さみしいひと
人を待っている。でもさほど会いたい人でもない。スマートフォンが光って、メッセージが表示される。
「何色の服着てますか?」
黒のコートです、と打ち込んでから、私は別のトーク欄を開き、半年前から既読がつかない画面をぼーっと眺める。
リリカちゃんとは、ある日を境に連絡が取れなくなってしまった。どうしてかは知らない。私がリリカちゃんの気に触るようなことをしていたのかもしれないし、あるいは単に、私に興味がなくなっただけかもしれない。もっと深刻な場合について考えたりもしたけれど、既読がつかなくなったLINEは、それ以上でも以下でもない事実をただ提示するだけだった。
私の知り得ない場所に彼女が行ってしまった。わかっているのはそれだけだった。
「人身事故で電車、遅れてるみたいで、ちょっとだけ遅くなります」
了解です、お気をつけて、と返信する。
声の綺麗な人だった。だけどその綺麗な声が聞けることは稀で、いつもなんだか自分の考えていることを私に話すのを、躊躇っているみたいだった。でも別に、それでもよかった。リリカちゃんが何も話してくれなくても、リリカちゃんがそこにいるだけで、私は嬉しかった。リリカちゃんはどうだっただろう。
沈黙が苦手な私は、いつも荒唐無稽な話を彼女にした。多分つまらなかったと思うけど、リリカちゃんはときどきふふふ、と笑ってみせた。なぜ私なんかと仲良くしてくれていたのかわからなかったけど、今そんなことを知っても虚しいだけだ。
どこへ行ってしまったのだろう。なぜ私のそばにいたのに、今はいないのだろう。
リリカちゃんは大学で考古学をやっていた時の話を、本当にたまに、私に話してくれた。遺跡の発掘をしていたと当時を振り返って話す彼女の目は、普段と比べて光が多いように私には見えていた。
「痕跡が好き」
リリカちゃんは霙みたいに話す。私が聞いても聞かなくても構わない、とでもいうように、空間にぼとりと言葉を落とす。寒空の下で、リリカちゃんの黒いコートと長い髪に見惚れながら、私はそれを拾い上げるのに必死だった。
「痕跡?」
「そう、誰かが生きて、そして死んだ痕跡」
「どうして?」
リリカちゃんは困ったような、私に伝わるのかどうか、はかりかねるみたいな顔をして、それから言った。
「二度とないの、全てのことは」
空間にぼとりぼとりとリリカちゃんが落とす言葉の数々は、きちんと私が覚えておかなければ、すぐにでも溶けてなくなってしまいそうだった。
「でも痕跡は遺る、誰かが壊したりしない限り」
いまなら、リリカちゃんがいなくなってしまった今なら、リリカちゃんの言っていたことの意味がよくわかる。
リリカちゃん、私のつまらない話にリリカちゃんが笑っているあの日々は、二度とないけれど、でもリリカちゃん、リリカちゃんの痕跡は確かに遺っている。
「あの」
ベージュのコートを着込んだ男性が、遠慮がちに私に声をかけてくる。そうだった、人を待っていたんだった、でも一番会いたい人ではない。一番会いたい人には二度と会えない。でも痕跡は遺る、誰かが壊したりしない限り。
「リリカさん、ですか?」
私は頷く。リリカちゃん、リリカちゃんにはきっと二度と会えない。あの日々は二度とない。だけど痕跡は遺る。私という痕跡が。