調べたいこと、考えたいこと。【KLiS アドカレ2024】

この記事は、klis Advent Calendar 2024の13日目の記事です。


自己紹介

ずきもといいます。

KLiSの2年生(2023年度入学)です。
某所司書やってます。

学術的趣向は図書館情報学(LIS)と教育学です。教育学の範疇だったら哲学とかも話は聞けます。自分からはあまり話せないかも。
教職課程を履修しています。残りは3年次固定の三科目と教育実習、総まとめだけ。今日までにほとんど終わらせました。

日常的に友人とLISについて議論したり、主に友人が見つけてきた論文を元に私が若干ずれた考えを示してうんざりさせています。すまん。
また、教育学に関しても自主的に勉強をしています。というより、教育学類の授業を受けるのが履修上難しいので(唯一教育基礎論は履修しました)自分でどうにかするしかないんですよね。

そういうわけですから、KLiSでは教育学のことを、教職課程(⇔教育学)ではLISのことを持ち込んで話したりしています。

(教職課程が厳密には「教育学」に入るのかどうかという問題が起こりますけれど(「教職教育学」?)、今回は便宜上、教職課程と教育学を同値に扱わせてください。……正直私が教職課程で好きなのは理論とか思想とかのところなので、教育技術とか工学などにはあんまり興味がなく、実際やっているのは教育学なのかな、と思ったり)

LISの文脈で何がしたいの

情報探索行動という分野があって、そこでは人が情報を得るときの経路や状態、環境などを研究しています。例えば人はぼんやりとした疑問を浮かべて(ニーズ)、具体的な疑問文にして(クエリ)、解決へと向かっていく、といったことを事例を元に研究しています。
これを聞くと「当然のことじゃないか」と思うかもしれませんね。私もそう思っています。むしろ、そういった「当然のことを丁寧に研究して理論立てている」のがこの分野だと思っています。

この分野で私は「高校生がどのようにして外部との知識情報の交換を行っているのか」を調べてみたいのです。(言うは易く行うは難し~)
例えば、

  • 不登校になった子どもが社会への一歩を踏み出すときに、そのきっかけとなる情報はどこから手に入れたのでしょうか。

  • そしてその踏み出した先ではどのように情報共有をして生活しているのでしょうか。

  • 最終的に、自分の不登校になった原因(ニーズ)を落ち着いてクエリとして処理することができるのでしょうか

……といった具合の研究がしてみたいのです。
もしこれがちゃんとした理論として提示されれば、不登校の子どもたちにどうやってアプローチをかけてあげれば背中を押すことができるか……いや、そんな誰かから無理やり押されるのは嫌だろうから、自らの手で情報を得ることができるか、情報を得られる環境とはどんなものなのかがわかる、と考えています。

ここに情報貧困理論とかが絡んできて、割と面白い意見が言えそうになっていたのですが、そもそも情報貧困理論を研究していた研究者が故人なので悲しい事になってるとか、論文読んでみたけど思ってたんと違ったりして結構困っている。更にそもそも情報探索行動を研究してる日本人研究者あまりいなくて本当に困っている。どうしようね。

とかなんとか言っていますが、ここからは小話形式でLIS厄介オタクムーブ、教育学ニワカしていたところをかいつまんで開示します。

「図書館」で教育学を話すシーン

LISの話で図書館の話を先頭に持ってくるのは合ってるのかどうなのか、わからなくなってしまった。これも厄介やってるからです。

3rdスペースとしての図書館

自宅、学校・職場に続く第三の居場所として「図書館」が置かれるのではないでしょうか、という意見をまず述べました。ついでそこに、学校に行きづらいと考えている子どもたちは図書館に行って自分の時間として勉強ができる、という意見を述べました。
あとは「図書館の司書って体感優しいので、知りたいことを何でも教えてくれるような存在、先生とはまた違った知識情報をくれる存在としても成り立ちそうですね」というものを言ってみたり。この発言をしたときには公立図書館についての話でしたから、学校図書館について触れませんでした。ですが、お察しの通り学校図書館もまた「学校の中の3rdスペース」になっているのではないかなと、考えてみたりします。自宅、自分のクラスに続く第三の居場所としての学校図書館。実際、学校に来るのが苦手な児童生徒に、学校図書館に来てみてはどうですか?というアプローチをかける学校もあるそうだ。保健室登校とはまた違った形式の通学形式はもっと広まっても良さそう。

「LIS」で教育学を話すシーン

次に話すことに妥当性があるのかどうなのかはイマイチわかってません。話さないから誰からも指摘されないし、指摘する人も少ないし。もっと日本でLISの研究やってくれないかなぁ~

周囲からの知識の獲得

そもそも知識を得るためにはどうすれば良いのでしょうか。何も学校で教わることだけが知識ではなくて、学校の外のフィールドでも学びを得ているのが現実です。(この辺り文献があったけどどっかやりました)つまり、「学習」という行為そのものが、当事者の周囲にあるさまざまな知識を、送信者が伝達したかったかどうかに左右されずに、学習者は取得し続けています。
これを見ると、学習者が日常生活を送っているそれは常に学習であり、知識の獲得であると言えるのではないでしょうか?
(この辺りは情報探索行動論とかで考えられそう)

教師から生徒への知識伝達

教育というのは教える人がいて教える対象があることによって成り立っているのですが、望まれるのはただ教えてもらうだけではなく、ただ教わるだけではなく、互いがコミュニケーションをとって真理を求めにいくことだと思います。もちろんそこに至るために知識が必要ですから、教師から教わったりもします。
ソクラテスが行ってきたように、人々と対話を通じて知識を深めていったわけでして、現代における求められる教師像というのは、ただ教えるだけではなく、対話を通じた生徒への知識伝達なのではないでしょうか。
こういう意見を頑張って述べれば、常日頃話題になる「教師不要論」に対する反論ができそうなものですが……あとはオンライン授業だけでいい、というのにも異を唱えられそうです。対話を通じて知識を獲得してきたことは歴史が示していますし、何よりも人生の最も不安定な時期である10代を教師無し、無機質なオンデマンド授業だけで成長させるのはだいぶ無理があるように思われます。

「教育学」でLISを話すシーン

J.デューイの「学校と社会」

ジョン・デューイが出したこれ↓

John Dewey. “School and Society: Chapter 3: Waste in Education”. A John Dewey source page. https://brocku.ca/MeadProject/Dewey/Dewey_1907/Dewey_1907c.html, (参照 2024-12-9).

日本語訳↓

ずきも訳

これ作る時にこの研究室(東京大学大学院情報学環・学際情報学府)に繋がった時、個人的にちょっと沸きました。

J.デューイという哲学者がいたのですが、その人が書いた「学校と社会」という本の中に登場する学校モデルがこれです。J.デューイは民主主義大好きおじさんなのでその系統の話が多いですが、教育哲学の世界に大きな影響を今もなお残している人です。

これに関しては教育学にLISを持ち込んでいるというより、LISの文脈で考えられたりしそうだよねって話です。ちょうどこの図が根本先生の「図書館教育論」って本で出てきました、しかも冒頭に。この図について書かれた本を私も持っててちょっと読んだことがあるってのが嬉しかった。参考文献を探す過程で読むんじゃなくて、もう既に触れていた状態で別の本に登場したときって格別の嬉しさがある。

某先生と話したときにこのモデルの話がぽっ、と出てきたので、結構大事らしいです。なんだか嬉しい、自身の学類の先生がいつも考えていることも私は少し知っているから話についていける、話題を振れることの嬉しさ。

J.A.コメニウスの「世界図絵」

ヨハネス・アモス・コメニウスという人がいました。そのひとは「すべての人にすべての事柄を教授すること」で有名な「大教授学」を記し、汎知学を謳った人です。百科事典編纂にも携わったことがあり、「個々の知識の集積と結合だけが問題なのではなく、世界の全体像の新しい視点が重要なのだ」と考えたり、汎知の体型を挿絵入りで説明した本を書いて、それが「世界図絵」になっています。

結構ワクワクするな、と思ったのは次の部分です。「世界図絵」についてヒューリマンという人が次のように評価したそうです。

「三〇年戦争によって心ならずもおおくの国々を流浪したコメニウスは、旅の途中で子どものみじめなありさまをたくさん目にしたにちがいない。……コメニウスがみたのは、戦火に荒らされた国々の、見捨てられた子どもたちばかりではなかった。抽象的な学問をぎっしり詰めこまれる上流社会の子どもたちをもみていたのである。……本というものを知らず、世界については自分の住む、戦争にふみにじられたみじめな環境しか知らないまったく単純な子どもにとっても、また、単語、数学、格言の丸暗記ばかりさせられていたもう一方の子どもにとっても、そぼくな木版画の挿絵をたっぷりいれた、わかりやすいこのささやかな本の出現は、いわば一つのセンセーションであった」

「コメニウス教育学の研究」(井ノ口淳三)のなかで引用されていた
「子どもの本の世界」(ヒューリマン)
孫引きですみません……

教育において絵本がいかに有用かは言うまでもないですが、それでも活版印刷が登場して間もない頃の時代に、挿絵が入った教科書を作ってそれを元に知識をどのような人にも広めよう、という考え方は「知識」を扱うLISからすれば結構面白い話なのではないでしょうか。

ちなみにこの話をDiscordで高校の友達に喋ってたら、いびきかいて寝てました。前置きでつまらないよって言ったけど、ごめん。

まとめ

色々話してきましたが、とりとめもないことばかりです。
とりとめもないことばかりですが、案外LISと教育学って接点ありそうだなって思います。そもそも知識の伝達・共有というのがうちの学類でも積極的に触れられますが、これって教育のそれと同じですからね。

これを読んだ方、ぜひご意見お聞かせください。同期とか、後輩とか先輩とか、先生など。ほんとに待ってます。誰か図書館情報学を語る人になろう~~僕はよくわかってないから誰か教えて~~

LISってなんなんですかね。わかりません。勉強が足らないです。

でもLIS好きです。何でもできそうなので。




おまけ


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