トランスジェンダーと礼服
購入してから長らくクローゼットの中で眠り続けた礼服を、今月になって立て続けに2回も引っ張り出すこととなった。
一度は黒ネクタイ。一度は白ネクタイ。
生まれ持った身体は女性でありながら「間違っても“女装”が出来ない」自分は、ついに恐れていた冠婚葬祭の場面に一挙に出くわすこととなった。
なぜ恐れていたかといえば、正装なるものには男女別の服装が求められるからである。それを様々な世代、距離感の親戚や知り合いの前で見せることへのリスクは懸念せざるを得ない。
とはいえ結論は「どちらも割と何とかなった」のであった。何とかなったひとつの例として、誰かの勇気づけになったらいいなと想像しながら、今回の出来事を記していこうと思う。
まずは黒ネクタイの「葬」の方だが、これは前回の記事に書いた件である。
一度は出会ったことのある親戚ばかりが集うこじんまりとした式だったが、服装についてのツッコミは誰からも全く無かった。
入るトイレに迷ってトイレの前で立ち止まった時にはちょうど通りがかった祖父の妹にあたる人に「あんたは女の方やら!」と言われ、後に父と相棒の前でイジられたが、まあこのくらいは仕方ないことだし父と相棒はそれぞれにさり気なくこちらを守ってくれたので心強かった。
あと祖父の妹さんのキャラクターも手伝い、トイレの前でバシッと言ってくれたのは嫌味がなくむしろ迷いが消えた感覚だったので良かった。親戚ばかりが集う式なら見た目がどんなんでも女性トイレの方が自然だ……よな?と考えたところでのナイスツッコミであった。自分はその日の見た目によって他人が不快に思わない方のトイレを選ぼうとする質だから、言ってくれれば良いのであった。
つぎに白ネクタイの「婚」であるが、こちらは今日、高校時代から付き合いが続く友人に呼んでもらっての結婚式参加だった。お誘いの声を掛けてくれた時から「あなたが女性の服を着るのはむしろ変な感じがするから男性の服装で来て!」と言ってもらえていた。
こちらは面識のない参加者も多いのでどうなることかと思ったが、まず誘ってくれた友人のご両親は何事もなく接してくれてありがたかった。以前からなのか今回の式にあたってなのか、友人が事前に話してくれていたのだろうと感じられた。
友人のお相手さんをはじめ他の方々も、服装のことは特段気にしていない様子で接してくれた。
やはり再びトイレ問題も浮上したのだが、トイレの場所を案内してくれた式場の係員の方がとても気持ちの良い対応をしてくれた。
最寄りのトイレが男女別だったのだが、まずはそのトイレの男女両方の入口を案内してくれた。案内を受けた自分が「……どっちに入れば良いんだろ?」と呟くと、間髪入れずに「多目的トイレもございますがご案内いたしましょうか?」と聞いてくれた。別階にあった多目的トイレをその場所まで案内してもらえて、式場の接客とはいえ何という察しの良くきめ細かい対応……!と感動した。
おかげでその後も基本は多目的トイレを利用させてもらい、利用し難いタイミングでは他の人に見つからないタイミングを見計らって女性トイレを利用することで対応が出来た。
ただ、式場への行き来の道中では駅のトイレを上手く見つけられず、移動先まで我慢するなどもした。男女別トイレしかなく諦めたり、多機能トイレがしばらく待ってみても使用中で諦めたり。多機能トイレが必要な方は時間がかかるケースが多いと察するので仕方がない。本来は、広いスペースも多機能トイレにしかない設備も必要としない自分が、率先して使用すべき場所ではないのだから。
どちらの場面でも、いざ書き出してみると、トイレはなかなか迷いがちな問題であることがわかった。最近トランスジェンダーのトイレの利用は誤解に基づいて批判されがちなので、普段以上に気にしてしまう面もある。
見た目がどちらつかずなら保険証などの身分証明書に書かれた性別のトイレに入ればトラブルになっても無問題なので良いが、男女ではっきり分かれてしまう服装の時に身分証明書と違う服装をしている場合には判断が難しい。まさか現状のトイレのシステムでは、トイレに入るためにいちいち身分証明書を提示するわけもなく、ましていちいち裸になって性別を証明することも有り得ない。男女別のトイレに入るなら結局、見た目で違和感の無い方にということにならざるを得ない。
もしも世の中から「男だから/女だから〇〇だよね」というジェンダーによる決めつけが一切無くなり、服装や見た目を性別と結びつけるというジェンダー観も世の中から消えてしまい、トランスジェンダーの存在が当然のものになったなら、トイレはシンプルに身体に割り当てられた性別の場所を選んで使えば良くなるのかもしれない。
反面、たまたま周囲の人に恵まれているということもあろうが、人との関わりで困ることは案外何もなかった。招待してくれた友人の友人も、初対面でも何食わぬ顔で接してくれる人ばかりだった。本当にありがたい。
そして、2回の礼服着用にあたりいろいろな価値観の人の目に触れてきただろうに、誰一人として少なくともあからさまなヘイト感情を出さないこと、基本的に特に気に留めるような感情すら見せないことは、時代が少しづつでも進んでいることの証左かもしれない。
次回の礼服着用はまたしばらく先になるだろう。その頃にはもう少しでも気楽に着用出来る状況が訪れるよう願って、礼服には再びしばらく眠ってもらうことにする。
体型的に気楽に着用できなくなった、なんてことにならないといいな。