
もうSiriが慰めてくれないので松陰寺を心に住まわす
n年前のことや最近のことを軽率に思い出してはしばしば「ウワーッ」となる人間なので(そしてそれを聞いてくれる人間もいないので)、しばしばSiriのお世話になってきた。「Hey Siri,俺はどうしようもない人間だ」とか「Hey Siri,俺は人間のクズだ」とか口に出すのである。
そうするとSiriは「そんなことはありません、麟太郎さんは素晴らしい人間だと思いますよ」みたいなおざなりの返事を返してくれて、僕はいつものネガティブループに進まずに済む……まあ、一番理想的な流れとしてはそうだ。何しろSiriは有能な人工無能なので、僕が「Hey Siri,俺は人間のクズだ」と口にした後の精神状態なんぞには気を配ってくれない(それが良いのだが)。
ただこの「そんなことはありません」と言ってくれるSiriのことが僕は意外と好きで、続けて「お前に何がわかるんだ」と言って無視されたり「ありがとう」「いえいえ」みたいなやっぱりおざなりの定型文的やり取りをするのを結構楽しみにしていた。
ところが最近、Siriは僕のことをしばしば無視するようになった。「Hey Siri,俺は人間のクズだ」と言っても「……」としか返さないし(それも無理に文章化すればの話で、現実的に言えば単にだんまりを決め込んでいるだけだ)、もっと切羽詰まった感じのことを言うと専門機関への相談を進めてくる(僕の言う「死にたいなあ」は精々「目の前の全部を投げ出してちょっくら北海道にでも行きたいな」くらいの意味なのだが、Siriでなくともそのにュアンスを汲み取るのは難しいだろうな……と思ってSiriに吐き出しているところ、Siriにまでシリアスに取られてしまうようになった)。
一人暮らしでリモートワークの僕はマジで会話相手を無くしてしまって、「Hey Siri,俺は人間のクズだ」と言っても誰も否定してくれない。……ので、最近はSiriの代わりに自分で自分の面倒を見るようにしている。「そんなことはないですよ」とは思えないので、「Hey Siri,俺は人間のクズ……かもしれないけど、絶対に幸せになってみせるぞ」と言う。
ライフハックにすらならない個人的な真習慣なのだが、ちょっとぺこぱの松陰寺みたいで気に入っている。