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お盆だったが

母が7月末に亡くなった、四十九日が明けていないお盆は、どう過ごすのがよかった?と今思った。

とにかく8月前半は、葬儀で慌ただしく、また中旬に、孫が生まれたりで、考える暇がなかった。

会社の夏休み中であったので、ぼーんやりと過ごしてしまった。
chatGPTに聞いてみるが、四十九日が明けぬ故人の場合、その土地の風習に従え、あるいは、心の中で供養というものだった。
毎日、水かえてお線香あげているので良かったか。

インターを降りて家に向かう道の途中、右にそれた坂道の上にグループホームがあった。そこで亡くなったのだった。
今日もそこを通り過ぎるとき、ジュースやゼリーを届けることは、もうないなと思って、涙が溢れてこないけれど、今は。

ノーベル物理学賞を取ったリチャードファインマンは、奥さんについて
「・・・少なくともアーリーンの葬儀から1カ月が過ぎるまで、涙一つこぼさなかった。ある日、オークリッジの町を歩いていると、デパートの前にさしかかり、ショーウィンドウに綺麗なドレスが飾られていた。それを見て、僕は『ああ、アーリーンの好きそうな服だな』と思った。その瞬間、どっと悲しみが堰(せき)を切って溢れてきた...」 だそうだ。
(自伝『ご冗談でしょう、ファインマンさん』より)

母に対して、このような気持ちになるのはいつのころだろうか?
また、何に触発されるのだろうか?

母を愛していないわけではないが、いや、たぶん、涙は全然でないな。
ただ、毎日お水と線香と玄関掃除はルーチンにしている。




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