自己肯定感上げるのと承認欲求を満たすことの違いについて
一見同じような行為に見える場合もあるけど、ここを取り違えてると行き先が全然反対方向に行ってしまいます。
料理教室に習いに行く
という行動があるとします。これは自己肯定感を上げることなのか、それとも承認欲求を満たすことなのか。それを捉えるには動機がポイントになってきます。どうして?なぜ?習いに行くのか。
①スキルを磨きたい、上達したい、資格を取りたい
②家族や身近な人のために美味しいご飯を作りたい
③何となく、楽しそうだから
この3パターンの動機があるとして、最も自己肯定感を上げているのに近そうなのは、「③」だと思います。
他人の目が介在していると承認欲求
①はさらに動機の追求ができます。なぜそうしたいのか。それを探っていって、「人に褒められたい、認められたい」という他人の目が表れると、これは承認欲求となります。②も同様です。
③は動機に他人の目が表れておらず、自分の「楽しそう」という感情を捉えています。
ポイントは「幸せ、楽しい、ワクワクする」かどうか
自己肯定感を上げる事なのかどうかを判断するひとつのポイントは、自分がただそれをしているだけで、楽しい、幸せ、ワクワクするなどのポジティブな感情が表れるかということです。そこに他人の目が介在せず、純粋に自分だけでハッピーが完結されているかどうかで見極めることができます。
承認欲求=ダメ じゃない
ここで大事なことは、承認欲求を満たすことを否定しないことです。
自己肯定感を上げたいがために、承認欲求を悪者にしてしまいがになります。が、自己肯定感というあいまいなものを捉えるために、比較として承認欲求も大切なのです。だから、どちらも理解しておく。承認欲求を求めているなと感じながらその行動をしていれば全く問題ありません。
しかし、その上で付け加えたいのは、やはり承認欲求を満たすことだけでは本質的に自分が幸せで満たされる、という感覚には至らないと思っています。