秋山黄色の『Caffeine』という歌とMVが好きすぎる話
出会いは3週間ほど前の深夜だった。
寝付きの悪いわたしは、たいていベッドに入ったらまずニコニコ動画のアプリを起動する。
そして気に入った動画のシリーズやマイリストを連続再生で流しながら、それをBGMに本を読んだりスマホゲームなどをしたりして、気づいたら寝落ちている…というのがわたしの王道入眠スタイルだ。
その日は確か、ゲーム実況を垂れ流していたと思う。
生まれてこのかた生粋の一般会員であるわたしにとって、ニコニコで動画を視聴するにあたり発生する、ある欠かせない作業がある。
それは、広告スキップだ。
無料で利用させてもらっている身なのでこのひと手間に文句を言う気はさらさら無いが、広告として流れる動画の時間がまちまちなのがちょっと困る。
5秒や15秒ならまあそのままでいいやとなるが、ときには20分前後の(よくわからない)動画が流れることもある。
そんなこんなで、基本的に広告動画は容赦なくスキップがデフォなのです。
が、その日は違った。
あー動画終わった、広告飛ばさなきゃ。
耳からの情報でそう思いながらも、ちょうど読んでいた本がいいところだったので、目線を画面に移せないままでいた。
動画が切り替わり、一瞬無音になる。
いよいよ広告が始まる、という瞬間を迎えていることを(経験則から)肌で感じながらも、活字から目を離せない。
え、なにこれ。
そのとき耳に流れ込んできたのは、とてもカッコイイ「音」だった。
あれほど文字に釘付けだった視線は、あっさりと広告が流れている画面に移動していた。
我が人生で聞く『Caffeine』のイントロのうち、これほど体感時間を長く感じるのはあとにも先にもこのときだけだと思う。
それほどまでに、短い間にいろいろな言葉が頭を駆け巡った。
え、なにこれかっこいい。
ていうかまって、広告流れるんじゃなかったの。
これ明らかにMVだよね。
まてまて気を付けろ、いつものクセでスキップとか絶対押すんじゃないぞ。
誰、これ誰のなんていう歌。
なんかめっちゃオシャレだし海外のアーティストかな。
ていうかこれどこで詳細見るの。
それに詳細飛んだら動画終わっちゃったりするんじゃないの。
とにかくこの動画もっと見てたい。
でも詳細も知りたい。
あ、でも落ち着け。
これまでもイントロがどストライクの曲はそれ以降がそうでもなくてしゅんとすること多かったじゃん(←曲の好みが極端なひと)。
期待しすぎはよくないぞ、自分がしょんぼりすることになるんだぞ。
ていうかどこで詳細見るのこれ!!!
深夜、真っ暗な部屋のベッドの上でもだもだあたふたするわたし。
そうこうしている間に、とうとうイントロが終わりAメロがはじまった。
えええ、歌声めっちゃ良いじゃん!!!
歌唱力も普通に高いよね…え…歌い方もめっちゃ好みなんだけど…え……
テレビをほとんど見なくなって5年あまり。
すっかり世事に疎くなっている実感はある(困ってないけど)。
さらには3年くらい前にクラシック音楽にハマってそればかり聴くようになったこともあり、昨今のポップス界隈の顔ぶれもさっぱりわからなくなった(たとえば「白日」は紅白ではじめてちゃんと聞いた。サビのベースめっちゃ好き)。
そんなやつなので、秋山黄色さんのことも存じ上げず。
油断しきっているところを突然、頭から終わりまでどこを切り取っても100%好みの『Caffeine』を「これでもくらえ!」とばかりにブッ込まれたわたしの動揺はいかばかりであったか…
そう、この曲、イントロがどストライクにもかかわらず「(自分にとって)そうでもない」部分が一切ないという稀有な作品だったのです。
そんなこんなで予期せず素晴らしい曲に出会えちゃったわたしは、読書なぞほっぽらかして、気づいたら小一時間ひたすら『Caffeine』を聴いていました。時刻は午前3時。大興奮で目が冴えちゃって寝れない寝れない。
すっかり気に入ったので、iTunes Storeで『Caffeine』を購入しました。
しかしその後、いままで遭遇したことのない現象がわたしの身に起こったのです。
それというのもずばり、「楽曲購入したのにどうしてもYou TubeでMV見ちゃう」現象。
こんなのいままで一度もなかった。
そのとき気づきました。曲だけでなく、わたし、MVもすごく好きなんだと。
まだまだ若輩者ではございますが、人生の半分ほどは歌ったり踊ったりするような方を対象に誰かしらのファンをやってきておりますものですから、おそらく踊っているひとを見るのはもともと好きなんですよね。
たとえばライブDVDとか見てても、「いまのこの動き好き!!!」となったらほんの2~3秒のシーンを平気で30分くらい「ああ~いいわ~」とか言いながらリピートできるようなちょっとキモチワルイやつなのです。
ねえ…『Caffeine』のMVのダンサーさんたちめちゃくちゃ良くない…?
見れば見るほどダンサーさんに釘付けになって、でも4人いらっしゃるから一度の視聴ではなかなか全員ぶんの踊りを堪能しきれきなくて、ようしもう一度だ!とくり返し見るうちに「あ、ここ好き」「あ、ここも…」っていうシーンがわんさか出てきて。
ミュージックビデオを見て、目を皿のようにしてクレジットを眺めたのははじめてです。(このすばらしいダンサーさんたちはどなたなのだろうと気になった)
ダンスの知識は皆無なのでなんと表現したらいいのかよくわからないのだけど、クラシックでいうところの「現代音楽」感のある振りつけ、これまでは見てても「よくワカラン」て感じでなんとも思わなかったんですよ。
でもね、このMVの振りつけはなぜかそう感じなかった。
ものすごく繊細かつ幅の広いスキルが要求されることがわかるし、細部まで「運動」と「意識」とが行き届いているのがすごく感じられて、それなのにダンサーさんからはそれだけの「すごいことやってる感」を良い意味でちっとも感じなくて。でもこの動きは確実にそれまで積み上げてきたものがあってはじめて形にできるものであるはずで、そんな素晴らしいものを見せてもらっていることに感謝の気持ちすら抱いた。
さらに言えばダンサーさんだけでなく、薄暗い背景と鮮やかな衣装、そこに映えるメイクという色のバランスとか、曲とダンスの音ハメだったりスローの入れ所といった映像編集とか、関わる人すべてが発揮した最高のパフォーマンスがこの『Caffeine』というひとつの曲に集まってMVとして形になっているその事実に心から感動した。
MVを「作品」と言いたくなったのははじめてです。
それでまた、話はダンサーさんに戻るんですけど。
なんといっても踊ってるときのダンサーさんたちの表情がすごくいいんですよ。
ダンスって、表情で踊る部分もけっこうあると思っていて。
踊っているひとを見る側として、身体表現と顔の表情の相乗効果で、音楽をより深く感じられる部分ってあると思うのですが、このMVではダンサーさんたち、そういう肉体の動きと連動した表情をほとんどしないんですよね。
これだけの技巧あふれるダンスを披露しているのだからドヤッドヤな表情で踊ってもよさそうなものだし(そういう強めなの大好き)、力いっぱい動くような振りも多いので、そういうところでは力んだような表情になりそうなものなのにほぼほぼ見受けられないんですよ。
そういう指示が出ているのか、はたまた編集時の取捨選択でそうなっているのかはわかりませんが(さらに言えばわたしが勝手にそう感じているだけという可能性も大いにある)、この表情がねえ…ほんとうにほんとうに刺さるのですよ。
すました表情という言葉では違和感がある。
でも、無表情というのも違う。
感情が欠落したような無機質さも感じられない。
わたしはそこに、「無意識の日常」を感じました。
なんて言ったらいいんだろう。
電車に乗るために最寄り駅まで歩いている間のような。
頭の中では「今日の会議すっぽかして~」とか「夕飯のおかずなににしよう」とか「やべ、ちゃんと鍵しめたっけ」とか、いろいろ考えているのだけど、意識しないままにそれを表情には出さないようにしているときの、「顔」。
無意識に「人間やってる」ときの「顔」。
うまく言えないけど、そんな感じ。
そういう「顔」なんだけど、身体は実によく動いていて。
そのアンバランスさというかギャップというか、その部分がすごく良いなと思ったとき、耳に届いた歌詞にすごくハッとした。
『Caffeine』という歌を、MVを通してもう一段階、深い部分で味わえたという心地になった。
そして、もう一度歌詞をじっくり聴きながらMVを見る。
ラストが、「シンクにレモネード 零した」という歌詞で結ばれる。
素晴らしい作品だなと、改めて思った。
わたしは、『Caffeine』という歌とMVが大好きです。