1人分の幸せ=アイデンティティの確立
30代に突入したのもあってかここ最近20代の頃の自分について考えることがある
僕が最近SNSで出すワードとして
1人分の幸せを20代の内に手にすることができた
というのを口にする。
これは本当に自分でも日々、それを感じていてDTMとラーメンさえ生活にあれば自分1人分の幸せを手にすることができる。
なんとも安上がりな男だなぁと思うし、シンプルでわかりやすい。
特にDTMに関してはこれを失ってしまうと本当に自分には何も残らない。
きっと20代でDTMに出会えていなかったらロクでもない男になっていたんじゃないかと思うとその世界線の自分を考えただけでゾッとする。
それくらい20代では時間もお金もエネルギーも注ぎ込んできたし、DTMが自分の人生を変えてくれたものだと言い切れる自信がある。
今となってはDTMで仕事ができているし、経歴も経験もそれなりに人に説明してもわかりやすいものが揃ってきたんじゃないかと思う。
まだまだ社会人としては未熟な部分はあるけれども間違いなくDTMが無ければ今の生活は成り立たない。
気が付けばDTMが自分の存在を証明するようなものになっている。
先ほど言っていた1人分の幸せというのは自分の存在を証明できるものが確立できた時に感じられるものではないかと思う
つまりアイデンティティの確立ができた時が1人分の幸せを確立できた時ということ
DTMが無ければzunx2は成り立たないし、名乗りたくもない
だからDTMは僕のアイデンティティということになる
●20代はアイデンティティの確立の一つのタイミング
アイデンティティの確立は特に20代が一つのタイミングだと思う
20代始めの頃は僕の周りには音楽がアイデンティティのバンド仲間達がいたが
今となってはほとんどが音楽を辞めてしまった。ライブハウスで会うことすらない。
たぶんこれは20代で現実を知った結果、別のアイデンティティへシフトしたんじゃないかと思う。
一つわかりやすい例としては結婚をして家庭を持つということ
家庭を自分のアイデンティティへとシフトしたということなのだと思う
すごく立派な存在証明だし、素敵なことだと思う
皆んなそれぞれ20代で現実を見た結果、自分なりのアイデンティティの確立をしていったのだろう
だから今となっては仲間たちが音楽を辞めるということに対しては悲観的にはならなくなった。
それ以上に自分が幸せだと感じられることが見つかったのだとしたら素晴らしいことだと思うし、心から背中を押せる。
●確立したアイデンティティを失うのは取り返しの付かないことになる
去年自分の友人で自分の好きな自営の仕事を辞めて店を閉めてまで会社員になろうとした人がいた。
最初話を聞いた時に僕は反射的に
店は閉めない方が良いんじゃないか?
と口にした。
会社員になった方が収入の安定性もあるし、社会的信用も自営と比べれば会社員の方が良い。
社会性を考えて結果だけを見ればその方が良いのは明白である。
反射的に友人にそう言ったのは今となってわかるのだけれども
自分で確立したアイデンティティを失うのは取り返しの付かないことになるんじゃないか?
ということを意味していたのだと思う
これは特に最近よく思うのだけれども直感で行動したことはその時はなぜそう思ったのかわからなくとも
いずれその直感で行動したことの意味がわかる時がくる
その意味が言語化できた時は成長している証なのだろう
自分がDTMを失ったとしたら一体何者になるんだろうか?本当に何者でもないならず者になる。
だから確立したアイデンティティを失うことは自分を失うことと同じくらいのものなのだと考える
●アイデンティティを守るタイミングで尖れなければ出る杭は打たれる
20代は特に社会の荒波に揉まれてたくさんの現実を知り、たくさんの影響を色んなものから受ける
考え方も変わりやすい年頃でもあるだろう。
いつまで金にもならないようなDTMなんてやってるんだよ
こういう言葉を20代の時には何度も言われたし、DTMを続けていると鼻で笑われるようなこともたくさんあった。
しかし自分にとってはDTMが存在を証明してくれるものなのだからそれを守り通せなければ今までの頑張りは全て無になってしまう気がして20代はとにかく尖り続けた。
アイデンティティがまだ確立できていない時は周りから理解されずに避難、否定されてもおかしくはない。
その精神的な孤独を耐えられるほど心から好きだと思えるならば好きなモノは守り続けるべきなのだろう
それがアイデンティティを守り、確立へと向かうための尖りなのであればむしろその刃は武器となり、余計なものを寄せ付けなくなる
きっとそれが出る杭は打たれなくなるということなのだと思う
だから尖るという時は自分で1人分の幸せと本気で向き合っているからこそ起きることなのだから悪いことではないと考える
むしろアイデンティティを守るべきタイミングで尖れなければ出る杭は打たれてしまっていずれ何が自分の幸せなのかを見失ってしまう
それがいわゆる取り返しの付かないことなのだから20代でそんな生き方をしてしまっては何者にもなれない未来が待っている
●確立したアイデンティティが幸せを呼び、溢れた分を誰かに
周りから見て世間一般的に考えればそれで良いのか?と言われることもあるだろう。
そんな時に自分1人分の幸せを胸を張って持つことができていると感じられているのであれば
思い切り尖ってこう思えば良いと思う
今も幸せだし、これからも自分はこのアイデンティティさえあれば幸せだ
僕の生活は明日が保証されていない。
何度も絶望したし、不安感や孤独感は付き纏う
それでも自分の存在を証明するもの、DTMと共に生きていく道を終わらせることはこれからもないだろう。
これを読んでくれている人にとってのアイデンティティは何だろうか?胸を張って言えるものがあるならば守り続けてほしいと思う
そして1人分の幸せを手にすることができたのならばこれからは溢れた分で誰かに幸せを感じてもらえるようになればさらに素晴らしい生活になっていくんじゃないかと未来をぼんやりと眺めている
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