学級・専科経営こそ、デザイン的な思考を
コグニティブデザイン
最近、こんな動画を見ました。
人の認知のクセを利用して、人の心地よい行動を促すデザイン(コグニティブデザイン)に関する講義形式の動画です。
この中で、研究室にシャインマスカットが贈られた、という話がありました。
うれしいことなのですが、房のまま冷蔵庫に保管したので、
「最初に手を付けづらい」⇒「牽制しあう」⇒「シャインマスカット劣化」⇒「おいしくない状態のシャインマスカットをみんなで食べる」という問題が自然発生してしまった、という話。
この話には続きがあり、
またシャインマスカットをもらったのですが、そこに改善が加えられました。
房のままではなく、房から外され、紙コップに一人分を分けた状態で冷蔵庫に入れたところ、
一人分が明確になり、新鮮なうちに、自分の好きなタイミングで食べることができたそうです。
また、こんな話もありました。
ある美術館で、靴を脱いで入ってきてほしい展示がありました。
「土足厳禁」という貼り紙以外に、入口には、脱いで並べられた靴が二足。
しかし、展示先には、誰一人いない。
ホラー話ではなく、その靴は、美術館の学芸員が置いたダミーの靴。
その靴自体が、他の参観者に靴を脱ぐ、ということを促すという構造です。
学級・専科経営こそ、デザイン的な思考を
デザイン、というと学級経営には縁遠いイメージもあると思いますが、このように人の行動を促すデザインもあります。
そして、人の行動を促すということは、集団を相手にする教師にこそ、習慣化させたい思考かもな、と。
相手が動きたくなる環境を作ることで、なんだか居心地のいい空間を作るイメージ。
(そう簡単にはいかないかもですが)ただ、デザイン的な思考だけではないですが、そのようにある考え方をいつも働かせていると、その思考が癖になり、些細なことにも気がついて、自然と環境構築できるようになるとも思います。
たとえば1
実際に見かけた悪い例として、
例えば、2年生の生活科、おもちゃづくりのワークシート
①めあてを書く場所
②こんな乗り物を作りたい(言葉)
③イメージ図
を書かせるのですが、
③を大きく書かせたいので、このようなレイアウトになっていました。
しかし、教師の板書は、
このような感じ。
どちらも、教員からすると、あまり違和感のないベーシックな形ですが、
子供からすると
・ワークシートには①があるけど、板書にはない
・ワークシートでは①の下は③なのに、黒板だと②
・①は写すのに、②は写すのか、自分の意見だけでいいのかわからない
・同様に、③は先生の例を真似するのかしないのかわからない
というような問いが生まれる可能性がでてきてしまいます。
もちろん、高学年や中学生ではそのような問いはなくなるかもしれませんが、
そのときの2年生の授業では、実際に迷って書けない、②の部分を③の欄に書く、など不具合の生まれていた児童も何人かいました。
ワークシートを拡大した同じ物が黒板にあるだけで、児童が書き間違えを大幅に減らすことができると思います。
たとえば2
手前味噌ですが、これはコグニティブデザイン的な発想で作った題材。
絵を写実的に、もしくはイラスト的に描くには、対象の特徴を事実のまま細かく見ることが大切です。
そのために「よく見て描きなさい!」という指示をしてしまいがちですが、その指示は言葉としては簡単ですが、
それだけだと、子供のやる気を喚起できない。
なので、自然に「細かく見たい!」と思わせる仕組み≓ゲーミフィケーションを取り入れました。
ただ、ゲームをするだけだと、「細かく見る」という視点がないまま進んでしまう児童もいるので、「みんなは既にやっているんだけど・・・」「今回のめあてはよく見ると絵が得意に」なるんだよ、と繫げることで、この時間に実感達成してほしい意識を持たせることができました。
たとえば3
給食で、お皿を割る子が多い学級がありました。
一度、補教(担任の代わりにその時間に別の教員が入る仕組み)でその学級の給食に入ったのですが、片付けのタイミングが同時で複数の児童が給食のワゴンに向かうにも関わらず、
お皿を戻すための「かご」と「かご」に距離がありました。おぼんを置く場所から一番遠い「かご」まで1m以上の距離がある。
お皿を割る原因が思い当たったので、お皿を戻す「かご」をひとまとめにし、一箇所に集まれば全ての皿を片付けることができる状態を作りました。
もちろん、ラッキーもあるかもしれませんが、お皿も割れず、そのクラスの子いわく「今日は片付けが速かった」そうです。
居心地の良さを考えるのがコグニティブデザイン的経営
注意されすぎると、イライラしたり、動きがぎこちなくなったり、パフォーマンスが発揮できないことは、子供だけでなく、大人もあることだと思います。
また、あまり会わない親戚の家に行くと、なんだか居心地が悪くて、変な感じになってしまうことも往々にしてあると思います。
逆に言えば、クラスが(または授業が)なんだかよくわからないけど心地よい、という環境になれば、子供もミスが減ったり、価値付けや褒めやすい状況が生まれるかもしれません。
学級経営、専科経営がうまくいっていないときは、
もしかすると、自分の都合ばかりで環境を作っているかもしれません。
「学級・専科経営こそ、デザイン的な思考を」