意識不明の重体から見えた世界。
私は意識不明の重体になったことがあります。
致死率50%の状態でした。
生きるか。死ぬか。
心臓と肺は動いていました。
でも、腎臓、肝臓、膀胱などは全く機能していない状態でした。
お医者さんは、植物状態や障害が残る可能性があると言っていたようです。
まだ21歳。私は死ぬところでした。
ここでは原因については割愛させていただきますが、その時の心境を綴らせて頂きたいと思います。
私の人生はノンストップそのものでした。
常に何かに追われています。
呑気に過ごしていたのは小学生までです。
中学生の時には、高校のこと。
高校生の時には、大学のこと。
大学生の時には、社会のこと。
どうしても先の心配ばかりしてしまいます。
今よりも未来。
もちろん、目の前のことも楽しみます。
でも、いつも付き纏う将来への不安。
出来るだけ、未来をよくする行動をとらなくちゃ。
気づいたら、まっすぐにしか物事を考えられなくなっていました。曲がったことや、無駄なことは意味が無い。将来に繋がらないことなど意味が無い。
周り道や足踏みはいけない。世の中の価値を信じて、正しい行動をとる。空気を読む。
世の中の価値は、自分の価値。
だから大学3年生の時に、早めに就活を始めました。
働くってどういうことだろう。自分の正しい道を見つけたい。自分は何をして生きていくべきなのだろう。
インターンにたくさん参加しました。
とにかくたくさん出来るだけ。
周囲の人の凄さに圧倒されます。
その意識の高さに溺れて、自分自身に嫌気がさします。
世の中に取り残されている気持ちになりました。
早く安泰な未来を見つけたい。
狭い視野の中に自分の価値を必死になって探します。
視野を広げる余裕なんてない。早く見つけたい。安心したい。切羽詰まっていました。今思えばやりたいとも思わないことに、無理矢理自分を当てはめていました。
そんな時に、ある日意識不明の重体になりました。
そして目を覚ましました。しかし身体が1ミリも動きません。点滴の針が滅多刺しでした。身体がベルトで完全に固定されていました。集中治療室にいました。看護師さんが、若い私が意識が戻らないことに涙目になっていました。
私、死ぬところだったんだ。
その後、2週間ほど入院して、奇跡的な回復を遂げていきました。お医者さんと看護師さんには感謝しかありません。
入院していたことは、私にとっては大きな足踏みでした。私の嫌いな足踏みです。
常に動いていないと落ち着かない。だけど、今は嫌でも休まなくてはならない。ひたすら嫌いな自分と向き合う時間ができました。
考えて考えて考える…。
そのうちに、一気に全てがどうでも良くなりました。
私は一体今まで何に追われていたのだろう。
何を気にしていたのだろう。
何に怯えていたのだろう。
頭が良くなければならないとか、運動ができないと恥ずかしいとか、人にどう思われているとか、、
誰が決めたかよくわからない曖昧な価値観の中で、勝手に苦しんでいたことに気付かされました。
何かに失敗したり、怒られたり、裏切られたり、、
人生の中では、避けがたい嫌なことが沢山あります。
それでも乗り越えていかなくてはなりません。
でも、1回無くなりかけた命。もう何があっても、
死ぬよりはマシか。
って思えるようになりました。
そして無の時間の中で、家族や友達の大切さを実感し、自分の素直な感情と向き合いました。焦っても意味が無い。
そう考えると、足踏みとか周り道が出来る人ほど、生きるのが上手いのかもしれません。
忙しない日常では気づくことができない、小さな喜びとか、発見に目を向けることが出来ると、そこに心の豊かさが生まれてくるのだと思います。
足踏みや、周り道は悪いことではない。
ということを、過去の自分に伝えたいです。