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自由が丘の自由な風


久しぶりに自由が丘を散歩した。


最近の私にとって、自由が丘駅とは乗り換えとか夕飯食べる時に使う駅だった。



今回は見たかった展示や好きなカメラ屋に寄りに自由が丘を散策。


すると、心が大学時代にするりと戻るではないか…


できごと① 過去を思い出させる一眼レフ

絵のポートフォリオ用に、ちゃんとしたカメラを購入した方が良い!と周りの勧めがあったのでカメラ屋に入る。

カメラのことは全くよくわからないので店員さんにおすすめのカメラは?と聞いてみる。

最初は色々提案してくれていたが、私があまりにも受け身な聞き役だったためか、段々店員さんの話が「俺の中のカメラベスト5」みたいな流れになってきて途中から私の目を見ないでカメラについて語り始める。

好きなことの話ってそうなるよな、と思いつつ、店員さんの話を聞くよりも、とにかくカメラ手に取って試したい気持ちになったので一眼レフやミラーレスを片っ端から試させてもらう。


背景がいい感じでボケる一眼レフカメラを触っていた時、留学時代のカメラ好きな友人を思い出した。


旅行に行く時も必ず首から重たいカメラをかけ、インスピレーションが湧くたびにシャッターを切っていた友達。あの頃は本当に自由だった。


人の目や世間体よりも自分の思いつきや感情表現を大事にしていた時代。表現をすることが何よりの喜びだった。


私のインスピレーションはまだまだ尽きないが、最近の私の周りの世界では自由に感情表現をしづらい感じになってきた。自由に振る舞っても距離を置かれそうになる時もあるし(当たり前でしょ、とツッコミが今にも飛んできそう。)


あの頃って自由で、未来が不安だからこそ、色んなことを経験しておこう!みたいな意思の下、当たって砕けろ精神でいろんなことを表現したり行動してたな、とふと思い出したのだった。


できごと② 7年ぶりに来た水着

散歩ルートのそばにプールがあったので、7年ぶりにプールに入った。

水着は大学時代に買った上下別れてるちょっとおしゃれな重ね着風の水着。
デザインはシンプルだし、まだ着れるよな?と思って着てみたら、案外似合っていた。

ただ、下の水着は紐がもうゆるくなってしまっていて、バタフライをするときに何度も脱げそうになってしまった。さすがにもう世代交代か。


「まだ似合うじゃん、歳とったこと落ち込まなくていいや!」とポジティブな気持ちになっていたけど、この水着を試着したときの印象を思いだすと、やっぱ歳とったなって現実に戻る。試着した瞬間、自分の新たな魅力を発掘したような気持ちになったっけ。


色んな服を着れるだけ着ることが楽しみであり、半ば生き甲斐だった。


しかし最近は似合う服を着た時のパァッとなるあの感じが全然ない。
似合う服を着て鏡の前でキメ顔をすると自他共に認めるかわいいfaceで、1人の部屋でも鏡の前でファッションショーをしていたっけ。


今じゃ鏡の前で「どうやったらワカ見えするかな…」とか考えているもんだから、時が経ったと認めざる負えない。

降参ですね。


できごと③ 緑ヶ丘駅に向かう途中

緑ヶ丘駅まで歩いている途中、たくさんの若者とすれちがった。1人で歩いている人、カップルで歩いている人。色んな人がいたけど、みんな自由の風がびゅうびゅう吹いているように見えた。

なんかわからんけど意思を貫いてるような表情で歩く人、スマホ片手にサークルの話題で会話に花を咲かせる人、髪の毛濡れたまま家に向かってるような感じの人。


いやいや、羨ましいけど、だからといって彼らも就活とか人生とか悩んでて苦しい時期でしょ、と思いつつ、やっぱり懐かしくて羨ましく感じる。


まだ将来は未定で、老いを知らない人たちだけが持てる余裕を彼らは持ってるのだ。

私にもそんな時代があったのかと思うと信じられないが、ちゃんと思い出せば確かにあった。


社会人になってしばらく経つけど、「ザ☀︎社会人」にやっぱりなれなくて、でもなろうとしてもがき、でも一方で学生時代の自由な発想や恐れを知らぬコミュニケーションをずっと手放さずにいたいとか思ってしまう。


自分が社会不適合なのは薄々勘付いてはいるけど、そんなだからこそ自由が丘の自由な空気感や大学時代の自分の世界が大好きだったんだよなぁとしみじみ受け止めるしかない。

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