/
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2020年10月10日(土)「螺旋の映像祭」開催!
逗子文化プラザ さざなみホールにて
https://note.com/zushi_art_film/n/n502ed347ee86
逗子アートフェスティバル公式ウェブサイト
https://zushi-art.com/
▼これまでの逗子アートフィルムの活動
逗子アートフィルム 沖啓介 現代美術オンライン特別講義
第1回「ウェットウェア、ドライウェア」
8月22日(土) 20:30~22:00
https://artfilm-oki1.peatix.com
第2回「アートが神経を持ったら」
8月29日(土) 20:00~21:30
https://artfilm-oki2.peatix.com
第3回「月は最古のテレビ」
9月5日(土)20:30~22:00
https://artfilm-oki3.peatix.com