お寺をアウトプットもできる場に
愛聴しているポッドキャスト「Temple Morning Radio」今週(2021.8.30~9.3)のゲストは富山県の浄土真宗本願寺派善巧寺の雪山さんです。
インプットーアウトプット
木曜日のタイトルは「法事でアウトプットの機会を作る」でした。
タイトルのとおり、お寺の行事を再考するにあたって参加者のアウトプット(気持ちを出す場)までを考えることが大切という内容が話されています。
実際に雪山さんがどんなことをやっているかは↑を聴いてください。
確かに普段の法事をはじめ、新年やお盆などの大きなものまでお寺の行事はインプット少し言い方を変えると受け身で参加するものが多いです。
法事に参加するのも自分が供養するということよりも「お寺でお坊さんに供養してもらう」意識で参加する方が多いだろうし、大きな行事でも参加者さんは自然と「法要をしてもらって、法話を聴いて」という意識になっているだろうなと思います。
コロナ禍で法事や行事後の御斎やお茶を飲む機会が少なくなる中で、お寺で受け取ったものをアウトプットする機会はさらに少なくなってきています。
お寺の側から参加者に投げかけてみたり、少しの時間でも声をかけたりなどやれそうなことからやってみようと思いました。
受動と能動
インプットーアウトプットという軸を少し角度を変えてみると、受動ー能動とも言えると思います。
自坊に関して考えても現在の70代以上の方々は積極的にお寺に関わって参加していく姿勢が体に染み付いている方が多いと思いますが、それ以下の世代になるとその数は急激に少なくなり僕と同世代だとほぼゼロでしょう。
また、これから先のことを考えるとお寺の行事に参加するにしても参加者がほぼ全員顔見知り同士という状況も無くなっていく中で(田舎でもお寺の近くに住む人が減ってくる)、能動的に参加意識を持てる行事の企画を前提として、さらにその先に参加して受け取ったものを他者とシェアできる場までデザインすることが必要であることは間違い無いでしょう。
お寺は、ただ一方的に受け取る場ではなく、受け取ったものを発散したり、ある時はお寺や住職に返したりもできる場であることが大切なのでしょう。
テンプルモーニングにおける掃除
ここまで書いてみて、これはテンプルモーニングにおける「掃除」の大切さと繋がってくるように感じます。
「お経を読んでもらう」
「お茶を出してもらう」
だけではなく、自分が「掃除をしてお寺に貢献する」ことで受動と能動のバランスが取れて心地よい場となる。
今まで参加された方から多く聴かれる感想です。
私たちはモノや情報を受け取るだけではなく、受け取り考え、その上で自ら行動する存在です。受動と能動、インプットとアウトプットを丸ごと包摂してくれる場所としてのお寺が自分の目指すお寺像としてありそうです。
それを目指すにあたり、僕みたいなローカル坊主は縁ある1人ひとりと顔の見える形で関係を作り、発信と受信にバランスよく取り組んでいくことが求められているのでは無いかと思います。
僕ら坊主はどうしても「発信」することによりがちになってしまいます。
これは「せっかくお寺に来た人に仏様の教えから何か得るものを持って返って欲しい」という、坊さんの真面目な思いといくばくかの傲慢さに起因するものですが、だからこそタチが悪い(自戒をこめて)。
受け取ったものから1人ひとりの中で生まれた思いやモヤモヤの半分、せめて三分の一くらいでも置いていける、そんなお寺を目指したいなと思います。
たまたま見かけて気になって買ったけれど早速積んである本。
読んどくかな!