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no.35 2018.3 軸を正して我うらら

二月は立春。高校では卒業式の月です。卒業式の前には何週間かの余白の時間があり、授業もないので自分自身について振り返る時間となりました。(この期間好き。大事にしたい。)

テラコで文集「これが私の生きる道2018」を編纂したこともひとつのきっかけになりました。どういうふうにして今自分は生きている(と思える)のかという半生を振り返ることで、自分のぶれない軸の部分を確認。それでやっとこれから自分がどうしていくのか(進路)が見えてくる気がします。

「自分の軸を持つことで球威が上がる」と色川武大さんが書いていました。(「うらおもて人生録」)球威は上げていきたい。それが年を重ねることだとも思う。

また昨年あたりから、自分のことだけでなくて、両親やそのまた両親からの流れで今の私がいるのであって、自分は一人だけど、自分だけの存在じゃないんだということもうすうす分かる(意識する)ようになってきました。

両親のことに関してはつい最近まで「許せない」「あなたたちのせいだ」というような気持ちがどうやらどこかにあったらしい(ことに気づいた)けれど、気づいたら「あ~はいはい(苦笑)」と認められる(あきらめる)ようになってきて気持ちが楽になりました。彼らが私に似ているのではなく、私が彼らの後をたどっているのだということ。

そこを認めないと根本的に自分を愛することができないのだということでした。自分を愛せないと人を愛せないということでした。人に何かをすることなどできないのでした。自信というのはバックにたくさんの味方(勝手に任命)をつけることでようやく生まれる。自立もたくさんのひとにちょっとずつ支えられてはじめてバランスよくできる気がします。身近なひとだけでなく、遠くにいるひとやこの世にいないひとの遠隔の支えは大きなパワーを持っていると感じます。

目の前の形や常識にこだわらずに、ありのままの自分が今生きていることを認めていたいです。

念願の俳句をはじめました。「俳句」として(「俳句」とは?←またしても一般とのギャップに混乱している)うまくなるつもりはなくて、我ながらのベストアンサーをそのつど更新していけたら満足と考えています。

今回の句会のお題「うららか」は春の季語らしく、「春うらら」のように「~うらら」と何のあとにつけてもよいらしいので、できれば二文字でおもしろいのないかな~と考えて「空うらら」「夢うらら」などといろんなことばのあとにつけて遊んでいたら、いいのを思いつきました。

母を生き父を生きたる我うらら

「我うらら」……これ以上の答えは今のとこ思いつきません。苦手な春もこのことばがあれば楽しく過ごせそうです。

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旧ずぶ邸 春の床の間

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2015年の開校から毎月一回書き始めたずぶの学校新聞の第一期。冊子の方はなくなりましたのでオンラインマガジンにしました。全50本です。転機…

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