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走ることで見えてくるもの
大きな宿題
「その旅で何が見えてくるのか?」
ある方からの問いかけが、ぼくに刺さった。
何を見ようとして、ぼくは走っているのだろうか。
何かを見ようとして、 ZEROtoSUMMIT(ゼロサミ)に出ることはない。
が、結果として、何かが残る。
走り終わったあと、今回のゼロサミは自分にとって何だったのか、たとえばゼロサミ青森(十三湖~岩木川~岩木山)を走り終えたあとには、この青森篇とは何だったのか、それがしぜんと生まれ、ぼくの中から消えることはない。
姫田さんの著書で出てくる他火=旅がぼくの内部に残るのだ。
君はそれがやりたかったのか?
しかし、最初からそうだったわけではない。
2016年にゼロサミをはじめたときは、ただ走っただけだった。
この東京篇(東京湾~多摩川~雲取山)とは何だったのかを、誰にも伝えられなかった。
残ったのは、何キロを何時間何分で走ったという記録だけだった。
たしかに君のやったことはすごい。とても真似できない。
しかし、君がやりたかったのは、そういうことだったのか?
ぼくをみてきた方にそう問われ、ハッとした。
ぼくの原点とも言える野田知佑さんの『日本の川を旅する』を読み直し、あることに気づいた。
ぼくは走りすぎていたのだ。
走ることにとらわれすぎて、何も見ていなかった。
だから伝えられるものもなかったのだ。
ZEROとSUMMITのはざま
今なら説明できる。
ZEROからSUMMITまで走ること、点と点をつなぐこと──それをやりたくて、走りはじめたのではなかった。
まず、なるべく道草をくっていこうとした。
走ることをやめて歩いたら、見えてくるものが増えた。走らなくてもいいのだと気づいた。
走りにきたのに、走らなくてもいいという発見は新鮮だった。
点と点を結ぶ走り旅が線になり、何かが流れはじめた。
そのことを素直に書きあらわしたら、おもしろいと言ってくれるひとがはじめて現れた。
勇気をだして、ひとつずつ捨てた。
「誰とも競わず、何とも戦わない」ことを自分に課した。
時間や距離はどうでもよくなった。
なるべく時間をかけ、川と川を構成するものと対話するようにした。
線でもなく、面で川をわかりたいと思った。
岐阜篇(富山湾~神通川~奥穂高岳)では、神通川の支流も走った。
そうしなければ、イタイイタイ病を生んでしまった神通川のことが見えてこない気がした。
支流を走ったとき、「流域」という概念が実感としてぼくのなかに残った。
東京篇とは、やっていること──海から山頂まで川をたどって走る──は同じでも、その意味はまったく違うものになっていた。
ZEROとSUMMITを結ぶコースでしかなかった川は、流域を理解するための主題であることに気づいた。
川をたどって走る行為も、四十七都道府県別の最高峰も、たんなる手段にすぎなかった。
主題を据え、川をたどって走りながら、流域を立体的にとらえる。そして上流から流れてくる薪をていねいにひろいあつめ、他火を起こし、まずは自分を、そして寄ってくる誰かを温める。
ぼくがやりたいことは、つまりそういうことだったのだ。
走ることで見えてくるもの
ぼくがやりたかったことは、文にしながら、ようやくわかってきた。
しかし、この問いかけには、まだ答えていない。
「その旅で何が見えてくるのか?」
ゼロサミという旅=他火で、ぼくは何が見えてくるのだろう。
河口をスタートするとき、はるか数百キロ先の山の頂きに、何を見出そうとしているのだろう。
もう答えは出ているのかもしれない。
ぼくが気づいていないだけなのかもしれない。
時間はたっぷりある。
言葉で説明できるようになるまで、それを考えていきたい。