暗闇の中 彷徨い、群衆の中を突っ切る 目的地もわからないまま ときに立ち止まり、孤独を彷徨う 存在がわからないまま 閉塞感に息が詰まる 上を見上げると空が広がる 何も感じさせない黒い空 空には星が点々と広い空を紡いでいく 人はその星々に従い進んでいく 心のコンパスとして
鳥のさえずりの声と同時に日が昇る。 街は動き出し、車の音が鳴り始める。 外を見れば、平日はスーツの人が、休日は犬を散歩してる人がみられる。 朝の表情は同じように見えてその日によって違う。 また、新しい1日が始まる。
僕らが歩いている道はどこまで続いているのだろう? 終わりない道を淡々と歩いている。 道は一本だろうか? いや、道は時に多く分岐する。 その選んだ道に失敗=行き止まりはあるだろうか? いや、行き止まりは存在しない。また、その選んだ道を淡々と歩きだす。 選んだ道の先が暗く、前が見えない時は、あるだろう。 苦しくて、悲しくて、孤独になる時が。 しかし、その道は間違った道ではない。 ただ、街灯など舗装されてない道なだけ。 そう、自分しか通ったことがない自分だけの道
時間は進む。 楽しい時も辛い時も時間は進む。 時間は無情である。 生まれてから死ぬまで止まることができない。 休息すら与えない。 誰しもが一度は時間が止まってほしいと思ったことがあるだろう。 その中でも僕らは生きていかなければならない。 時間というエレベーターの中で。
東京にいればどこからも見えるスカイツリー。 しかしながら、場所によっては色々な表情を見せてくれます。 スカイツリーの高さは634m(ムサシ)で、関東一の高さであります。 電波塔の役割を果たしており、2011年より地デジのテレビ番組移行のため作られました。 様々な表情を見せてくれるスカイツリー。 これからも僕たちを魅了してくれるでしょう😊
始まりとは生まれること。 人生が始まる。新しい生活が始まる。趣味を始める。人との出会いが始まる。 それぞれが初心な何も知らない状態から始まる。 小さいときは、始まるということに何も嫌悪感がなかった。 しかし、年が経つにつれ、それはつらく、避けるようになり始める。 新しい経験を始めることが少なくなっていくことへの腰の重さか? または、始めることによる最初の挫折、現実が怖いのか? 小さいときのわくわく感、楽しみはどこに行ったのか? 勇気を出して一歩を踏み出すこと。
毎年訪れる1日。 楽しい気持ちとワクワクを胸に過ごした時間。 終わりのベルが鳴る。 不安や悲しみを感じる日でもあるかもしれない。 しかし、時は繰り返される。 また1年後やってくる。 その時の自分はどうなっているだろうか。 また、あの世界を見に行くために僕らは一歩を踏み出す。
走馬灯のように蘇るあの日々 決して戻ることのないあの瞬間がフィルムのように脳に焼き付かれる 懐かしい、楽しかった 昔の余韻に浸っている ふと考える。 思い出はその名の通り、思い出すものなのか? まだ、作ることができるんじゃないのか? 僕らは死ぬまで思い出というフィルムを作り出すことができる。 誰にも見れない、自分だけの宝物として
まだまだ暑い日が続く中、太陽が輝き、地面を光らせ反射させます。 写真にもその輝きが反映され、美しい世界を作ってくれています。 輝く日々、、、 そんな毎日が続くとすばらしいですね☺️
幸せとは近くに落ちているもの。 視野が狭くなったり、遠くを見過ぎてしまうと見つからない。 幸せとは、小さな積み重ね。 テレビを見て笑ったり、ただ分かり合える人が隣りにいるだけで優しくなる気持ち。 幸せとは、自身を褒めること。 少しのことでも自分を褒めること。 人は幸せによって成長し、強くなる。
道を歩けば、ふと目に入る花々。 今回は、河川敷などにひっそりとたたずむ花々の写真を2枚ピックアップしました。 歩いているだけで、美しい自然は広がっています。是非、美しい自然をご堪能ください。
人は真実から目を背け、何か別のものに罪を押し付けようとする。 それは本当に真実から目を背けようとしているのか? それとも議論しすぎた上で別の方向に行ってしまったのか? 真実へ核心をつけるのは難しい。