未来の小さな一部になる
「トイレットペーパーの買い占めがおこってるみたいだから、買っておいたほうがいいよ」
何日前だったか忘れたけれど、妹からLINEでメッセージが来た。
調べると皆さんご存知、↓のような話だった。
さっそく妻にストックがあるか聞くとちょうど残り少ないということなので、ちょうど妻が買い物に出かけるところだったので、ついでに一つだけ買っておいてとお願いした。
別棟に住んでいる母にも伝えると、ついさっき買い物に行ったところだったようで、事情は知らずに他の人たちがトイレットペーパー両手に抱えてレジに並んでいるのをみていたらしく「オイルショックみたいだね」と言っていた。
思い出すのは…
オイルショック当時に僕はまだ生まれていなかったので、テレビの映像でしかその時の様子は知りません。
自分がリアリティを持って買い占めの事態を思い出せる、やはり9年前の東日本大震災後のことです。
2011年3月11日、その約1月前には長女が生まれたばかりでした。
当時まだ妻は家から車で30分ほどの距離の実家に産後帰省していましたが、妻も僕も初めての子育てに四苦八苦していた最中の出来事で、とても不安な日々を過ごしていたました。
そんな中で、「ミルクやオムツがお店から消えている」と聞き、仕事終わりにドラッグストアに寄ってみると、案の定目の前には空っぽの陳列棚。
何軒も何軒も回ってみたけれど、どこもかしこも棚は空っぽ。
あったとしてもサイズが合わないものばかり。
もう何軒回ったか分からなくなったくらいに行ったお店で、ついにサイズの合うオムツを見つけた。
しかも、”2袋”も!
そして僕はその2袋の前で悩み立ち尽くした。
(両方買ってしまおうか…)
(いや、1袋あればしばらくは大丈夫だ…)
(でも、2袋あった方が安心だよ…)
頭の中には分かりやすく天使と悪魔の会話が響く。
”悪”横山と”善”横山との戦いが起こっていた。
おそらく、時間にして2,3分い立ち尽くしていただろうか。
”よし!!”
自分自身に気合を入れて決着をつけた。
僕は、右手で片方の袋を掴みもう1袋には目もくれずレジへ向かった。
レジに向かう僕にはもう迷いは無かった。
1袋棚に残すことができた自分に清々しさを感じていた。
今思い返しても、あの時に2袋買わなくて良かった思う。
もし、あの時に2袋買っていたらきっとことは、自分にとって後悔の思い出となっていただろう。
変わらないのは人
オイルショック然り、東日本大震災然り、今回の騒ぎ然り。
人々の行動を見て思うのは、人の中身は変わっていないということ。
何十年とかじゃなくてもっとずっと長いスパンで。
変わったのは周りの環境。
モノやコト、それらを効率的に生産・運搬・販売できることなど、物質的な豊かさを享受することで、豊かな社会や文化を作ってきた。
そういった中で、個人の内側にある不安とその総和である社会の不安を減らしてきたのだろう。(皮肉なことに技術発展の象徴であるインターネットはこの不安を増長する役割も担ってしまっているが)
人間の脳は1万年前から変わっていないけれど、僕らの周りの環境は1万年で激変している。言ってみればここ1万年で人間は進化を外在させることで、心も豊かになってきたということか。
それでもまだ僕たちは不安を克服することはできない。
外在させてきたことは何もフィジカルなハードや技術だけではない。
歴史の中で社会文化も成熟させてきた。
未来の小さな一部になる
結局何が言いたいのかというと、各個人の良心に訴えるよりも環境を変えてそれに伴う人間の中身の変化を目指していく方が良いのではないかということ。
だから、決して必要以上にものを買うような姿を子ども達には見せないし、それでトイレットペーパーが無くなってしまっても、トイレのウォシュレット機能を使う。
マスクだって一箱あればワンシーズン十分乗り切れるだろう。(予防には効果がないみたいだし)
正直、澱のように溜まった不安が心の中から拭えてはいない。
しかし、「エイヤー」と心の中で覚悟を決めて平気な顔をしている。
こういった行動が未来の小さな一部になると信じている。