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BaseBallBear『二十九歳』を聴きながら迎えた29歳のBirthday

2024年11月4日、29歳になった。
20代最後の誕生日。20代最後の1年。

いきなり余談だが、いつも同じ日に歳をとってきた西田敏行のいない、初めての誕生日だった。まだまだ一緒に歳をとり続けると信じて疑わなかったのに。

そんな29歳の誕生日には、何年も前からやろうと決めていたことがある。BaseBallBear(以下「ベボベ」)というバンドのアルバム『二十九歳』を聴きながら誕生日を迎えること。
このアルバムの発売は2014年。その当時、CDを手に入れた時からそうしようと決め、知らぬ間に10年の時が経った。すっかり忘れていた決意を思い出す機会が直前にあったのは、奇跡。いや、必然だったのかもしれない。

ベボベの有名曲に「17才」という曲がある。(その曲が収録された『十七歳』というアルバムもあるのだが、残念ながらアルバム曲をまるっと全て聴いたことはない。) 実は17歳の誕生日も「17才」を聴きながら迎えた。大人でも子どもでもない。将来への不安を抱えながら、しかし何だかんだキラキラした日常。ザ・青春な、目の前に快晴の空が立ち現れるような曲に、そうした複雑な感情を重ねていたと思う。

『二十九歳』が発売された頃は18歳。29歳よりも17歳の方に圧倒的に近い年齢だった。アルバム曲を一通り聞いた感想は「ベボベが大人っぽい」だった。あの当時、歌詞よりもメロディーが先に頭に入ってくるタイプだったせいでもあるかもしれないが、当時の自分にはまだ分からない感覚がたくさん詰め込まれた曲に思えた。だからこそ、29歳になったその時に聴いてみたいと感じたのだった。

さて、満を持して迎えることとなった29歳。
改めてとても久しぶりに『二十九歳』を聴いて驚いた。曲への理解度が違う。解像度が違う。見え方が全く違う。
18歳の自分が頭で何となくしか理解していなかったものが、実感を伴って押し寄せる。曲の力ってすごい。べボべってすごい。

具体的にどこにどう感じたかを記してみたい。

まずは元々好きだった、アルバム4曲目「Ghost Town」の歌詞の冒頭から。

美容師を目指したあいつも
モデルになりたかったあの子も
医者を志した彼も
みんなみんな幽霊になった

BaseBallBear「Ghost Town」

みんな夢を諦めて現実に溶けていったのだろう、ということは18歳の自分にもさすがに読めていた。読めていたが、今聴くとあまりにも重みがありすぎた。
歌詞の中で「僕」は、皆が幽霊になってしまうこの街から逃げ出そうとする。さて、自分は「皆」なのか「僕」なのか、どちらだろう。
……きっと「両方」だ。

かと思えば、アルバム12曲目の「UNDER THE STAR LIGHT」などでは、疾走感あるメロディーで駆け抜ける。どんどん駆け抜けていくのだが、やはり17歳の駆け抜け方とは少し違う。

振り切りたくて 駆け抜けた

BaseBallBear「UNDER THE STAR LIGHT」

駆け抜けたいから駆け抜けるだけの年齢ではないのである。いや、まだ駆け抜けたいから駆け抜ける気持ちもあるが、振り切れないものを振り切りたくて駆け抜けてもいる。(早口言葉みたいになってしまったが……伝われ!)
純粋にキラキラとした気持ちだけで駆け抜けることができない様が、29歳の立場を如実に表している気がしてならない。

そして歌詞の考察が捗るのがアルバム13曲目「PERFECT BLUE」である。

君は翔んだ あの夏の日
むき出しの太陽にくちづけしようと
そっと目を閉じ
舞い上がった その黒い髪
凛とした青い空にとけてしまったのにね
会いたいよ また、君に

BaseBallBear「PERFECT BLUE」

この曲は2013年2月にシングルでリリースされていた。自分はまだ高校3年生。べボべ好きな同級生が、自殺を暗喩した曲なんて嫌だ聴けないと言っていた。ポップな爽快感あるメロディーの中のこの歌詞。自分にもそうとしか読めなかった。表向きはただぴょんぴょんとジャンプするだけの描写のようでいて「青い空にとけてしまっ」ているのだから。
ただ、29歳になって聴いてみるとそうとも限らないのではないかと思えてきた。べボべ公式のYouTubeがUPしている「PERFECT BLUE」のコメント欄でも指摘した人がいる。ここでいう「君」は「青春」を指すのではないかと。
今の自分にはこの解釈が腑に落ちる。自殺の暗喩であるという解釈は17歳の側にいる人間の解釈で、これが『十七歳』ではなく『二十九歳』のアルバムに入っていることが肝なのではないかと。青春の渦中からではなく、青春を抜け出した29歳からみる解釈の方が、収録されているアルバムを加味すれば合点がいく。無論、作詞者の意図は分からない。他の意図があったかもしれなければ、ここに書いた全ての解釈が成り立つように計算した可能性もある。こいちゃんなら計算し尽くしていても不思議ではない。
ここまで思考を進めて、己の年齢が随分と進んできたことを実感した。同じ曲から見える景色が、年齢によって変化するという経験がとてもおもしろい。

さて、このアルバムで貫かれている、29歳という立ち位置の描き方。これはもう1曲目でいきなり明示されていると言って良いのではないか。

現実は現実的で
夢はいつも夢なだけだ

BaseBallBear「何才」

29歳。現実と夢を切り分けて現実を突き進もうとする。あるいは現実に必死になっている。でもまだ夢は見たい。夢が夢のままで終わることを半ば確信しながらも、でもまだ夢を見続けたい。
20代最後の歳。若者という括りからそろそろ外れてくる頃。そんな頃の「現実と夢との狭間」で揺れ動く姿を描いているのが『二十九歳』ではないか。

ベボベの曲には「大人と子どもとの狭間」に生きる思春期の姿を描く曲が多い。だから高校生の頃の自分にもいろんな曲が響いた。
そんなベボベが今度は「現実と夢との狭間」に生きる中途半端な29歳という年齢を描き切った。それが『二十九歳』というアルバムだ。と、実年齢が追いついてようやく実感することができた。
このバンドは「狭間」にいる人間の揺れを描くのが上手すぎると思う。かつて某ラジオ番組で「AでもないCでもない、その狭間で生きるBの生徒のための授業」というフレーズでやっていたコーナーがある。(そのコーナーの最終回冒頭でメッセージを読んでもらえたのは良い思い出。) ベボベは思春期に限らず「B」を描くのが上手すぎる。

ここに書いた考察はほんの一部だ。1曲1曲にそれぞれ感じたことがある。本気で書けば全ての曲に考察を書ける。それがBaseBallBearというバンドの曲だ。(実際に学生時代、言語学のレポートでベボベのアルバム『深呼吸』を丸ごと考察して最高評価をもらえた。これも良い思い出。)

29歳をまるっと過ごした時、このアルバムの解釈にはまた変化が生まれるかもしれないし、生まれないかもしれない。
自分の29歳がどんな一年になるのか。『二十九歳』と重ねながら振り返る日でも楽しみにしておこうか。


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ずんば
現状、自分の生き様や思考を晒しているだけなので全記事無料です。生き様や思考に自ら価値はつけないという意志の表れ。 でも、もし記事に価値を感じていただけたなら、スキかサポートをいただけるとモチベーションがめちゃくちゃアップします。体か心か頭の栄養にしますヾ(*´∀`*)ノ