あなたが揺らぐ
会うたびに、あなたはいつもどこか違っている。
至極機嫌の良さそうな時もあれば、元気がない時もあるし、怒っている時もあれば、くたびれている時もあるし、心ここに在らず、といった調子の時もある。
あなたがいないとき、私はそういうあなたを、すべて重ね合わせて、あなたという人間を抜き刷りにする。絶え間なく揺らぎ変化するあなたの、その集積の最大公約数のあなたをあなたとして私は思い浮かべる。
だからいつだって、それは実際のあなたとは違う。毎日毎日あなたのことを考えて、あなたという人間を頭の中で捏造し続けても、それはあなたではない。私はあなたの全てを掴むことは決してできない。
あなたの像は、絶えず揺らぎ、近づき、遠ざかる。
会うたびに、私はそれを思い知る。あなたという像の揺らぎの、絶え間ないこと。その揺らぎの明暗に、私は目眩すら覚える。
そして私にはその全てを掴むことはできず、あなたを完全に理解することができないのだという事実に、いつも打ちのめされる。
私が惹かれているのは、あなたの揺らぎそのものなのか、それともいついかなる時もあなたを貫いている、その最大公約数のあなたなのか?
いったい何が、あなたをあなたにしているのだろうか。
私の頭の中には、絶えず揺らいでいるあなたの像の、そのうちのいくつかが集積され、私はそれを歪に繋ぎ合わせて、あなたがここにいないことを、あなたが私ではないことを、私が私でしかないことを、私が私でしかいられないことを、その生存の悲しみを、孤独を誤魔化している。
それは誤魔化しにしかならない。
私の本当の望みは人間という個体として生まれた時点で叶わないことがわかっている。生きていること全てが、妥協みたいなものだと思う。
だけどもし、あなたをあなたのままで、あなたとして私の頭の中に住まわせることができてしまったとしたら、そうしたらもう、あなたに会う必要も、あなたと話す必要もないかもしれない。
会うたびに、あなたは揺らぐ。きっと私も揺らいでいる。近づいたり遠ざかったりするあなたの像の、そのあわいを見ていると、その揺らぎが、ほんの一瞬、私の揺らぎと重なるような気がすることがある。その度に、きっと勘違いだと思いながら、だけどたまらない気持ちになる。
指先の、ほんの少しだけでも、あなたに触れられるんじゃないかと思う。仮に虚しい錯覚だったとしても。
だから私は、あなたを見ている。あなたの揺らぎを、あなたの像を。全てを掴むことはできないとわかっているのに、それでもただあなたを見ている。