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自己肯定感は高めるものではない説

「自己肯定感が高い」という言い回しがあります。それに伴って、「自己肯定感の高め方」というノウハウも存在しています。
今回のレポートはそこに注目して、そもそも自己肯定感は高めるものなのか?その必要はないのではないか?そんな思いをまとめてみたいと思います。

「自己肯定感」「高い」とサクッと検索しただけでも大量の情報を見つけることができます。あまり私はこのワードで検索したことがないので、正直驚いています。また、あわせて自己肯定感が低いという情報も同じように出てきました。
自己肯定感は自分が自分を肯定することです。自分で自分を認め、信頼することです。それは自分自身だけでしか完結できない世界です。それが高い、低いという概念が生じるのはなぜでしょうか?高低をつけられるのは相対的な関係性でなないと成り立ちません。つまり、高い低いと判断するために比較をする対象が必要だということです。
その比較対象は自分自身なのか?もしかしたら他人が介在しているのではないでしょうか?

さらに検索内容をを流し読みすると、
自己肯定感高い=良い
自己肯定感低い=悪い

という構図が浮き彫りになります。
良い悪いも相対的な関係です。他人と比較して良い悪いの区別をつけたり、良い悪いの判断を他人の評価に委ねたり。そんな状況が生じているように見えます。

これまでの記事で何度も書いていることですが、どんなことであっても他人の目が介在するとそれは承認欲求になってしまうのです。
高めるという目的を作ると、そうではない低い状態も生み出す。また、そもそも高い低いと比べるためには自分以外の存在が必要になる。

わたしが定義する自己肯定感は、vol.9にあるように、
 ・年齢、性別、身体の状態、家族、仕事の有無や内容、経済状況などに関わらず自分を受け容れる
 ・一切の過去にとらわれず、今という瞬間の自分を感じる
ということです。他人の介在はなく、また、このシンプルなことには高低や良い悪いもないと思っています。ゆえに高める必要もなく、ただ自己肯定感を持つ、それだけなのだと思います。


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