ヒラタクワガタと私
留年生とかで遊ぶ会 Advent Calendar 2023の3日目(12/3)のための書き下ろし記事です
「ただいま」
小さな少年は今日も、落とすことに馴れてしまった小さな肩に虫取り網を背負って、やっとのように開けた重い玄関のドアを潜って帰ってきた。じゃりじゃりと容赦なく砂の入り込んだ靴を脱いで家へ上がる。母は台所で夕食の準備に忙しい。玉ねぎを切った匂いが漂ってきて目に染みる。今夜はカレーだ。
「ヒラタクワガタ、いた?」
母はルーを溶かしながら、少年にたずねる。答えは分かりきっている。それでも息子にそう問いかけるのは、母なりの優しさだったのだが、やせっぽちで背が低くて、それでいて日焼けだけは一丁前にしたこの少年には、そんな思いやりはまだちっとも理解できなかった。
「いなかった。」
ぶっきらぼうに答えた少年は、被っていた麦わら帽子を床に叩きつけるように脱ぎ捨てた。
埼玉県の北部に育った少年がヒラタクワガタに惹かれたのは、その姿を図鑑で目にしたのがはじまりだった。その頃、クワガタといえば外国産の大型で、色鮮やかなクワガタたちがもてはやされていて、国産のクワガタはわずかにオオクワガタが人気を集めている程度だった。とりわけ国産のヒラタクワガタは、子供向けの図鑑などでも、オオクワガタの下位互換のように扱われていた。それは今もほとんど変わらない。けれども、背丈には大きすぎる、日本のクワガタの標本写真ばかりが並ぶ図鑑を開いた少年の目には、ヒラタクワガタが他のどのクワガタよりも美しく、そして格好よく思えた。それは人気のあるオオクワガタの、曲線的で高級感のある、格調高い美しさとは一線を画していた。ヒラタクワガタの造形美を一言に表すならば、実用一点張りの荒々しい武骨さというところに集約できる。太く直線的な大顎(ツノ)は短いが、相手を挟む力を最大限に引き出すためには利にかなっているし、艶のあるオオクワガタとは対照的に艶消しで、ずんぐりとして分厚い体も、敵の攻撃に対しては、重戦車の装甲のように無類の強みを発揮する。それから図鑑にはさらにこう書かれていた。「ヒラタクワガタは気性が荒く怒りっぽい性格である。」少年の空想のなかで、図鑑のなかの厳めしい姿のヒラタクワガタが、他のクワガタを荒々しく蹴散らす姿がありありと結ばれた。野生のヒラタクワガタを見たい。そしてこの手で捕まえたい。少年の目は輝いていた。
こうしてヒラタクワガタのことをいろいろな図鑑で調べ、そして探す日々が始まった。けれども、どこを探しても、いるのはコクワガタとノコギリクワガタばかりだった。おかしいなぁ。少年は幼い頭で考える。ヒラタクワガタは熱帯が原産のクワガタって図鑑に書いてあったから、日本一暑いこの街には絶対にいるはずなのに。ヒラタクワガタが熱帯原産で、温暖湿潤な環境を好むという認識は確かに正しかった。けれども、それ以上のことは、まだ考えが及ばなかった。実際のところ、北関東の平野部は、夏は熱帯のように暑いにもかかわらず、ヒラタクワガタはほとんど生息していない。何故か?ここからは私の仮説になるが、おそらくは冬場の気候が影響しているのだと思う。埼玉県北部の冬は、赤城颪が吹きすさび、夏とは裏腹にきびしい乾燥と低温に見舞われる。これは常夏の東南アジアをふるさととするヒラタクワガタにとっては、厳しい環境である。冬だから幼虫も成虫も冬眠しているが、それでもこの乾燥と低温には耐えられないのではないか。大人になって知ったことだが、ヒラタクワガタは、埼玉県北部よりも、東京都内や埼玉県南部のような、クワガタなどまるでいなそうに思われる都市部のほうが、圧倒的に個体数が多い。両者の冬場の気候を比較すると埼玉県北部のほうが平均して2℃ほど寒い。人間には大した差のようには思われないが、変温動物にとって、2℃がもたらす差異はきわめて大きい。さらに、乾燥という点でも、東京などは海に近いため、比較的湿潤であるのに対して、埼玉北部は内陸性の気候で乾燥する。恐らくはこれらのことが、ヒラタクワガタの少なさに影響しているのだろう。それに、ヒラタクワガタ自体、西日本に多く分布し、そもそも関東は、東京や埼玉県南部であっても絶対的な個体数は少ない。だから、少年が見つけられないのも無理もなかった。
何度も何度も行っても一度も採れないうちに、その夏が終わった。翌年もチャレンジしたが、結果は変わらなかった。そうして、少年が大人への道を一歩また一歩と歩んでいくたびに、かれの頭からヒラタクワガタの夢は少しずつ少しずつ萎んでいった。
☆
幼い日の夢を忘れてしまうにはじゅうぶんすぎるくらい、時が流れた。少年は大学生になっていた。
「最近自分はクワガタを飼ってるんですよ」
地元で電車に乗っていて、ふとこんな話を小耳に挟む。声の主は50代くらいの、ちょっと小粋なスーツに身を包んだ、会社役員のような男性だった。40手前くらいの後輩とおぼしき男性に、しきりに自分が飼っているクワガタのことを話している。
「夜の駅のホームにいたんだけどさ、踏み潰されちゃいそうでかわいそうだし、どこから来たのかもわかんなくて、とりあえず拾ってきたんだよ」
「それが一昨年だったかな。拾った帰りに駅前の百円ショップでゼリーと虫かごとか買ってね。それで家に帰ってネットでいろいろ調べてるうちに、卵を産むかもしれないと思って、セットしてあげたら20匹くらい卵が産まれてね。それで今度は幼虫から育てたんだ。」
「イモムシからクワガタになるまで1年くらいかかるんだよね。不思議なもので、クワガタでも育ててるうちに愛着が湧くね。最初は幼虫なんて触れないと思ったけど、育ててみればかわいいもんだね。」
「最初に拾ったクワガタはこの間亡くなったけど、1年半くらい生きてたかな。それでいまは3代目を育ててるんだ。もうすぐ蛹になって、夏前には成虫になるんじゃないかなぁ。
電車が駅のホームで止まった。二人はそこで降りていった。
クワガタ、いいな。話を聞きながら私は考える。そういえば昔飼ってたけど、ケースとかとってあるのかな。確かに、この路線の終点の秩父あたりならば、ホームにクワガタもいるのかもしれない。
いろいろクワガタについて考えているうちに、ある感情に不意に突き当たる。それは記憶の永久凍土のなかでそのままのかたちで保存されていたように、古く、しかし新鮮だった。ヒラタクワガタに会いたい。野生のヒラタクワガタを捕まえたい。一瞬のうちに私は、あの日の少年に戻っていた。
2021年の夏。私はヒラタクワガタを探した。地元で探した。大人になったいまの目ならば、見つかるかもしれない。けれども見つからなかった。やはり埼玉県北でヒラタクワガタを採るというのは甘くないのだ。それから2022年のシーズンが来るまでに、準備に取りかかった。東京や埼玉県南部のほうが個体数が多いという情報を手に入れた。ごく僅かながら、23区内にも生息しているらしい。また、ヒラタクワガタの発生は5~6月がピークで、それ以降の時期になると、ウロに住み着いてしまいなかなか出てこないということも知った。結論としては、大学へ通うついでに、東京でヒラタクワガタを探そうということに決めた。
2022年5月25日。ついに始まった2022年シーズンは5月3日から探し始めて、この日で4日目になっていた。3時間歩き通したが見つからなかった初日、2時間探してもやはり何の手応えも得られなかった2日目、雨と低温に見舞われた3日目。埼玉県北部より個体数が多いとはいえ、やはり厳しいことに代わりはない。
その日は大学の演習の発表資料のコピーで、東京に来ていた。昼間だけれど、大学に行く前に寄ってみよう。40分ほど歩いたけれど、全く成果なし。予約した時間も迫っている。帰ろうと思い歩いていたが、ふと、あっちの立ち枯れの木を見ていこうという気になった。この立ち枯れの中には、もしかしたらヒラタクワガタの幼虫がいて、そうだとすれば羽化した成虫がここから出てくるはずだと前々から目をつけていたのである。
期待を持たずに俯いた目線を挙げる。視線の先に、大きな黒い影が捉えられた。紛れもない。ヒラタクワガタがそこにいた。ひっそりと、しかし確実な存在感をもってそこにいた。その堂々たる姿は、まるでこの森のヌシのような、威厳すら感じさせた。しばし見とれていた私は、ふと我に返った。夢心地で掴んだヒラタクワガタを、ケースに収め、持ってきたノギスで測る。総じて35mm程度の小型が多い関東の♂の個体としては54mmという大型で、それは幼いころ図鑑で見た、迫力に満ちたヒラタクワガタの風貌そのものであった。
何日かは自宅でヒラタクワガタを眺めて暮らす日々を送ったが、一段落すると今度は♀を探す日々が始まった。家でヒラタクワガタを殖やそうとしているのだから、♀を採らないことには何も始まらない。けれどもヒラタクワガタは警戒心が強い。そして♂よりも♀はいっそう警戒心が強く、なかなか表に出てこない。事実、採集記などで目にするヒラタクワガタの♀と♂の採集比率は2:8~1:9と、極端な偏りを示している。
6月は9回東京に採集に行った。一度もお目にかかれなかった。この一ヶ月、費やしたのは歩いた時間だけで15時間。さきに書いたように、ヒラタクワガタは6月が終わる頃には住処を見つけてしまい、そこからなかなか出てこなくなる。今年はもう無理かもしれない。そう思った。
7月5日。その日は演習の発表があったので、前日から御徒町のネットカフェに泊まっていた(午前中に発表がある場合、遅延を想定して前日から泊まり込むのが定番になっていた。大学まで片道2時間なので、運転見合わせなどトラブルに遭遇した場合、発表に間に合わない可能性が高い)。8時に起きて、大学方面へ向かう。まだ開始まで一時間半くらいあるので、ヒラタクワガタを探してからいこうと思った。午前9:00だが、気温はすでに30℃。朝の散歩にしてはちょっと暑すぎるが、木陰のせいか、アスファルトの上を歩くより数段マシ。慣れない早起きに醒め切らない目で木を見ていく。6月まではいなかったカナブンが、樹液の出ている木という木にびっしりとついて樹液を吸っていることに気がつく。かれらがいるお陰で、それまでは気がつかなかった樹液の出る木をいくつか見つけられた。これは夜に寄ればいるかもしれない。暗くなるまで適当に時間を潰して、帰り際にまた寄ろう。一時間ほど見ただろうか。やはり日の上った朝にはいないよな、と思って人通りに多い道沿いの木を見る。そこにもカナブンが樹液の出る木の節々に止まっている。根本に目をやると、ウロが空いていることに気がつく。いかにもヒラタクワガタが好きそうだ。そのウロの横にも樹液が出ていて、カナブンが群がっているが、よく見るとそのうちの一つには、何か黒い光沢がある。私はそれを迷わず掴んで、手を開いた。手の中でもそもそと動くそれは、紛れもなくヒラタクワガタの♀だった。
これでやっと終われる、という安堵が、真っ先に意識の中を満たした。快活クラブの硬いマットで寝不足だったのもあってか、なんだか夢の続きを見ているようで、実感がなかった。ケースに収め、ゼリーを与える。一心不乱に食べ続けるヒラタクワガタの姿を、授業の始まる前の誰もいない教室で眺める。実感とともに喜びが徐々に湧き上ってくるのを感じる。
私の演習の発表は、机の上に置かれたケースの中のヒラタクワガタにも聞いてもらった。壇上に上がって発表するので、普段なら緊張して仕方がないが、このときはなんだか自然体で話せた気がする。もっともケースの中の彼女は、ゼリーを食べるのに夢中で、私の発表など意に介していなかった可能性がきわめて高いが。ともあれ授業が終わると、私は一目散にバス停へと向かい、上野駅からは特急を使って帰った。
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ヒラタクワガタを飼っているうちにいろいろなことがわかった。まず第一に、「気性が荒く怒りっぽい」という、どの図鑑にも紋切り型のように書かれているヒラタクワガタの性格は、一面的な観察の結果であるように思われてきた。確かにゼリーを交換しようとすると、大顎をめいっぱい広げていまにも挟まんばかりに威嚇してくる。ところが、夜、ゼリーを食べているところを観察しているとき、こちらが少しでも物音を立てると、ものすごい敏捷さで隠れ家に潜ってしまう。2ヶ月くらい飼っているうちに、そもそも隠れ家にいる時間のほうが長く、ゼリーを食べるとき以外はあまり出てこないことに気がついた。さらに、隠れ家から出てくるときも周りの様子を窺いつつ、少しずつ出てくることも発見した。隠れ家から全身を出す前に、大顎と触角だけを出して、じっと辺りを探る(この姿がなんともかわいい)。それを私は息を殺して見ているのだが、物音が聞こえると、頭だけ出していたのをサッと引っ込めてしまう。小さい頃飼っていたコクワガタにも、ノコギリクワガタにも、こういう習性はみられなかった。どうもヒラタクワガタというのは、じつはとても臆病なクワガタらしい。
よく考えてみると、私が観察して見いだしたヒラタクワガタの「臆病さ」と、図鑑に書いてある「気性が荒く怒りっぽい」というのは、矛盾しているようでいて、その実は表裏一体ということに思い至る。ヒラタクワガタをじっくり観察していると、神経質で、常に何かに怯えて、とにかく身を守ろうとしている印象を受ける。敵が現れた時、もし逃げられるならば、素早く隠れてしまう。けれども逃げられない状況にいるならば、敢然と戦うことを辞さない。つまりヒラタクワガタは、その時その時に応じて、一番身を守れる可能性の高い行動を習性的に選んでいるということになるのだが、ほとんどの人は逃げられない状況に置かれたヒラタクワガタしか見ていないから、これは凶暴なクワガタなのだと即断してしまう。ところが実際は、その堂々として力強い姿形に似合わず、ひじょうに臆病なのである。あの力強い大顎も、攻撃の武器というよりは、身を守るための防具という方が合っているように思われる。このことに気がついてから、私はますますヒラタクワガタが好きになった。じつにかわいい。
今年(2023)も東京の同じポイントでは6匹(4♂2♀)確認したが、いずれも数時間ケースに入れ、大学の図書館内で心ゆくまで観察したのち、元の場所にリリース。6匹のうちの最大の個体は44mm♂で、昨年の54mmには遠く及ばなかったが、3匹ほど確認できた35mmくらいの小型のヒラタクワガタは、大型個体の艶消しとは対照的に雄でも艶ありとなり、印象も大きく異なっていて、いっときの観察も十分に楽しめた。なにより、10月の昼間に何気なく寄ったときにもいたのには驚かされた。どうやら他のクワガタに比べて、冬眠に入るのが遅いらしい。
振り返ると、2022年と2023年のSセメスターで、東京まで片道2時間かけて大学へ通うモチベーションの大部分を、ヒラタクワガタ探しが占めていた。大学のついでにヒラタクワガタを探すのではなく、ヒラタクワガタを探すついでに大学にも寄るという感じで、もしその目的がなかったら、たぶん通えなかっただろう。私がなんとか大学に繋ぎ止められたのも、ほとんどヒラタクワガタのお陰である。
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いま私の家には29匹のヒラちゃん(飼っているうちに、いつしかこう呼ぶようになっていた)たちがいる。初代のペアは一冬を越し、今年の秋口までは健在だったが、いずれも寿命で旅立ってしまった。せっかくだから、二匹とも標本にしてもらうことにして、今は東京の昆虫店に預けてある。来年の一月頃には綺麗に箱に入って戻ってくるはずだ。クワガタがなくなってしまうのは、大人になっても悲しい。けれどもかれらの子孫に、よく似た子が出てくるだろうから、そこでまた巡り会えるだろう、ということを思うと少しばかり前向きになれる。
幼虫はいま20匹いて、それが三代目になる。今はみな成虫になっている二代目は、みな初代の♀が去年の夏に産んだ子どもたちで、2023年の6月羽化、3男6女の兄弟姉妹である。このうちの初代の♀の一匹と、初代の♂(一番最初に見つけたヒラちゃん)を掛け合わせて産まれたのが、この20匹の幼虫たちということになる。
いまは成虫も幼虫も冬眠に入っている。また来年の春になれば元気な姿を見せてくれるはずだ。途中で血の入れ替え(同じ産地の別の血統を適宜掛け合わせることで、近親交配による弊害を防ぐ)は必要にしても、かれらは幾代も世代を重ねていくだろう。そして私は、初めて見つけたヒラちゃんたちの子孫たちを、私が生きている限り、飼い続けるだろう。そう考えるてみると、私のこれからの一生は、常にヒラちゃんたちと共にあるということになる。苦しきときも病めるときも、ヒラちゃんたちが側にいてくれる。そう考えると、たとえ明日に打ちひしがれそうになっても、なんとなく生きていけるような気がする。
これから冬になり、ヒラちゃんたちが冬眠してしまうのは少し淋しいが、そのぶん春の訪れが楽しみでもある。隠れるのが好きなヒラちゃんたちのために、気に入ってくれるような隠れ家を冬のあいだに作ってあげようか。といっても、普通の木を加工してウロを作るのは容易ではない。近くに生えている柳の木をとってきて作ろうか。そういえば柳はヒラタクワガタが一番好む木である。理由は、隠れられる穴が多いから。あるいは、3Dプリンターで、隠れ家を作ってあげるもいいかもしれない。最近は木材素材の3Dプリントもできるらしく、これなら天然素材とは違い、均一に仕上げることができるし、隠れ家の中の構造も、うちのヒラちゃんたちの体格に合わせた狭さに(狭くて暗いところに一人でいるのが、一番落ち着くらしい)設計して作ることができる。
多少なりとも自由の身になる来年は、5月と6月、静岡と北陸でヒラちゃんたちを探してみたい。ヒラタクワガタは地域によって微妙に形が異なるから、とりあえず中部地方の北と南でそれを比較してみたい。また、いつの日かは、四国や中国地方など、多産地のヒラタクワガタもこの目で確かめたい。それから大型個体が多いという山陰や和歌山も気になるし、瀬戸内海の島嶼部や隠岐など、離島にも強く惹かれる。けれどもやっぱり、関東地方の、短くて太い、ずんぐりとして野暮ったいスタイルが一番ヒラタクワガタらしくて好ましく、またかわいく思える。やはり私のヒラタクワガタの原像は関東型なのかもしれない。関東甲信だと、山梨や千葉が気になる。栃木や群馬もいい。それからなにより、地元の埼玉県北部でヒラタクワガタを採るという宿題もまだ残されている。こうして考えると、やってみたいこと、行ってみたい場所は尽きることがない。
小さな少年が抱いたあの日の夢は、今もなお続いている。