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むかしむかし、救急車に乗った時のお話
今日は、小学校高学年になりかけたあたりの記憶の引き出しを開けてみた。
その日は、朝から具合が悪かった。
トイレとお友達、の時間がつづいた。
部屋の鏡に映った顔は、紫がかった黒っぽい色をしていた。
なんだか、よくない状態であることはわかる。
原因は、たぶん、あれ。
もう何十年も前のことだけど、食事の残りものは、扉が網になっている戸棚に常温保存していた。
うちだけだったかもしれないが、なぜ、冷蔵庫に入れなかったのだろうか。
お酒ばかり飲んで、一日中ロレツがまわらなくなっている母は、食品や食事の管理にも頭が回らなくなっていた。
おなかが空いた私は、その戸棚に入っていた焼き鮭を食べた。
たぶんその焼き鮭は何日か前のもので、ヤバい状態だったと思われる。
結果、私の顔色は悪くなり、トイレとお友達の状態となったわけだ。
母は、救急車を呼んだ。
我が家は、父と母のアルコールのせいで、あんなことやそんなことが日常茶飯事に起き、救急車を呼ぶこともよくあった。
またですか、的な感じで救急隊員さんがやってきた。
(タクシーで病院に行ってほしかったな)と私は思った。
案の定、近所の人たちが集まってきている。
(こんなパジャマ、見られたくなかったのに)
その日着ていたパジャマは、学校の家庭科の授業で作った、真っ赤なパジャマだった。
ちなみに、その頃の家庭科の成績は「2」だった。
パジャマと私と母を見られる恥ずかしさで、具合の悪さは一時ふっとんだ。
救急車の中は、横の棒に必死につかまっていないと振り落とされそうな、そんな違うドキドキを感じた。
病院に着くと、体重を訊かれた。
母は、「わたしの~?」と、ろれつの回らない言葉を発し、「お嬢さんのです。」と、あきれられた。
そしてやはり、食中毒と診断された。
それからしばらくして、私はまた食中毒になっている。
その時は、山でとってきたキノコが原因だった。
父も母も同じものを食べたのに、私だけがひどい症状だった。
その時の教訓があってか、賞味期限や消費期限にはとても敏感だ。
ニオイや味の変化は、異常なほど気にする。
もう救急車には乗りたくないが、何事も、過去の経験は未来の自分のためにあるものなのだ。
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