コロナが教えてくれたこと
お前が何をやろうが知らん。自分だけで勝手にやれ!
父からの珍しい電話で一方的に叱られた。
なぜ俺の体を心配せんのだ、俺がどうしてるのか何も聞いとらんのか。
昨秋から施設に入って気が沈んでいるらしい父を気づかい、努めて明るい調子で書いた便りが裏目に出た。
数少ない親孝行だと、書いたり書かれたりする度に送り続けてきた新聞、雑誌、地平線通信記事も、すべて打ち捨てられていたらしかった。
大型連休中に四国を走るにあたり、父に手紙を送った。
高知で生まれ育った父を理解するため、そしてぼくのランニング活動を理解し、認めてもらうために。
じつは某ドキュメンタリー番組の企画を持ちかけられていた。そのなかで四国を走る意味を問われ、この父と子の相互理解を挙げた。
しかし本当の目的は、静かに老いていく父に感謝の念を伝えること。いま伝えなくてはいけない気がした。
そのためにも父の昔語りに耳と心を寄せたつもりだったが、返ってきたのは思いもしない父からの冒頭の電話だった。
度重なる緊急事態宣言の影響もあり、番組企画は見送られた。それだけでなく、いくつかの報告会等の企画も軒並み流れた。
どれも父へのメッセージを宿すつもりだったが、すべての機会が閉ざされてしまった。
いや、たとえ伝えても受け取ってはもらえなかったのだから、これでよかったのだろう。
とここまで書いて気がついた。
何かを介して父に伝えようとするから伝わらなかったのではないか。きっと自分の手と声で父に届けなくてはいけなかったのだ。
父の健康をいたわり、自分の現状を知らせ、そして今日があることを感謝する。それができて初めてぼくの活動に心を開いてくれるのかもしれない。
様々なことをいまも奪い去りつつあるコロナはたしかに恨めしい。
しかし、本当に大切なことを教えてくれたのもまたコロナではないだろうか。
連休中のZEROtoSUMMITでは、
香川篇(瀬戸内海~土器川~竜王山)
高知篇(土佐湾~物部川~三嶺)
愛媛篇(土佐湾~仁淀川~石鎚山)を走った。
これで1都1道1府23県計26座を走り終わり、残りは21座。活動開始6年目でいよいよカウントダウンが見えてきた。
父が元気なうちに国内篇完遂の報告をしなくては。その頃には気兼ねなく岐阜に会いに行くこともできるだろう。