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大丈夫。しにたくなっても涙顔でも明日息してれば良い。って思った話

眠すぎて・・・。
月曜で本業の仕事はたぶん休みだったけど
何することも忘れて寝ていたらしい。
今起きた。朝4時だ。
近頃、ホンマに休み?が
寝て終わることが多い気がする。
別に忙しいからではない。
疲労感はあるけれど。
どうせだから書いておく
昨日の事を。

もう一昨日の話になるが、この夕陽を撮っていたら、そこにフワッと友人が現れて、黄昏れながら話をしていたのだ。

また俺は、アイツの話を聞いていた。
19時に遭って朝4時まで。
(言っておくが、アイツは別にセクマイではない。セクシュアリティはシス女性でヘテロな友達だ)
9/8〜9にかけての話だ。

晩めしは、お好み焼きを作って食べた。

青のり無かった。笑。美味しかったよ我ながら。


いつも決まってアイツはいう。
「こんな話、したってみんな分かったようにポジティブに考えなって言うし、否定しかされない」と。
おまけに、、、

今まだ精神科にかかってるのに、精神科の先生にまで『○○さんはまだマシなんですよ』などと簡単に言い放ち、患者であるアイツの話など、まるで聞く気もなく、信頼出来ないのだと。人間関係を構築するのがメンドクサイし難しいってこぼされる。
本末転倒だと思うのだよ俺は、、
なぜ、精神科の病院の先生側が、アイツという患者に対して『ストレスの原因』に加担してるんだよ?と。ちょっと意味が分からない。
いつものように相手方は仕事であしらってるだけなのだろうが、それにしても、、本来ならば、先生対患者とはいえ、コミュニケーションを重ねながら、睡眠導入剤が無くてもすんなり寝れて、ストレスの原因を探り当て、それを回避しつつ普段の社会生活を取り戻すようにうながすのが役割なはずだろう。なぜここで、その先生とやらが『他人と比較されて劣等感にさいなまれてる』というアイツの根本にある『親から受けてしまった根強い自分への自信のなさ』を助長するかのようなことを言い、医者でもなんでもない俺のほうが、アイツの生命線を保つ側になってるんだろうかと。

どれだけ、なにか地雷源になってるスイッチが入ってしまい、アイツの脳が繰り返す過去のトラウマを見せだしてボロボロ泣き出そうとも、未来不安に押し潰されそうになりなって「こんなことずっとずっと精神科にかかってるけどはじめてなかんじで、、自分でも自分がわからなくて、、」と、ひとしきり『本人に気付かれたかった本音の塊』が、出てくるけれど、出てくるに任せて否定も肯定もせず、ただただ泣かせてた。泣きやんだら『そんな風に考えてしまっても別にいいんだよ、それも君だから』と。ただただ、俺は君が『しにたい』と思ってしまうことさえ、否定はしないと言ってる。
今の彼女にとって、ポジティブシンキングを押し付けられるのはさらなる自己否定に繋がりかねないのだ。ならば、いくらネガティヴなことだとしても、そのネガティブさを「そう感じてしまっても良いの。それも君の大切な感情だよ」と。

まぁ、つまるところ、俺自身も、かつては重度鬱をやらかしていた人間だ。だからこそ、付け焼き刃な「生きてれば良い事ある」とか「日にち薬だよ」とか「しにたいなんて思っちゃダメ」とかいう
ありがち過ぎる台詞を吐かれると『私の何が分かるの?』と、腹立たしさしか覚えなかったという経験がそうさせてるのかも知れない。

人の想いを受けとめるってそういうことだ。

俺は決まっていつも「またしんどくなる前に連絡しといで」と言って、ちゃんと笑顔でケラケラくだらない話が出来た状態でアイツを見送る。
俺のことを、本音を吐き出しても大丈夫な人なんだと認識されてるのなら、それは友人同士の会話として聞くけれど、ちょっとばかり、又聞きでしかないが、『それって精神科医としてどうなの?』と思った話でした。

こんなのは、スピリチュアルでもなんでもなく、ただただ友人同士の会話だと思う。

実のところ、連日、セクシュアルマイノリティの団体、えにし ↓のことでも活動はしていて

↑このことについても、色々と共有したい話は山ほどあるのだが、(俺はこの団体の副代表を今やってる)、一旦これで今回は締める。

ではまた!ずぅくん🌈でした!
(アーティストネームはzuiyuだが、気軽にずぅくんと呼んでくれれば良い)

また追々、少々期間が空いても、書いて行こうと思う。備忘録と、セクマイ当事者でありながら瀬戸内の離島、小豆島に住むの1人の人の日々の記憶として。

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