見出し画像

BUMP OF CHICKENニューアルバム『Iris』についての感想・考察


★①イマ生きている僕たちに、届け!と願い続けるBUMPの楽曲たち


★②『Iris』の持つパワー、その構成
~BUMPのこの5年間を追体験できるかのような曲順~


※本記事は『Iris』についてのネタバレを含みます。未視聴の方や、まだ第三者の強めな感想を見たくないよ、という方はブラウザバックをしてもらえたらと思います。

※個人の感想になります。BUMP OF CHICKENのこれまでの活動などを、批評する意図などは、全くございません。願うのは、この『Iris』という素晴らしいアルバムが、楽曲たちが、必要としている誰かの耳に届いたらよいなと思うばかりです。個人の主観のため、解釈の不一致や、これまでの彼らの活動の理解不足な点もあるかと思いますが、ご容赦いただければ幸いです。

※【本記事】《》内の歌詞部分は、BUMP OF CHICKEN作詞作曲:藤原基央さんによるものです。

では、本文に参ります。








★①イマ生きている僕たちに、届け!と願い続けるBUMPの楽曲たち

以下、NHKの18祭の放送時において、BUMP OF CHICKENギター&ボーカル:藤原基央さん(以下、藤原さん)がお話しした原文です。

-『今現在、18歳世代当事者の人だけでなく、これから迎える人、かつてそうだった人、一人ひとりに、届くように歌おう。誰かの耳に届いたら、『窓の中から』は完成です。』

(18祭放送時の楽曲演奏直前の言葉より引用)

藤原さんは、ライブだったり、インタビューの時でも、いつも、上記のように表現します。

また、

『唄は、聴いてくれる人がいて初めて「唄」になれる』
『君の耳に届いた瞬間に、この唄は完成する。だからその耳に目がけて曲を作る』
『聴いてくれる君がいなかったら、俺が作った唄は、チラシと同じになるんだ。そのチラシを手に取って、拾って、見つけてくれた。唄にしてくれた。そのおかげで、BUMP OF CHICKENはBUMP OF CHICKENでいられたんだ』

このような表現もよくされます。何度でも、雑誌のインタビューでも言うし、ライブでもよく言ってくれます。僕はそれらの言葉を聞いて、とても嬉しいし、誇らしい気持ちにもなります。

でも、最近はこうも思うようになりました。
「聴いてくれる人がいる、耳がある。しかし、それができない人、どうにも聞けない人がいるという事実もあるのか。その場合、唄は唄になれないのだ」と。僕はこの年にして、そういう事実にようやく気が付きました。
これは、【音楽】という創作物の性質上、当たり前の現象なのかもしれませんが、とても寂しくて切ない事実だと感じました。

BUMPは今年、2024年の2月に、結成28周年の誕生日を迎えました。
とても長い年月です。

その膨大な年月を過ごす中で、藤原さんは、BUMPは、【聴いてくれる耳がどこか遠くへ行ってしまったこと、お別れしたこと。その中には、どうしようもないお別れもあったこと】を、経験しているのかもしれません。

その時の寂しさや、覚える無力感は、全く想像ができません。
物理的な経験としては、2020年からは[コロナ禍]に入り、長くライブができなかったこと、できたとしても、声だしが制限されていたこと、があるかと思います。

そんな5年間を過ごす中で、

あらためて、藤原さんは、BUMPは、

【ライブに足を運んでくれる人がいること】
【ライブで同じ時間を過ごすこと】
【ライブで一緒に歌うこと】
【ライブに行きたくても行けない「君」がいること】
【ライブに来てくれる、唄を聴いてくれる「君」は特定できない「君」である。その、決して掴むことができない「君」に向かって、唄い続けることのとてつもない難しさや、大きさ】

多くの別れ・別離も経験してきたからこそ、ライブに来てくれるあなたがいること、目が合うこと、ライブにこれなくても、自分たちの唄をポケットに入れてイヤホンで聴いてくれる人がいる、動けなくてもいいから、ただ聴いてくれるだけでいい、そばにいれるだけでいい。

かつて、『Stage of the ground』で唄った《君をかばって散った夢は 夜空の応援席で見てる》のように、もしかしたら演奏をするBUMPの視点では、どこかの瞬間でその応援席が見えているのかもしれません。

そんな気持ちがとめどなく溢れ出てくることが伝わってくるような、でもそれらがしっかりとテーマを持って、言語化された楽曲として個々に成立している。それが、今回のアルバム、という印象です。

いずれも、非常に切実な楽曲になっている、1曲1曲が膨大なエネルギーを伴って、生まれてきている。ただ、そのやり方は28年前から何も変わっておらず、1つの曲に向き合い続けた結果、まとまったので新しいアルバムになった。藤原さんも雑誌のインタビューで、『バカ正直な5年間のドキュメンタリー』と自身で評されているものができあがった結果であり、今のBUMP OF CHICKENなのだと思います。


★②『Iris』の持つパワー、その構成
~BUMPのこの5年間を追体験できるかのような曲順~


続いて、具体的な『Iris』の中身についてです。

上記で挙げた【別れ】、特に、【どうしようもない別れ】のピークは、おそらくですが、8曲目の『邂逅』で収束していき、発散されています。

それまでの1曲目→7曲目は、アルバムの語源となった《虹彩》のように、1曲1曲が独立したテーマを持ち、『邂逅』にて収束するように積み重なりながら奏でられています。

1曲目の『Sleep Walking Orchestra』で、リリース時にはなかったアレンジが加えられています。この電子音にも似た歌声《さあ今 鍵が廻る音 探し物が囁くよ 赤い血が巡る その全てで 見えない糸が解ける場所へ》は、8曲目の『邂逅』ラスト《そばにいて~(中略)必ずもう一度逢える》と、似たようなサウンドです。

順番前後で先に『邂逅』に触れますが、この電子音のようなサウンドは、BUMPの音楽が、消えないために、消えたくないという意思表示を行うこと/半永久的に歌い続けたいこと、を表現しているように解釈しています。ちょっとズレますが、ボーカロイド的な普遍的な存在に近づきたい、と楽曲が言っているようにも感じます。それを1曲目の『Sleep Walking Orchestra』の冒頭に持ってきた。

これがまず凄いです。『邂逅』のあのメロディと合わせることで、アルバムとして目指す方向性が一致すること、また、歌詞とも相まって、「始まりの合図」に聞こえます。もう少し勝手に解釈すると、「BUMPは探し物を探しに旅に出ている。それは、特定はできないけど、でもそこにいるかけがえのない「君」にむかって進む道。その目指す場所こそ、見えない糸が解ける場所。」と解釈しました。

また、「色」の解釈ですが、このアルバムは、曲の中でも外でも《赤》→《青》→《赤》→《青》のように、信号が明滅を繰り返す要素があります。ただ、単純に交互に色が点滅しているわけではないです。曲が「進もうとしている部分は青の要素」・「止まろう、止まりたい。振り返ろうとしている、灯・火・火傷・燃えて消える、などの部分は赤の要素」など。混在しているので、そんなに簡単に色分けもできませんが、解釈のためのひとつの手段として役立ちそうです。

特に前半が難しいです。『Sleep Walking Orchestra』は分かりやすく《赤》であり、『なないろ』は《青》ですが、3曲目『Gravity』~6曲目『クロノスタシス』までの色の解釈が難しい。7曲目『Flare』はタイトルから《赤》に見えるのですが、曲中で《今 世界のどこかで 青に変わった信号》が2フレーズもあり、混在しています。

2曲目の『なないろ』で、ストレートに『Iris』の語源となる虹彩を表現。《胸の奥 君がいる場所 ここでしか会えない瞳》など、別離と虹彩にも触れられています。歌詞が《キラキラ キラキラ 青く揺れる》ことや、虹の見える様子から、連想される色は《青》

3曲目の『Gravity』/4曲目の『SOUVENIR』/5曲目の『Small world』/6曲目『クロノスタシス』/7曲目『Flare』も、1曲ずつの持つエネルギーが膨大であり、うまく表現はできないなと諦めました。どれも何十回と聴いた曲ですが、アルバムでの構成的な要素での立ち位置となると、今の段階では、『邂逅』に収束するためのエネルギー源という文章にしかできずで、悔しいです。

『Gravity』は『Iris』で聴いた途端にボロ泣きしたし、『SOUVENIR』はライブでの楽しい思い出が蘇ったり曲の調子が大好きすぎる!!とかはパッと思うのですが、アルバムでの解釈となると難しい。。この辺は『Sphery Rendezvous』での生で聴いた時の自分に期待です。

後半8曲目、『邂逅』です。連想される色は、ジャケットからも想起させられる、《深い青》。とても幻想的な雰囲気です。《死ぬまで埋まらない心の穴が あなたのいない未来を生きろと そう謳う》。別離を迎えて、夢とも現実とも分からない感覚を往来しながら、それでも身体は、あなたのいなくなった世界でも生きなさいと言っている。生死の極限を表現しているようであり、この曲だけで本当は無限に考察しなければいけないのではないかと、アルバムで包括することが、単独で見ると非常に難しいです。ただ、前述の通り、『Sleep Walking Orchestra』と噛み合わせること・中盤の頭に持ってくることで、アルバムとして一つのピークになっていることが、ただただ凄いと思うばかりです。

それからの9曲目、『青の朔日』。

この『邂逅』→『青の朔日』の並びが凄まじい連携です。

《ならば私は戦える たとえこの耳で聴けないとしても》

があるように、この曲の《私》は《戦士》です。かつて、『リトルブレイバー』で《そして守るべき時が来たなら ほうら勇気のカケラも大きくなり ゆるぎないprideになるんだ するとどうだろう何も怖くないんだ》のフレーズは《これはきっと帰り道 夢の向こうに続く道 綻びた唄を纏えば 何も怖くない》と呼応しているように見えます。あの日、リトルブレイバーが守りたかった存在はいなくなってしまった帰り道なのかなと感じます。

《迷いを乗っけた爪先で 進め 進め 魂ごと》・《正しいかどうかなんて事よりも あなたのいる世界が笑って欲しい》・《間違いかどうかなんて事よりも あなたのいる世界が続いて欲しい》は、『今を繰り返す 臆病な爪と牙』を持った『ファイター』や、『Stage of the ground』で《迷いながら 間違いながら 歩いていく その姿が正しいんだ》と唄っていたあの時よりも、さらに切実です。思いの濃度や純度が、強烈に高まっている様子が伝わります。

ただ、あなたのいる世界がある、あったこと。それだけで十分。失っても進もうとしています。『邂逅』の後にこの曲が在ることで、その切実さや純度に拍車がかかっているようです。

10曲目、『strawberry』。9曲目の『青の朔日』から一転、赤いイチゴがタイトルになっています。《あまりにあなたを知らないから 側にいる今 時が止まってほしい》と、歌詞も一転、進もうとせず、止まってほしい・時間が先に進まないでほしいと、切実に願う唄になっています。

11曲目、『窓の中から』。一度発散されたエネルギーが、『青の朔日』•『strawberry』を経て、再度集約されるように、この曲が終盤に控えています。

藤原さんが雑誌のインタビューにて、『窓の中から』を、

-『大前提として、どの曲も等しく愛しております。全部、我が子だしね。それはもう大前提としてそうなんですけど、そんな中でも”窓の中から”という曲が、これまで活動してきたことの根底にあるものに近いところを書けた曲なんだなという自覚がありまして。』

『JAPAN 10月号より』

という、ある意味で到達した、とも言える表現で語っています。

『邂逅』で別離をして、『青の朔日』でそれでも何とか歩こうとした。
『strawberry』で、やっぱり歩けなくなった、止まってほしいと願った。

このアルバム構成で聴くと、《これからの世界は全部 ここからの続きだから 一人で多分大丈夫 昨日 明日 飛び越える声》と表現される部分の、本当は抱えているものすごく心細さを感じているんじゃないだろうか、それでも前に進もうとしているんだな、という見え方にも映ります。

改めて、この唄の完成度の高さ、満足感、何度聞いても名曲中の名曲です。この曲に出会えてよかった。ライブでアンコールを待つ時に、みんなで「らんらーららーらーヘイヘイヘーイ」って『supernova』を唄うように、「あーあーあー あーあーあー あーあーあー あーあーああ」ってこの曲を合唱できたら、めちゃくちゃエモ空間になりそうだなと妄想しています。

12曲目、『木漏れ日と一緒に』。

やっぱりダメだった、動けなくなった。

《死ぬまで刺さる鋼鉄の杭》は呪いのように、身体から抜けずに残っている

《仕事をやめない心臓》は動き続ける。『Sleep Walking Orchestra』で
《未だ響く心臓のドラム それしかないと囁くよ 疑いながら その全てで 信じた足が運んでくれる》と言ってくれた足は、もう動くか分からない。

『邂逅』で《死ぬまで埋まらない心の穴が あなたのいない未来を生きろと そう謳う》と唄った心臓は、もう何も喋らない。ただ、機能として、仕事をやめないだけ。何も語らないまま、曲が終わる。


約13秒。

『木漏れ日と一緒に』の、なんとも言えないLaLaLaが鳴り止んだ、約13秒後。

13曲目、『アカシア』。

まだ、なんの色も付いていない無色で透明な音色が、沈黙の中でこだまします。

《透明よりも綺麗な あの輝きを確かめにいこう
 そうやって始まったんだよ たまに忘れるほど強い理由》


《赤い血》

《なないろ》

《夕方のサイレン》

《街のどんな灯よりも》

《まんまるの月》

《青にかわった信号》

《凍えそうな太陽の下》

《青く 青く どこまでも》

《strawberry》

《火に焚べながら生きてきた》

《太陽を遮った街路樹》

ここまで、積み重ねた、様々な彩りの表現が、このメロディー、サウンドに帰結する。奇跡の瞬間が作られているように感じました。

アルバムを通して聴いた上でのラスト13曲目は、僕はこれ以上語れるモノではありません。

ひとつだけ、個人的に、最後にひとつだけ補足。
過去ライブのネタバレにもなりますが。

※以下、ホームシック衛星2024福岡day2のネタバレを含みます※







2024.4.7『ホームシック衛星2024』福岡day2のマリンメッセ福岡公演での話です。

藤原さんは、最後の最後のMCで、こう言いました。
※正確な書き起こしではありません。ご了承ください。

『音楽やっているとさ、楽しいことばかりじゃなくて、理由が必要になる時があるんだ。青空なのに、洞窟の中の暗黒の中にいる時があるんだよ。それはチャマだって、ヒデちゃんだって、ヒロだってそうで、暗黒になった時期がそれぞれあって、俺たち4人同時にそうなった時があって。
でもそんな時に、真っ暗闇になった時に、洞窟に差し込んでくる一筋の光のように、ダイヤモンドみたくしっかり光る存在があるんだよ。それが君で、そのダイヤモンド目がけて、俺たちが音楽やってるんだよ。真っ暗な時に、その光が灯台みたいに、こっちに来ればいいんだよって教えてくれるんだ。それが君なんだ』

2024.4.7マリンメッセ福岡day2 ホームシック衛星2024より

このことが頭にずーとあったので、僕はこの13曲目を聴いて、洞窟に差す光ってこのことだったのか、この光のことだったんだ、それをこのアルバムは、『Iris』は教えてくれたんだね。共有してくれたんだね。という気持ちになりました。

以上です。

ほんとに13曲目アカシアはえぐい!
天才のそれです。

1曲目~7曲目の、曲が単独で持つパワーとアルバムでのパワーの違いは、もっと聴いて勉強するのが課題です。

間違いなく言えることは、『Iris』が最高のアルバムということです。ずっと一緒に側にいて、歩いて、生きていきたいです。次の世代にも語り継いでいきたいです。

きっと、あの透き通った無色の音色が、この次の世代の誰かも、必ず助けてくれるから。

『Iris』ありがとう!!!!
『Sphery Rendezvous』楽しみ!!!!

ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。(終)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?