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無常ではない現実に

音楽や映像に関わっていて幸せだと感じている自分を、
客観視してみると、それが分かりやすい無常なものであるから。

音は流れの中で、生まれては消え、映像も同様。
この固定しない、変化の中に、無常なものに何かを見出そうとする。
それを仕事に遊びにするのが、とても楽しいからではないかと推測する。

諸行無常とブッダが説くが、理屈ではわかっていても、
現実はそう思っていないのが人の常。

言葉は何かを固定させるツール。
言葉の前に、音(楽)ありき。
もしかしたら、踊り(動き)ありき。

脚本(プラン)があって、映像は作られるが、
言葉の前に、目の前に映るものがまずあって、
その変化し続ける現象に心が動かされる何かが、
残像のように残るのが、映像たること。
そこに心が動くのが、人のサガなのかもしれない。

無常は無ではない、残像はある。

人間関係、法律、社会…
この世は無常なくせに、無常ではないことで成り立っている矛盾。
その辺が苦の根っこ。

さて、この無常を悟ったとして、
どうにもならんのがこの世。
だって無常ではないのが現実なんだもん。
せいぜいお悩み解決のヒントぐらいに考えておくのが良いのかもしれない。

若い頃、川を流れをずっと見ているのが好きだった。
音楽や映像を見るのと同じだったのかもしれない。
出来るだけ固定(常)ではなく、変化(無常)の中にいて、
せめて残像という消えゆくものを感じて生きてゆきたい。

真実は無常であっても、現実は無常ではない。
このことだけは”常”に、思い返してゆきたいと、
病を知って、自身の身体の変化の中、そう思う。

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