手紙3_本藤から宮田へ
※前回------------
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メランコリック三十路
宮田さま
遅くなってしまいまして申し訳ありません。ちょっとこの場では言えない様なあれこれの対処で忙殺されておりました。餅は餅屋です。厄介事に巻き込まれたら弁護士や司法(行政)書士にさっさと相談するのが吉ですよ。そして三十路を迎えました。はぁ,
さて、お手紙の返事です。
前回までのやりとりで、西洋近代以降の文化体系としての〈芸術〉は一旦置いておき、身の回りをもう一度見渡し、言うなれば自由なクリエイションをしたいよねって話をしました。
宮田さんとしても、それに関して概ね理解と共感を示して頂き、大変ありがたいと思っています。
昨年のパフォーマンスについて、多くの方から「尖っていた」と評されたのは意外ではありました。多少肩肘張ったとはいえ、あの場で自分たちなりにやりたいことをやってみた結果が尖っていたのだとしたら光栄ですし、そう感じた方々にとって、きっとあれは「芸術」になっていたのでしょう。
昨年のパフォーマンス作品〈annulus/obscura〉は私にとって大きな手応えと反省を得た作品です。
先ずは反省点について。去年は自分達なりにやりたい事をやった結果、既視感のあるモチーフを〈それっぽく〉無邪気に切り貼りして散りばめてしまったなと反省しています。つまり、モチーフとメディアの必然性と切実さが弱かったと思っております。 これに関しては持病の手癖みたいなもので、何を扱ってもギリギリの所で感覚的にスマートに(差し障りなく)補正してしまうのです。個性と言ってしまえばそれまでなんですがね。もうちょっと一つ一つを掘り下げれば良かったなと思ってます。
とはいえ、個人的には、久しぶりに感覚的に制作出来たなとも思っています。なんと言うか音楽の様に、楽器を扱ってる時の脳を駆動させる事が出来た気がします。それはやはり音楽家との共作だという事が大きかったのかもしれません。(音楽作品が感覚だけに頼って制作されているという認識ではありません)
本当の「尖」はあれくらいのものではなかろう、と(笑)
そうですね。ですから、今年はもっとケレンと衝動を無視せずに制作出来たらと思っています。
写真に対するリアクションに対して
自分の生まれ育った逗子という街の風景を気の赴くままに撮影されたのだと思いますが、非常に本藤さんらしい観点というか、本藤さんの思う「逗子」とはこういうことなのか、と思わせるものがあります。僕は東京出身ですが、仮に生まれも育ちも逗子だったとして、こうした風景に心惹かれる感性を自分は持つことが出来ていただろうか…。 本藤さんは、逗子という街に漂う「哀愁」にカメラのレンズを向けているのだと思います。
哀愁と言うと出身者の皆さんには怒られそうですが、決してネガティブな印象を持っているわけではないんですね。
「哀愁」という素敵なリアクションを頂きました。ありがとうございます。 個人的にはあまり情緒的な事は意識していなくて、むしろ、写真機の前では万物は等価であるか?また、〈何か〉の写真ではなく、〈写真〉としか言い表す事の出来ない様なイメージ(image)は有り得るのか?と考えながら撮り歩きました。
その結果として、イメージを観た人の中から何かを引き出せればと思っています。
そんな中から宮田さんは「哀愁」を読み取ったんだと思います。いやはや写真映像はやっぱり面白いですねえ。
課題へのリアクション
本藤さんを「表現」という行為に突き動かす原動力は何なのでしょうか。 以前の書簡で、本藤さんが写真を撮る理由として「自分の目に映るものが疑わしい」と書いていたと思いますが、記憶の限りで最初にそう思った時期はいつだったのか、きっかけはあったのか。 芸術を志し、写真のみならず、音楽、インスタレーションなど様々な形で表現をされてきた中で、本藤さん自身をここまで駆り立ててきたものの正体は何だったと思いますか?
ラディカルな質問をありがとうございます。これは深淵ですね。見つめ返される程の深淵ですね。
結論から申し上げると、〈つくる〉という事が人間である事の証左であるような気がするからです。
どういうことでしょう。
私は幼い頃から自分が自分であるという事に対して疑問を抱き続けていました。
自分は自分なのか?だとしたらそれは何を持って証明され、維持されるのか?
子供の頃は特にそんな事を考えているうちに、自分の型取り(だと思っているもの)がある瞬間に抜き取られて、その中身がいつか抜け出てしまうんじゃないかという恐怖に苛まれていました。風呂の栓を抜いた時みたいに。
それ故、思春期頃からはバンドを組んで歌を歌ったり、様々な服や髪型やメイク等で装う事によって〈自分の型取り〉を舗装し、維持する事に躍起になりました。しかし、それでもメランコリックな影は濃くなるばかりです。
更に厄介な事に、ある時期からは〈え、じゃあ人間って何?〉と途方もない問いが眼前に立ちはだかるようになりました。(今もです)
そんな中の学部の3年頃、いつものように西美の常設でグダグダしてる時に、青いドレスを着た婦人の自画像の前でふと気がつきました。
〈手を動かす〉__ そうする事によって我々人類はここまで生き延びて、きっと〈人間〉になっている。 そして常に〈つくり続ける〉事によって連綿と続く歴史の中で互いにそれを確認し続けているんではないかと。
そんな事を思った時にストンと少し身体が軽くなるのを感じました。
私にとってつくる事(表現する事含)は、実はそんな素朴な実存の為であるという事が1つ宮田さんへの答えとしてお渡し出来ます。
また、最近こんな素晴らしいツイートを見かけました。
まったくその通りだなと思いました。 私にとっての〈つくること〉の代弁の様に思えたのでここでシェアしておきます。
私はつくる事によって自由に触れられる様な気がします。
うたについて
さて、ここからは今回の宮田さんへの問いかけです。
私も宮田さんも音楽を作る時に〈うた〉を用いませんよね。
私は今回モチーフとして〈音〉。もっと言えば〈うた〉や〈声〉というものを用いてみたいなと考えています。
どうしてか?
それはもう、おぼろげながら浮かんできたんです。〈うた〉というキーワードが...
すいません... 真面目な話もあります。
それは先日庭にガビチョウが遊びに来た時の事です。その鳥はもうこれ見よがしに囀るんですよね。〈歌っている〉と表現しても差し支えなさそうなくらいに。
とはいえ、鳥は鳥ですから〈歌を歌おう〉と思って声を出しているワケではない筈です。(本人に聞いたのではありませんが)
矢張り〈うた〉は人間のものであると私は思います。
私は今、〈うた〉が気になっています。
さて、音楽にとって〈歌/声〉というものは非常に強烈な存在です。
アンビエント作家である宮田さんにとって〈うた〉とはどんな存在なのでしょうか。また、我々が扱うとしたら、モチーフとしての〈うた_歌_詩_訴...etc〉にはどんなものが望まれるでしょうか。
ちなみに私が最後に歌った歌は、岩手の山奥の小さなスナックでの「勝手にしやがれ」です。歌謡曲ってのは強いですよね...
2021.6.16_2杯目のジンと頭痛とピースとジュリーと猫と共に
本藤太郎
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本藤太郎/Taro Motofuji a.k.a Yes.I feel sad.
逗子生まれ。日本大学藝術学部写真学科卒。カメラマンとして撮影現場を奔走する傍ら2016年より美術活動を開始。写真作品を中心に舞台やインスタレーション、楽曲や映像等を制作し国内外のアートフェアや地域アート等で発表している。 ZAFには2013年の「逗子メディアアートフェスティバル」の頃から雑用として関わっており、2017年には作家として参加。基本寝不足。
https://www.yesifeelsad.com/
https://www.instagram.com/taromotofuji/?hl=ja
宮田涼介
神奈川在住の音楽家。ピアノ楽曲や電子音響作品を中心に、国内外でアルバムを発売。また、カフェやWebコンテンツでのBGM制作、シンガーへの楽曲提供・編曲を行う。
http://ryosuke-miyata.com/
https://www.facebook.com/ryosuke.miyata.music/