299杯目:一度だけ生で観た志村けんさんの思い出
3月30日、志村けんさんがお亡くなりになったのをネットニュースで知りました。
芸能人の、それも子供の頃から観ていた方の死は特に応えます。
そして今回お亡くなりになった原因が、
今世界が直面している新型コロナウイルスということが、
寂しさとショックと怖さと、
今までに経験したことのないなんとも言えない気持ちです。
既に世界だけでなく国内でも新型コロナウイルスが原因で亡くなった方もいます。
なので、同じ人間の命に重い軽いも大きい小さいの違いはありませんが、
やはり子供の頃から生前の姿を観ていた者としては、
やはり辛い死です。
志村けんさんのご冥福をお祈りします。
そして、自分の人生の中で、一度だけ志村けんさんを生で観たことがあります。
その時の思い出話を・・・。
自分が志村けんさんを観たのは中学生の時。
見たではなく観たなので、舞台を観ました。
それはドリフターズの地方公演で、自分の住んでいる市の体育館にドリフがやってきたのです。
その頃、自分の認識では、ドリフターズといえば
毎週1回のTBS『8時だよ、全員集合!』と
毎月1回のフジ『ドリフの大爆笑』
のテレビの中の存在でした。
今ならネットやSNSで、そのテレビ以外のドリフの様子を知ることもできるのでしょうが、当時の自分は完全にその2回のテレビの中の存在だったので、そのドリフが自分が住んでいる市に公演にやってくるというのは、本当に夢のようでビックリして、もちろんチケットを親に買ってもらい家族みんなで観に行きました。
テレビ以外は、このように地方巡業みたいにしていたのかもしれませんが、
当時の自分にはそこまで考えは及ばず、ただただテレビの中の人が自分の目の前に来るということで興奮していたのを思い出します。
その頃、8時だよ全員集合!のコーナーの中の一つ、『ヒゲダンス』が人気というより、すごいブームになっていて、他局の番組にまでゲストで呼ばれて、加藤ちゃんと志村さんがゲストで『ヒゲダンス』を披露していたほどでした。
それこそ、2つのドリフの番組の中の人だと思っていた自分にとって、ドリフの番組じゃないところにドリフのメンバーが出演している姿は衝撃的でもありました。
そして、そんな『ヒゲダンス』がブームになっている頃、ドリフは自分たちの街にやってきたのです。
しかし、自分には一つ不安が・・・。
ブームになったとは言え、ヒゲダンスが始まってから1年近くが経っていたので、
ドリフターズがその公演でヒゲダンスをやってくれるかどうかの不安f^_^;
中学生ながらに心配していたのです。
そして公演当日がやってきました。
父の運転で体育館に行き、そこは椅子席ではなく、
体育館床面いっぱいに貼られたシートの上に座ってみるというスタイルでした。
広大な運動会の保護者応援席のような感じ。
もちろん、あちらこちらで友達にも会い、
ちょっとした学校外での社交場のようでした。
きっと保護者で行った大人たちもそうだったのかもしれませんね。
それがまた地方公演の良いところ。
ましてやドリフターズはお年寄りから子供まで人気があったので尚更でした。
そして、幕が空きました。
テレビの中の世界だったあの巨大な家のセットが目の前に現れました。
普段、見慣れていた体育館のステージが別世界のものに感じました。
その時の感想を言うと、テレビだとやはり大きく見えていたのでしょう。
本当いうと、本物だと意外とそこまで大きく感じませんでした。
でも生で見る、ウワーッと迫ってくるような迫力には圧倒されました。
いかりや長助さんが母ちゃんの姿で出てきて、
『ウォーっす!!』の挨拶。
8時だよ全員集合さながらの母ちゃんとバカ息子のコントがスタート!
ドリフのコントって、毎週観ているからオチも分かってるはずなのに。
それでもなぜか何度観ても面白いんですよねー。
ここで、たらいが落ちてくるぞ!、とか
ここで、柱が倒れるぞ!みたいに。
そして、コントコーナーが終わり、そこからの短い時間でのセット変更、変換。
この時のスタッフの無駄のない早い動き。
まさにチーム・ドリフターズでした。
いつも、スタッフが撤収でテキパキ動いている最中に、
ドリフのメンバーが袖にはけないでウロウロしているのかと思っていましたが、
撤収作業ばかりにお客様の目が行かないように、
場持たせだったのかもしれませんね。
そして番組と同じ流れで、歌手の歌があり、合唱コーナーがあり、
そして、ヒゲダンスの音楽が流れてきて・・・
キターーーーーー!!!!!
ヒゲダンスやってくれたー!
なぜか嬉しかった反面、涙が出そうになりました(苦笑)
この時は、遠くからグレープフルーツを投げて、
剣に刺すというヒゲダンスの代表的な演目でした。
2時間!?今では正確に覚えていませんが、
あっという間の時間でした。
テレビの中の世界が、
目の前で繰り広げられた自分にとって貴重な体験と時間でした。
今なら、メディアは多様にあるでしょうけど、
少年だった自分にとっては、テレビが絶対の世界だったので・・・。
今も盛んにニュースやワイドショーで、志村けんさんが亡くなったことを報道していますが、志村けんという固有名詞だけでも十分伝わるのですが、やはりドリフの志村けんなんですね。
まさか長さんの次に、志村けんさんがあの世に行かれるとは思いませんでした。
改めてご冥福をお祈りいたします。