性別違和を持ちながら自動車学校に入るとどうなるか エピソード4選
自動車学校での教習も終盤に差し掛かってきている、ずんばです。
バス会社に入社した上で大型二種免許取得をということで合宿に来ているわけですが、大型二種の教習は、生徒も先生も男性ばかり。
自分は今のところまだ、女性の姿を見ていません。タイミング次第では生徒さんは複数人いる時もあるそうなんですけどね。
そんな中、身体的には女である私は、当然周囲から女性扱いをされるわけです。
もっとも、教習所で仲良くなった人達も大型二種の指導員さん達も、女性だから何か差別や区別をしようとするのではありません。
フラットに接してくださる良い人ばかりです。
ただ、自分のことを女だと思っていない私にしてみれば、ちょっとした扱いによって色々とレーダーが働き考えさせられるのです。
それも「自分はこんなことをされて嫌だった!傷ついた!」という考え方ではなく、「こういう視点ってどこから生まれるんだろう?どうしてこの物事はこう進んだのだろう?」という、あくまで俯瞰かつ学問的視点で興味を持ち考えています。
そんな思考の中で、気づいたりもやもやしたりしたことをまとめます。
「女性でそのきっかけでバス運転士って珍しいよ〜」
教習中にはしばしば、緊張をほぐす雑談として、なぜバス運転士になろうとしたのかを聞かれます。
自分は「大学生の時にバスで通学をしていて、ある時とても素敵な運転士さんに出会ってそこからバスに興味を持ったのがきっかけ」と答えるのですが、そこからの反応は指導員さんによってさまざまで。
この時は「女性でそのきっかけでバス運転士って珍しいよ〜」でした。
その指導員さん曰く、いろんな生徒さんに同じ質問をしてみると、女性からは「お父さんやお母さんがバス運転士だから」という答えが返ってくることが多いそうです。
……男性はどう答えるんだ??ってちょっと気になりますね。
女性はバスというものにそもそも興味を持つきっかけが少ないのでしょうか。
子どもの頃から、乗りものに興味を持つのは男の子っぽいとされがちですもんね。
思えば自分も、電車とか新幹線とかにどこか興味を持ちながら、あまり深入りしてはいけないんだと思っていた気がします。
車好きの父が車の雑誌を見ている時は、横から覗いていた記憶がありますけどね。
女の子が乗りものに素直に興味を持つのは、両親が乗りものに携わる仕事をしているくらいの環境がないと難しいのかもしれません。
「バス運転士さんのことが好きになったの?え、恋?恋したの?」
先程のトピックのごとく、先程とは別の指導員さんからなぜバス運転士を目指したのかと聞かれて、先程と同じ答えを返したときの反応です。
「バス運転士さんのことが好きになったの?え、恋?恋したの?」
やめてくれよって思いました。
もうストレートに、やめてくれよという感情が。
女を軽く考えすぎじゃない?って思いました。無論そこまで考えた発言ではないに違いないのですが。
考えてもみてくださいよ。
特定のバス運転士さんに恋したから自分もバス運転士になるというパターンが成立するとしたら、バス運転士の仕事なめすぎでしょ。
どう見たってそんなお気楽な仕事じゃないじゃん。
言葉悪いですけど、ふざけるなって思いました。ちょっとだけ。
いうて自分もまだバス運転士の仕事の厳しさ体感してないのに。
まあ強いて言うなら“バス運転士という職に恋をした”というのは言えるのかもしれませんね。
運転も接客も、どこまでも極めたいと思ってますから。
で、勝手に「男と女=恋愛」と結びつけているところに「異性愛前提」+「恋愛バンザイな感覚」がすごく見えるなと思いまして。
で、さらに「あれ?」と疑問に。
私が出会った運転士さんを、勝手に男だと決め込んで話を進めてきていたんですよね。
「バス運転士職=男」の式が、この指導員さんのどこかにあるんですよね。
思えば、その式がその指導員さんに限らず世間一般にあるからこそ「女性でバス運転士は珍しい」になるんですしね。
保育士さんとか看護師さんとなると女性イメージが根強くあるのと同じことですね。
ただ、もしもその指導員さんが「あなたが好きになった運転士さんが男か女かは知らないけれど、恋したのかなーと思って」という発想で発言をしていたならば、それはそれで面白いですね。
そんなことは無さそうでしたが。
「今まで見てきた女性の中で一番上手かった」
ありがとうございます!
と言いたいところですが、あまり素直に喜べない。
路上教習で山道を走り回り、教習時間を終えて帰ってきて駐車も終えた時にいただいた、指導員さんからのご講評でした。
女性って、そんなに運転下手なんですか?
なぜそんな疑問を抱いたかって?
だってそうでしょう。
「男性はもっと上手い人たくさんいるけれど、女性の中では一番かな」っていう文脈が前提にないと、この発言にはなりませんから。男女別の種目じゃあるまいし。
女性がバカにされているんじゃないかと瞬間的に思いましたが、たくさんのドライバーを育ててきた指導員さんが言うんだから、たしかに運転の男女差はあるのかもしれませんね。
なら、その差はどこから生まれたんでしょう?
私はもう、紛れもなくジェンダーのせいだと思っています。
つまり、男性の方が運転が上手いと社会的な常識として信じられていて、みんなもそう思い込むから実際にそうなるという。
運転の技能の男女差についての研究があったかは覚えていないですが、学校の得意科目の男女差の出方は文化圏ごとに異なるという研究を聞いたことがあります。
文化圏ごと、つまり、その文化圏におけるジェンダー観ごとに、男女差が生まれたり生まれなかったりすると。
ということは、ジェンダー観のせいで伸ばせる能力が伸びていない可能性だって十分にありますよね。
運転ならば、女性だからと周囲も本人も思い込むことで、本当はそこらの男性陣よりずっと出来る能力があったとしてもあまり上手くならないとか。
もしくは、可能性として、指導員さんが「この人は女性だからこれだけできれば十分」と、男性ならもっと指導するところを女性がゆえにしていないことも考えられなくはない。
今時は意図的にそんなことをするとは思えませんが、無意識的に起きてしまう可能性はゼロとは言えないでしょう。
もったいないな。
で、自分の場合は女性という枠に入れられるのも嫌なので、女性枠で1番だと言われても「それなら男性含めた総合順位を教えてくれよ」って内心思ってます。
たぶんそう大した順位にはならんのでしょう?
「女性がいるところであんま言っちゃいけないだろうけど」
悪気は何一つない一言。
というかむしろ気を遣っているからこその一言なんですが。
これは学科教習中でしたね。
生徒は自分以外みんな男性で総勢9人という状況。
応急救護の教習の初めの方で「人が生きるために必要なものは何か」という問いを指導員さんから投げられて生徒が答える場面で、みんなが「空気」や「空気と水」といった答えを返す中で、ある人が「女」と言いました。
その場の流れにおいては、ユーモアがあって面白かったんですよ。
ジェンダーに敏感な自分とて、そこは素直にウィットに富んだことを言うなあと思ったんです。
で、全員から笑いが起きた後に、指導員さんが「女性がいるところであんま言っちゃいけないだろうけど」と言って次の話に進んでいきました。
うーん。なんだろう。
同じ空間で一緒に笑いあっていたのに急に仲間外れにされたこの感じ。
そりゃそういう気も遣えず女性がいるところでゲラゲラ笑うのは最悪だと思っていますけどね。
それでも何かすごく疎外感を覚えてしまって。ひとつ自分のことについて確信しました。
内面はかなりの割合で男なんだなと。
最近は、自分が世間から女性として見られることも受け入れられずともそれなりに慣れてきて、男性の身体を手に入れたいと思うこともなく、手に入れたところで生まれも育ちも男性にはなれないのだからと考えていたので、まあ男でも女でもなく自分でいられればいいやという感覚が強かったのですが。
内面としては結局、男性の感覚で生きていたいらしいと自覚させられました。
だからって教習で出会う一期一会の人達に何を求めることもしないですけど……なんだろう、仮に求めるとすれば、そもそも必要のない部分で性別に関わる話を出すのをやめてもらえたらストレスフリーになれるんでしょうか。
誰も悪くない場面なだけに、一人気付かされ考えさせられという状況でした。
いろいろあるけど教習は教習
教習中の話ではないので上には挙げませんでしたが、自動車学校では、教習を受ける手続きから卒業に至るまで、性別を書かなければならない書類がいくつも出てくるんですよね。
教習原簿も男女どちらかにしっかり丸を打たれますし。
免許証には性別は書かれないし、車の運転に性別など関係ないのだから、いつかは書類の性別欄も何とかしてほしいものです。
国レベルで決まっている規格の書類だと思うので、自分はもう自動車学校の事務員さんを困らせないようにしぶしぶ性別を書いたんですけどね。
それでも、初めにも書いた通り、自分が自動車学校で出会った人達は良い人達ばかりです。
ただ、私のような人間の存在に気づいていなかったり、知識として知っていたとしてもどうすればいいのかわかっていないだけだったり。
何か機会があれば自分のこととどのようにしてほしいかを伝えるのは厭わないのですが、伝える機会もそう無いですし、このまま教習を進めて無事に終わればそれでよしだと思っています。
ということで残りの教習も、ひとりで好き勝手いろいろと要らぬ思考を巡らせつつこなしていきます。