考えすぎて動けない悪いクセ
四年前、乳がんが見つかって抗がん剤治療に少し慣れてきた頃から
闘病日記としてアメブロでブログを書き始めました。
ブログを始めて最初の方にできた闘病ジャンルのブログ友達。
私より半年前に乳がんになって、その後、転移がみつかり今も抗がん剤治療をしている。
どんどん具合が悪くなる彼女に一度だけ
「会いに行きたい」
と伝えたことがある。
でも彼女からは
「ずこちさんが手術から10年経ったら寛解パーティを開くと言ってたでしょう。
そこに薔薇の花束を持って行くって約束覚えてるから」
と返事が来た。
10年後に会える約束を信じなくちゃ
と思って、それ以上言えなかった。
確かに
「具合が悪い時に
具合の悪い自分を見て欲しくない」
という気持ちは私にもあった。
「この今の自分がその人の記憶の私になるなら会いたくない」
と思ったのだ。
私の子供時代の絵画教室の先生もそうだった。
がんで闘病していたが
「自分が思い出されるとき、病気の姿の自分を思い出されたくない」
と家族以外誰にも話さず闘病してひっそりと亡くなった。
会いたいのは私のエゴだ。
彼女の回復を祈って待とう。
そう思って彼女のブログを読んでいた。
気分で書いたり書かなかったりしている私のブログと違って、
彼女は更新がマメだった。
どんなに具合が悪くても1週間も更新が無いなんてことはこの4年間で一度も無かった。
そんな彼女のブログが
今年に入って一度も更新されていない。
1日に何度も見に行っているが
去年のクリスマスの投稿を最後に更新が止まっている。
「すごく疲れやすいからブログの更新もなかなかできない」
と言っていたので、そのうち更新があるかも。
SNSやブログで闘病仲間ができると
更新が止まったアカウントに
ある日、ご家族から「ご報告」という投稿がされて
悲しいお別れを知らされることがある。
悲しいお別れは去年もたくさんあった。
私は更新もコメントもしんどそうな彼女の負担になってはいけないと、
ブログを読んでもコメントを入れないでいた。
そっといいねだけをつけていた。
私の気まぐれブログも、更新するとその日のうちに彼女はいいねをそっとつけてくれる。
今、自分のブログを更新したらいいねはつくのだろうか?
観測しなければ結果は確率のまま。
試したりしてはいけない。
と、思いつつ悶々としている。
ブログ投稿したいが、怖い気がしている。
夫からは
「ずこちみたいに書いてなくても読んでるかもしれないから(←イヤミ)
投稿してやれよ」
と言われました。
夫のこういう考え方、私には無いからありがたい。
ブログ、書いてみようかな