松岡正剛校長なる「編集大好きおじさん」が逝去されたので、なんか書いてみる。
前回の記事の続きを書こうと思ったのだが、なんか調子が出ない。
なので通常日曜に1本アップするルーティンだったが伸ばした。
と訝しがっていたらその数日後にニュースが飛び込んだのですね。
編集大好きおじさん
松岡正剛はどんな人か。
世間からみた肩書をWikipediaからひっぱってみると
いろいろとごちゃごちゃ並べているんですが、そんな世間と無関係に珍ぬはこう呼んでおります。
編集大好きおじさん
これ以上でもこれ以下でもない。
ちなみにこの呼び方は「タングステンおじさん」をなぞっております。
もういっそ、松岡正剛やら校長やらの呼び方をやめて、今回はおじさんと呼ばせてもらいます。
まあ、おじさんには毀誉褒貶もあります。
noteにもこんな記事があってまとまっていてわかりやすい。
個人的には「ただのおじさんなんだから買い被りすぎなんだら、も〜」とぬるーく接しております。
おじさんの学校
おじさんは編集者なので、今まで培ってきた編集のあれこれがたまりにたまっている。
たまったものをこれまた編集して道具(ツール)としてつかえるようにしたあれこれを「編集工学」と呼んでいた。
で、これ誰でも使ってみたいなら伝える場を立ち上げようか、といって2000年に「ISIS編集学校」を設立する。
すごい大雑把に書いたので、正しいかどうかは知らん。
珍ぬもちょいとしたきっかけでおじさんの学校を知った。
その結果、片足は突っ込まず、肩肘突っ込んでサポーターつけてnoteでラリアートをかましまくっています。
あのね、編集なんて役に立てて使おうなんて思っとりませんわ。
おそらく学校出身者のなかで、おじさんの編集のあれこれを一番無駄使いしていると思います。
おじさんの千夜千冊1850夜
おじさんがネットで書いたもので、代表といっていいのが『千夜千冊』
本を1冊(原則な)とりあげて、その本のことやら著者のことやらおじさんのことやらそのまわりのことやら巻き込んで記事を1本一夜として仕立てる。
しかも、著者は絶対被らないルール付き。
おじさんの学校を立ち上げた時期とほぼ同じくしてはじめて、なんだかんだで予定の1000冊も超えて、重ねた夜が1850夜。
『中国人のトポス』三浦國雄
アップされたのが7月18日だが、その1ヶ月前のおじさんはこんな様子だった。
おじさんはスーパーヘビースモーカーなんで、肺とのつきあいというかどつきあいが長い。
肺についての固執を思うと1843夜の『息吹』テッド・チャン。
SF短編集だが、確かに表題作の「息吹」に対しての分量が他作品よりも多かった。
肺を瓢箪に重ねて、その瓢箪とおじさんのまわりの関係も重ねて、瓢箪を中国の「天地をひさご型にする壷」――壺中天と重ねる。
『中国人のトポス』の副題は「洞窟・風水・壺中天」です。
…………
しかしだねえ、おじさんとんでもないこと考えてますわ。
多分、1850夜は最後の夜になるのではないかと、おじさん腹くくっていると思うんです。
ところが、
「これ、はじまりだよー」と高らかに宣言してるんですわ。
しかも「縮冊」とコンパクトをうたっていながら、なぜ瓢箪なのか。
でっかく大風呂敷の大風呂敷。
積み重ねてきた1849夜も飲み込む目論見だったんだなあ、と。
本豪おじさん
おじさんは、とにかく本を読む。
刀使いの達人を剣豪とよび、大酒飲みを酒豪とよび、物書きの大家を文豪とよぶならば、浴びるような本の大食漢は本豪だ、と豪語している。
本豪おじさんに「本は何か?」と問うならば、こう答えそう。
そっと1850夜を差し出す
中国人の瓢箪宇宙とおなじく、本は「宇は実あれど処なきもの、宙は長さあれど本剽(はじめおわり)なきもの」というおじさんのトポスなのである。
締め
そんなかんじで、一気に思うまま書いてしまった。
ああどうしましょう。
推敲するのが怖いので、このままだしちゃいます。
おじさん、怒ると思うけどね。
久しぶりに東京行こうかしら。
今回はこんなかんじで。
では。