4年ぶりに東京へ行った話
約4年ぶりに東京へ行った。
朝9時半に品川駅に到着し浅草へ向かう。改札を出てすぐこちらへ!とでも言われているようなどでかい『京急線』の表示に沿って乗り継ぐ。
なんだこの赤々と太々しい『京急線』へのいざないは。
昔は二ヶ月に一度の割合で泊まり出張で来ていた東京だが、わたしが遠ざかっていた4年の間にこんなことに。
前はこんなものはなかった、と思う。どうだろわからんなあったかもしれん。もう自分の記憶力に自信がない。これがインバウンドというものか(違う)。
浅草への行き方はいろいろあるが品川から京急線に乗ればうまくいけば乗り換えなし、あっても泉岳寺駅で向かいのホームに停まっているやつに乗ればいいというこの行き方がいい。
乗り換えは極力避けたい。多少料金が割高になってでも一本で行けるならそっちを選ぶ。なぜなら膝に爆弾を抱えたババアだから。
おまけに今回わたしには行動を共にするパートナーがいた。
10年前馬喰町の鞄問屋さんの店先に並んでいたナイロン製のキャリーケース、パートナー。それまでどんなにかわいくオシャレなキャリーが売られていても毛嫌いして絶対手を出さなかったわたしが、あまりの荷物の多さと重さに背に腹は変えられぬと苦渋の決断で手に入れたパートナー。会計後に値札を剥がしたらその下から『PARTNER』というネームが出てきて、紺色のナイロン製と相まってあまりの窓際サラリーマン感に膝から崩れ落ちた2000円のパートナー。
そのパートナーが今回、旅のお供となっている。
前の晩、倉庫のすみっこで眠りについていたパートナーを引っ張り出し埃を払った。
久しぶりに見ると記憶していた以上にお爺サラリーマン感だった。
ほとばしる新橋臭。
それを持ってわたしは東京へ行く。
同じ日帰りなのに博多には連れていかずなぜ今回は同伴なのかというと、そりゃもうはっきりダサいから(言っちゃった)。初めて会う推しともだちのひとたちに(…ダサ…)と思われることだけは避けたかったから。
今回会うひとたちはわたしがある程度ダサいということをわかっているひとたちばかりなので全く気にしないであろう。おまけに今回パートナーには重大な任務が課せられている。
お土産だ。
若い頃はなかったこの『お土産を渡したい』という欲はなんだろう。
別に相手からのお土産が欲しいわけではなくとにかく渡したい。会うことが決まっているひとには渡さないと気が済まない。お返しなんぞいらない。
「あのお客さん、結構ですって何回言っても絶対お土産持ってきてくれるんだけどさぁ遠慮じゃなくてほんとに困るんだよねえ」
なんて言ってた20代の自分に言いたい。
そのお土産はそのおばちゃん自身のためのものなのだと。
湧き上がる、お土産を渡したい熱。
ということで、関東のひとにはコレやろと前の晩から決めていた赤福。
赤福と言えば伊勢の名物。一番東でも刈谷ハイウェイオアシスでしか買えないという赤福。傾けて持つとお餅が片方に寄ってしまうので『必ず平らにお持ちください』と注意書きがある赤福。いちばん小さくても8個入りの赤福。
それを7箱持っていく。
ひとつでもまあまあ重さがあってなおかつそれを真っ直ぐ持たないとダメ、という重要な任務を、今回のパートナーは担っていた。
朝一番のバスに乗り地下鉄に乗り換えて到着した名古屋駅で、赤福8個入りを7箱買った。重い。想像していた以上に重い。
でも大丈夫、わたしにはパートナーがいる。
あくまで赤福運搬用なのでここまで何も入っていないパートナーをこのためだけにガラガラと引っ張ってきたのだ。要領がいいのか悪いのか我ながら判断に苦しむ。
とりあえず改札を通り、待合のすみっこで空のパートナーに赤福7箱を押し込んだ。
ぴったり。これなら絶対に赤福は傾かない。ポニーテールは振り向かない。
8個×7箱、合計56個の赤福を詰め込んだパートナーとともにわたしは無事浅草に到着し、なんとか仕事をやっつけてまた浅草駅へ戻った。
赤福は2箱分減って40個になっていた。個数で数えるのやめろ。
おかしい。
パートナーと赤福の説明だけでこんなに長い。
続きます。
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