触ったらきっと
高校生の頃、好きだった人がいて、その人に宛てていくつも短歌を作っていたけれど、一つも本人に贈ったことはなかった。
溢れるような気持ちを、思い返せば拙い言葉の連なりに、落とし込んで、インターネットの海に流しては、知られたいのか知られたくないのか、自分でもよくわからないと思っていた。今になって考えてみると、他人には知られても構わないけど、本人には知られたくない、が適切だったかもしれない。
星を眺めるみたいな距離と温度で好きになる人が、私の世界には定期的に現れる。それは隣のクラスの人だったり、私に何かを教えてくれる人だったり、舞台の上の人だったり、画面の向こうの人だったり、もうこの世には居ない人だったりする。
望遠鏡を覗き込む私の顔は、きっと望遠鏡に阻まれて、星たちからはよく見えないだろう。それでいいのだ。遠くから、ずっとみていたい。その結果私が、あの美しい光に目を灼かれる羽目になったとしても、どうか気づかないでほしい。そう思う私は自分勝手だろうか。
とにかく星の輝きに焦がれて、あの頃は歌ばかり作っていた。自分が生きて、なんらか、なんでもいいので生産的なことをするためのモチベーションや原動力が、この憧れと恋と狂気がごちゃごちゃになったみたいな烈火しかないことに気がついたのは、それからずっと後のことだった。
つまるところあの、遠さが好きで、叶わなさ、手に入れようのなさ、そういうものの全部がたまらないんだろう。恋だとか愛だとか、そんなふうに呼ぶにはあまりにも一方通行な炎に、なぜこんなに身を委ねてしまうのだろう。
今だって、あの頃と大して変わらない。恋愛感情をうまく解せない私は、遠くの星を眺めて嘆息を漏らしてばかりいる。きれい。
時々、遠いから綺麗なんだよと言われたり、本当の星の姿が見えていないんだと苦言を呈されたりする。それは事実なのかもしれないけれど、その度に私は思うのだ、でもじゃあ、これはなんなの?私が見ているこの輝きは?
私が持ってる望遠鏡だけに見える星の輝きだったとして、それは存在しないものだと、どうして言えるの?
見えていないんじゃなくて、私だけに見えているのだ、とそんなふうに思うと、ますます星々が潤いを増して輝きだす。きれい。あんなに綺麗なんだから、別に嘘でもいい。一生かかってもあの光に到達できないのがわかっていて、それが苦しくて心地よくて、だからずっと焦がれている。
私はあの光に近付けないし、近づく気もないのだろう。どうせ掴めやしないから、ずっと遠くから見てばかりいる。見失いさえしなければ、迷子にならずに遠くまで行かれるだろう。永遠に、星には辿り着けないにしても。
当時使っていた短歌のアカウントはかろうじて残っているものの、もうほとんど動かしていない。本当に気が向いた時にだけ、見返すようにしている。
触ったらきっと燃え尽きてしまうね君が遠くにあってよかった
もうすぐ24歳になる私は、いまだに星ばかりみている。