
宝塚ファンでいる事は失われた青春時代を追体験しているかのようだ。
「女子校出身者にもえこ(瑠風輝さん)好きが多いのではないか」
と、言うシャーロック・ホームズもびっくりの仮説が飛び込んでた我がTL。分かるよ!分かるーーー!!まさに女子校育ちの私はマリーアントワネットの芹香さんばりのぶっとい声で「分かりみ深いやないかーーーーい!!」と言いながらいいね!を押しまくった。
確かに女子校育ちの方がより共感は出来る。宝塚音楽学校だって女子校だもんね。女子しかいない環境で育った経験をしたら親しみ湧くよね。女子なのにかっこいいバスケ部の先輩とかいたもんね。ショートカットですらっとした同級生とか。ちょっと若い男の先生とかモテるんだよね。私の当時モテてた先生20年ぶりぐらいに見たらすっかりおじいさんになってて笑った。もうあの先生言っても定年近いわな~。私もアラフォーだもんな。
女子校出身者もそうなんだけど、一部の人にとって宝塚歌劇団を応援すると言う事は失われた青春を取り戻しているかのように思えるのよね。
だって宝塚歌劇団なんて青春そのものじゃない。「舞台人を目指す」目的を同じとする少女たちが全国各地から集まって選ばれて来た。同じ釜の飯を食う、苦楽を共にする。泣いたり笑ったりしながら切磋琢磨する。濃密な上下関係、信頼関係が舞台やオフから垣間見える。OGになってもあの頃は~と言いながら何十年先も笑い合える。その姿は眩しいし羨ましい。そんな絵に描いたような青春をそっくりそのまま送れる人って多くは無いと思うんだ。
下級生は笑っちゃいけないとか、電子レンジのチン!と言う音を響かせる前に取り出す。きめ細やかな独自のルールを揶揄される事もある。一般企業だとパワハラ・ブラック労働と言われかねない環境と誤解される。演出家の先生にシゴかれた!なんてエピソードがよく聞かれるが、その先生が作り出す作品に信頼が無ければ耐えられない。多分「この作品を作り上げていく」と言う強い気持ちがあるのかな。そのぐらいに信頼できる先生に出会いたかったな。これらを笑って話せるって全力で取り組んで来たからなんだろうね。(部活動のシゴキとか指導と称した暴力暴言は絶対許せないけど!)
臨床心理士さんによるカウンセリングを受けて1年が経つ。
カウンセリングって言うと大層に聞こえるけど、もっとみんなカジュアルに使うといいと思う。うつ病になって取り返しがつかなくなるまでに受けて欲しい。肩凝ったからマッサージ行くぐらいの感じで「ちょっと聞いてよ!!」と言うような感じでね。対面は確かに高いけど、オンラインや心理学部のある大学の相談センターみたいな所だと幾分リーズナブル。相手は臨床心理士でその道のプロフェッショナル。ぐちゃぐちゃと溜まった思考を一緒に整理整頓してくれる。幸いにもウマの合う先生に出会えて、この1年近く月に1~2度思考の断捨離を手伝ってもらっている。
「あなたは思春期の頃に思春期らしい感情の出し方を出来なかったのかな。だからどうしていいのか分からない。大の大人がいきなりギャー!って言うから皆びっくりするよね。あなたは今青春時代を取り戻しているんだよ」
それを聞いて、私がこれだけ宝塚歌劇団を好きでいるのは「失われた青春時代の追体験」なんだろうなと腑に落ちた。
大人にならないと「学生時代は学生らしく過ごす」事の価値に気付けない。何を持って「思春期の頃に思春期らしい感情を出した」かは、人それぞれの環境があるので何とも言えないけど。家庭環境にもよると思うし。コロナ禍で休校やリモート学習になった事で思春期の頃に人と関わりぶつかり合う経験を失われてしまった。お友達と全力で喧嘩して仲直りする、高校最後の試合が中止になる、部活に打ち込む、大学に入ったのにキャンパスに行く事が出来なかったとか。そう言った経験の有難さって大人になってからでしか気づけないし失われた経験を思い知るのってずーっと先の事なんだろうなって思う。
私は人とコミュニケーションを取るのが苦手で、同世代の友達と上手く関係が築けなかった。とにかく分からないけどギャーーー!!と喧嘩しぶつかり合って仲直りしたり、話し合ったり、楽しい!嬉しい!と言えなかった。友達だって言える人が居なかったし、どうせ理解されないと諦めていた。だから年の近い人達と切磋琢磨し同期と10年後もあの頃は~と笑い合える関係がとても羨ましい。
そんな私でも、青春時代の追体験をしながら少しずつ変わっていく気がする。今までの趣味やコミュニティと違って人間として変わっていく。そんな気がしている。これは宝塚ファンだから出来る事ではないかと思っている。
怒っていいんだなって、嫌だと言う気持ちは持っていい。自分はこうしたいと意思を示す事。周囲は案外それを受け止めてくれているんだと言う事に気付いた。日本人って怒ってはいけないとか、謙虚とか感情を押し殺して空気を読む事を美徳とするじゃない。滅私奉公とか言うもんね。
少しずつ嫌だ。が言えるようになった。
その先に「だから変えて欲しい」「それはやりたくない」「私はこうしたい」を伝える事。この壁に今立ち向かっている所だ。少しずつ客観的に「自分はどうしたいのか?」と問いかけて行動する。それが少しずつ出来るようになってきた。まだまだだけど…ね。
意見のすれ違いで気まずくなっても、ちゃんと話し合って「そんな事もあるよね!」と言える関係が出来た。私はソース味が好きで彼女はケチャップ派。そのぐらいの事で「ソース派の私はダメなのか…」落ち込んでいたのが以前の私だ。今はちょっとずつ「それでも私はソースの方が好き」と言えるようになったし、ケチャップ派の相手を受け入れるようになった。まだまだ自信ないけどね。
宝塚歌劇団を見て思う。あの頃にああやって人と人とぶつかり合って切磋琢磨したかった。だけど、大人になった今からでも少しずつ取り戻せる。
大丈夫、少しずつ変われる。
出だしですっかりもえこの話をすると期待させてしまい申し訳ありません(笑) 全然関係ないやないか~い!!と怒ってください。