595杯目:西野亮廣さんの話で、腑に落ちた勉強の時期
冒頭から結論を言っちゃうと、勉強の時期というのはないと思っています。
なぜなら、一生勉強だと思っているから。
それだとこれで話が終わってしまうので!?タイトルの話に。
いつだか西野亮廣さんのブログか何かの文章で、『学校の勉強というのは大学に行くまでの勉強』という言葉がありました。
この1フレーズで、全ての疑問と迷いが吹っ飛びました。
なんか自分も含めて、勉強するのは学生までのことって思っている人が多いような気がします。
でも、そう思い込んでしまうのも無理はないとも…。
それは、子供の時によく親や先生から言われた『勉強は大人になるために必要なもの』『大人になった時に役に立つから、子供の時に嫌でも勉強するもの』そう言い聞かされていたような気がします。
当時子供の自分は、『そうなんだ?大人になるために勉強が必要なんだ!』と、嫌々ながら勉強をしました。
できるできないは別としてf^_^;
勉強自体が好きな子供もいたでしょうけど、全体的にはそんな考え方だったのではないでしょうか?子供って。
しかし、この意識が強い過ぎるというか、そう洗脳されて!?イヤな勉強をしていたから、学生時代が終わり社会人になった瞬間に、もちろん別の責任は出てきますが、『これで勉強しなくてイイ\(^ω^)/』って開放された気分になった人も多かったのではないでしょうかね?
そう勉強は子供の時にするもので、大人になったらしなくても良いもの。
勉強と言っても、イイところ仕事のために取らなくちゃならない資格の勉強や、昇進するための勉強くらい!?
よく話で出てきますよね。
「学生の時に勉強した、微分・積分なんて一生使わないからムダ」という話。
確かに自分も大人になるための勉強なら、字の読み書きと数字の計算ができるようになれば良いんじゃないの!?って思う部分もあります。
そのほかは、西野亮廣さんが言うように、お金の勉強をした方がよっぽど、大人になるための勉強になるんじゃないの!?って。
ただ、子供の可能性を見つけるという意味で、大人になったら一生使わないと思われる勉強も必要だとは思います。
なので、西野亮廣さんが話した『学校の勉強というのは大学に行くまでの勉強』という言葉が大変腑に落ちました。
という事は、大学以降のことについては、改めて勉強をしなくてはならないという意味にもなります。
資格や昇任試験以外でも。
自分の反省も含めて、そう言った意味で勉強していない大人や親が多くいるような気がします。
じゃ、大人の勉強ってなんなんだろう?
仕事に関した勉強は当然として、大人の勉強って人として生きていくための勉強なのではないかと思っています。
それができていないから、出世して社会的には立派な人でも、人として未熟なんじゃないの!?って思う大人もいるのではないかと…。
きっと、そう言った勉強をしていった人が、人生も豊かに送れるのではないかと思っています。
子供の時のように時間割で決められて、イヤな勉強をしなくてはならないという縛りの時間がない大人だけに、勉強している人と勉強していない人の差が、学生時代の時の差以上にかえって大きくなってしまうものだと思います。
『習うは一生』
ということわざがありますが、まさにそうだと思います。
自分の反省を込めて、『人として生きるための勉強』をいつまでも肝に銘じて生活していきたいと思います。