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走ることで見えてくるもの(2)
すべてが凍結に
コロナ禍で3月の大阪篇ゼロサミをはじめ、5月の東海道餃十三次、そして今秋の韓国縦断餃子ランまで、すべての予定がぶっ飛んだ。
来年から始動を予定していた海外プロジェクトも、完全に凍結状態。
どうにもならない。
しかし、いいこともいくつかあった。
そのひとつは、ゼロサミについての考えを深められたことだ。
ぼくは何を見ようとしているのか
「あなたは何を見ようとしているのか」
ある方からそんな問いかけをされ、ひたすら考えた。
妻とも話し合って考えた。
そして、ひとつの答えが出た。
そこから派生して、ゼロサミを高めることに気持ちが固まった。
いまできる範囲で、精一杯のことをする。
それが逆に、その後の展開につながる。
つまり、足元を固める、ということだ。
ただ、ゼロサミを高める
これまでどこかでSNSウケを狙っていた部分があったが、そんなのはもうどうでもよくなった。
今後、YouTuberをめざすこともないし、ポッドキャスト配信もしない。
商品紹介ブログを書くこともなく、なんなら頭を下げてスポンサーさがしすることすら、もうしない。
自分だけのZEROtoSUMMITを完成させることだけに注力し、精進する。
その腹が決まった。
こんどこそ、見てくる
ゼロサミ第一弾の出陣式で、2016年6月に走った東京篇。
あのときは、ただ走っただけで終わった。
走りながら見てきた景色、頭のなかにめぐったおもい、風の匂いなどをほとんど何も思い出せない。
河口から雲取山までの120キロを、ただ走っただけだった。
あれから4年。
来週、リメイク版の東京篇ゼロサミを走ってくる。
今回は多くのものが見えるだろうし、見なくてはいけない。
何キロ走るとか、何時間で走るとか、そんなことはもうどうでもいい。
どれだけ多摩川を感じ、どれだけ自分なりの東京がわかり、そしてそれを言葉で言い表すことができるか。
そこに意識を集中する。
四日間、ひたすら考え続けながら走る。
ぼく自身が自分にいちばん期待している。