no.45 2019.2 自由になるための挑戦
ついに9月から始まった「教育」の授業が終了しました(学校新聞no.43参照)。これまでやってきたことをダイジェストでお届けします。
☆憧れの先生・大人について
鷲田清一氏の「若いひとに憧れられる存在に」ということばがずっと心に残っているので、まずは9人に自己紹介的に「憧れるおとな」についての作文を書いてもらいました。それぞれがどんな先生やおとなに出会ってきたのか、ふりかえってみてどういうところがよかったと思うか(それが目指すべきおとなの在り方、「教育」というものなのかもしれない)を語ってもらいました。
☆平田オリザ×北川達夫『ニッポンには対話がない』の読書会
劇作家平田オリザ氏と元外交官北川達夫氏の対談の一章を読んで、そこに書いてあることで、共感すること、それはどうかな?と思うこと、わからないこと、思い出したこと、経験、エピソードなどを一人ずつ発表してもらい、感想を述べあい、また印象に残った感想に感想を書いて紙にまとめる、ということをしました。
☆対話空間のデザイン
上記の文章の中に出てきた「対話空間のデザイン」ということばを実践してみようということで、発言が一部のひとに偏らないよう、いろんなひとが話しやすい空間づくり、フォーメーションを3人グループで3案(Aみんなではなすとき、Bグループで話すとき C発表するとき)ずつ計9案考えてもらいました。その後の授業はその中から選んだ、毎回違うフォーメーションで授業を行いました。
☆対話劇「誠実な言い訳」
一方的に「罪」とされたことや、納得いかなかったことなど、それぞれの経験を話し合い、見ているひとに説得力のある「表現」にするため、別の3人グループになって「対話劇」という形の創作をしました。私も演劇に関しては(も)素人なので専門家的コメントはできないのですが、フィンランドでは「今日学んだことを劇にしてみましょう」というような「まとめ」のしかたがあると上記の文章にあり、それはいいなと思ったので、まずは「やってみる」ということが大事かなと思い、挑戦したのでした。
☆正解のない問題に取り組む(インタビュー)
冬休みには、普段それぞれが疑問に思っていることを、身近なおとな(できるだけあこがれのひと)にインタビューする(対話する)ということをしてきてもらい、レポート作りと発表をしてもらいました。インタビューしたからといって答えが分かるといった簡単な問いではないですが(答えはないので)、自分が考える上での新たな発見があればいいのではないかなと思っていました。
「体罰は必要か」「教育の問題点は」「生徒の褒め方」「幸せといじめについて」「結婚とは」「友達と親友の違い」「生き方、進路の決定方法」など…
☆ポスターセッション
2月6日の「ポスターセッション」(ポスターを展示して来場者に見てもらい話をするというもの)に向けて、みんなでしたいことを出しあい、一人ワンリーダー制で、積極的に取り組んでもらいました。
《したいこと一覧》
お茶/音楽かける/看板/教育でやってきたこと紹介/スライドショー(映像)/大学に潜入する(大学生・教授にインタビュー)/先生全員にインタビュー/教育語録/ステージ発表/メッセージ書いてもらう
お茶と音楽以外は最終的にかなったかな、と思うとしたいことを書き出してみるのはいいですね。私はほとんど何も言っていない(するなと言わなかっただけ)けれど、自分たちで考えて動いていたのがとても感動的でした。これが「主体的」ということではないか? 「民主主義」では? 私は私でしたかったこと、平田氏、鷲田氏、外山滋比古氏等の文章を先生方にご覧いただけ、プリントも配布できました。生徒たちはおのずから授業中に出た名言「ダメなことはダメはダメ!」や「道徳は先生の価値観!」などの文言を教室中に貼りめぐらしてくれて感無量でした(かつ「POP」を意識して手作りのお花なども飾りました…!狂気♡)。
「対話空間」を意識した教室づくりをみんなでしたので、来場してくださった方との交流(こちらから一方的に話すだけではなく、相手の意見も積極的に聴くこと)も自然に成立していたように思います。
この日は特別ゲストで去年授業のアシスタントをしてくれた卒業生(学校新聞no.34参照)にもお越しいただき、励ましのコメントをいただけたのもとてもよかったです。
☆大学潜入
2月7日にその卒業生と現在在学中の大阪樟蔭女子大学の学芸学科の先生にインタビュー、そして2月11日には、生徒二人とともに京都市立芸術大学の作品展に行ってきました。
12月に旧ずぶ邸で展示をしてくれた学生さんの展示がグッドタイミングであったので。その12月の展示の際、観に来てくださった哲学の先生にお会いできなかったので是非お話ししてみたかったこともあって、その学生さんに依頼して先生に都合を合わせていただきました(個人的には、教室の外に出る授業(?)をやってみたいと思っていたので夢かなう)。約一時間ほどのインタビューの中で、学校というものは本来「自由になるためにあるのではないか」ということばに私は喜びました(ただ現実は難しいですという文脈)。毎日の生活とか利害とかを少し脇に置いて、いったん立ち止まることのできる知性を養う場所。ひととの対話、交流を通して学びを深める場所。だからすぐに役に立ちそうにないこと、一見無意味なように見えること、あれこれ考えながら、なにかやってみたいことに打ち込む場所、それが「人間」が集まる「学校」なのかな、と改めて私の思う学校像(それは普通の学校とはやはり違うかもしれない)がはっきりしてきたように思いました。
☆ホール発表
2月20日にホールでこれまでの授業での取り組みと、大学潜入の報告をしました。7分という短い制限時間内でできる限り、何も知らないひとにもわかりやすいようパワーポイントだけでなく、実演(対話空間のフォーメーション)や実物(物々交換した「猪の皮」と「柿の木の枝」)もまじえながら工夫した発表でとてもよかったと思っています。選択できる授業であるとはいえ、やはり強制感の漂う全体の雰囲気の中で、生徒たちは前に立つことの大変さを感じる時間にもなったようです。ホールでは、発表者と聞いている側での対話が成り立っていない(なぜか発表者が責められたり、笑われたりするような構図、雰囲気にすぐなる、まさに「対話がない」!)ので、それがもったいないと思いました。それは、運営する教師側の運び方(普段からの人間関係の希薄さも含めて)の問題が大きいかと思いますが、何かを上から教えたり、相手を恐縮させたり、論破したりする場ではなく、生徒たちに希望を持たせ、主体性を伸ばす場所だということ、先生方の認識をやわらかくしていくのにはまだまだ時間がかかりそうです。
あまりにももったいないので運営に携われたらなぁとも一瞬思わないでもなかったですが、それは一朝一夕にどうにかなる話でもなし、やかましの学校での仕事はこれにて閉店ということで。種は蒔いたので、来年、再来年またその先まで…どんなふうに展開していくのか…乞うご期待!(私が期待!)嬉しかったのは、「来年、先生が誰になってもまた「教育」をとろうかな」と放課後数人が話していたことです。そう、先生じゃない、生徒が主人公なのだから。もう自分たちでどうにでもできる。頼もしい。若いひとは希望だ。引退する私への最高のはなむけのことばでした。
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2015年の開校から毎月一回書き始めたずぶの学校新聞の第一期。冊子の方はなくなりましたのでオンラインマガジンにしました。全50本です。転機…
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