見出し画像

納得度指数で生きる

GNH(Gross National Happiness) という指標がある。
ある、なんて書くと、あたかもずっと以前から知っていて、教養の一部として身にまとっていたかのようなカッコイイ印象を与えてしまいがちだが、たしかそんな感じの何かがあったなぁ、なんて呼ばれてたっけなぁと思いながらググったら出てきた言葉だ。

ブータンの国王が提唱した、日本語では「国民総幸福量」と訳されている考えかたで、GNP(Gross National Product: 国民総生産) の値こそが国の豊かさを測る指標であるという既存の(経済力重視の)概念に対抗するひとつの試みだ。

画像1

GNHもGNPも、否定しない。とゆうか、どうでもいい。
ただ、「オレ自身、何をヨシとして日々を過ごしているのか」とあらためて考えたとき、どちらもというか、既存のあらゆる指標のどれにもしっくりくるものがなかった。

金銭的成功とか、社会的地位とか、社内的出世──
そういうものをめざしているわけではないことは、たしかだ。
もしめざしていたのなら、ZEROtoSUMMITなどというフザケた活動はしていないし、恵まれた境遇を与えてくれた会社を辞して、プロ水流ランナーという肩書きを名乗ったりなどはけっしてしない。

画像2

では、なぜオレは、このいっけん何の得にも、金銭的成功にも、社会的地位向上にもならないどころか、友人や同級生や、もしかしたら親類たちからも眉をひそめられかねない、視線を合わさずにうつむきながら陰口を叩かれかねない、水流ランという活動をしているのか……

そのことについて、新型コロナ騒動のさなかのこの一ヶ月ほど、ずっと考えつづけた。今までになく、自問自答を繰り返した。

画像3

その結果。
「自分自身の人生の指針は、"納得度" である」という結論に達した。

経済的に成功しようがしまいが、社会的な地位を得ようが得まいが、世間から評価を受けようが受けまいが、そんなことはもうどうでもいい。
自分が自分の行為、自分の進む道、自分のやりかた、いまこの瞬間の自分に納得できていれば、それでいい。

つまり、自分自身の中に評価軸を持つ、ということだ。
他人の眼や、誰かのコメントや、世界のいいねではなく、まずは自分が自分に納得できているか。
それに集中し、邁進する。ここに注力していこうと決心した。

そんな心境に至らしてくれたのは、もしかしたら今般の新型コロナ騒動のおかげなのかもしれない。
そして、世間一般的な「成功」や「満足」とはほど遠い(と思われる)、トンデモナイ価値観につきあってくれている家族たちには、心の底から感謝しています。

画像4

みんなありがとう。愛してるってイエーイ✌️


いいなと思ったら応援しよう!