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クメール正月代休案に乗らないカンボジア人

※2021年中にオンラインサロン内専用コンテンツになる予定でっす

田舎に帰れなくても、正月は休みたいカンボジア人

今年のクメール正月はもう自粛、規制で少なくともプノンペンはお通夜のようになると思う。
理由は言うまでもなく、新型コロナだ。
仕方がない。

そこで、自分がお世話になってる組織では、カンボジア人の代表がこう提案した。「お正月は普通に仕事をして、規制が明けた時に休みにしよう。そうすればみんな田舎に帰れる。」
そしてこうも付け加えた。
「仕事とはいえお正月だから、その間のご飯は豪華にしよう!」
自分は悪くないと思った。
プノンペンに働きにきているカンボジア人の何よりの楽しみはクメール正月に田舎に帰ることだと聞いていたし、休日の日数は変わらない上に豪華なご飯が食べれるじゃん!
当然みんな賛成かと思ったら、意外や意外、結果は全く違った。

その場にいたカンボジア人全員が、正月は予定通り休みたいと言ったのだ。
びっくりした。

確かに正月に働きたくないと言う気持ちは分かるけど、規制解除されてからの代休なら田舎にも帰れる。このまま規定の正月に休んでも当たり前だが帰れない。(州を跨いだ移動原則禁止)

田舎に帰らなくてもいいのか??
整合性が取れているように感じられなかったが、カンボジア人は満場一致。
結果、代表の提案は棄却となり、このままクメール正月を休むこととなった。


不安が先行する日本人

日本人は遺伝子的にも不安を感じやすく、鬱傾向なのだそうだ。
不安だから備える。
不安だから蓄える。
不安だから積み重ねる。

逆に、もしも不安がなかったなら、備えず、蓄えず、積み重ねず、と言うことになるのでは?

カンボジアの数奇で破壊的な歴史を乗り越えてきた事実を語る上で、カンボジア人の楽観的気質が語られているのをいくつかの文章で見たのを思い出した。

日本人は先のことを考えるので、
今、正月休みを取らないで働き、いつか規制解除後に休んで田舎に帰る案を受け入れやすい。

それに対しカンボジア人は、今回の正月には何よりの楽しみである帰省が出来ないのを承知で、それでも目の前の休みを手放したくないということだった。いつ休めるか分からない休み(コロナ制限解除は誰にも分からない)よりは、確定してる休みに重きを置いた。。。? いやでも帰省の重要度は。。。??

言葉の壁を踏まえたとしても、日本人には理解し難い瞬間だった。


今を生きるか、先々の不安に備えるか

これはどちらがいいという話ではないと思うけど、根本的な違いだと思った。

日本人は、信用や知識を積み重ねるが、鬱になる程心配性な気性。
カンボジア人は今を生きることしか考えない短期的で楽観的な気性。
日本人は老後の心配が先立ってなんだかいつも忙しくて、恵まれてるにも関わらず幸福度が低め。
カンボジア人は辛い歴史も乗り越えて先々の不安に押しつぶされることも少ない。

日本人がいくら今を犠牲にして積み上げて先々の不安に対応しても、死んだらそこで終わりだ。老後まで生きてる保証はどこにもない。想定している不安が必ずやってくるとは限らない。
カンボジア人の底抜けの楽観的な営みは積み信用や上げられないし、用意周到に戦略を立ててくる相手には翻弄されるだろう。鬱とは対局にいられるだろうが、長期的な損得勘定で勝てる見込みは薄い。

・・・

う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん


これはもう、賭けだよ!笑っ

自分に合った思考回路と、
それが活かされる環境で生きていこう!
どっちが好きか、どっちが自分らしいか、
コストを割いて自分のための人生をデザイン#していくんだ!

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