ボードゲーム論としての『遊字論』
前回、今回取り上げる内容の準備として「ルル三条」について書きました。
ということで、白川静さんの『遊字論』をもとにボードゲームについて考えてみます。
『遊字論』って?
白川静さんは、『字統』『字訓』『字通』という3つの辞書をたった1人で編纂した、漢字研究においてとんでもないことしちゃった方です。
『遊字論』は、白川さんが1978年に雑誌『遊』で連載したもので、漢字の「遊」を中軸として「あそび」について書いたエッセイです。
他の遊びに関する書籍との時間的前後を見ると、
1938年 『ホモ・ルーデンス』 ヨハン・ホイジンガ
1958年 『遊びと人間』 ロジェ・カイヨワ
1978年 『キリギリスの哲学—ゲームプレイと理想の人生』
バーナード・スーツ
1978年 『遊字論』 白川静
1984年 『The Art of Computer Game Design』
クリス・クロフォード
2005年 『ハーフリアル』 イェスパー・ユール
ということで、ホイジンガから40年後、カイヨワから20年後、スーツと同時期になります。
漢字「遊」の成り立ち
「遊」という漢字は、どのような成り立ちをしているか。『遊字論』について書かれた妄想オムライスのブログから、抜書してみると、
「遊」の字は人が旗を掲げ持って練り歩く態を表したもの、と以前テレビで言っていた気がする。そこで問題になるのは、誰が何の御旗を掲げているのかということであるが、白川静の「遊字論」に「旗は氏族の標識を示して」おり、その旗は「氏族の霊の宿るもの」であり、即ち「氏族神の表象に外ならず、旗を掲げるものはその氏族神とともにあるものである。」そして「氏族の者たちが遠く出行する際に旗を掲げて行動するのは、その氏族神とともに行動することであり、あるいは氏族神そのものの出行とも考えられる。」
「方」の部分が「旗」。「子」の部分が「氏族」。「しんにゅう」の部分が「出行」にあたります。
氏族の上にまつわる儀式から生まれた文字と言えます。
『遊字論』の冒頭を抜き出すと、
「遊ぶものは神である。神のみが、遊ぶことができた。遊は絶対の自由と、ゆたかな想像の世界である。それは神の世界に外ならない。この神の世界にかかわるとき、人もともに遊ぶことができた。神とともにというよりも、神によりてというべきかもしれない。祝祭においてのみ許される荘厳の虚偽と、秩序をこえた狂気とは、神に近づき、神とともにあることの証しであり、またその限られた場における祭祀者の特権である」「遊とは動くことである。常には動かざるものが動くときに、はじめて遊は意味的な行為となる。動かざるものは神である。」
ということで、遊ぶのは人間ではなく神様がすることなのです。で、ボードゲーム論とどう関係あるのか。これから書きます。
「遊」と「ルル三条」
「遊」の漢字の成り立ちから踏まえて連想すると、
「旗」は「ツール」
「氏族」は「ロール」
「しんにゅう」は「ルール」
に当てはまります。
こうしてみると、
「ツール」であるゲームコンポーネントを、「ロール」であるプレイヤーが、「ルール」にしたがって遊ぶのが、「ボードゲーム」
と解釈することもできます。
さらに「遊」という字について掘り下げます。実は「遊」という字には旧字がありまして、それには「しんにゅう」がありません。
本当に「ルール」どこなのでしょうか。そこで『遊字論』の冒頭を思い出しましょう。
「遊ぶものは神である。神のみが、遊ぶことができた。」
(中略)
「遊とは動くことである。常には動かざるものが動くときに、はじめて遊は意味的な行為となる。動かざるものは神である。」
動かない神が動いた、つまり、遊んだときに「ルール」が出てくるのです。
確かに「ツール」と「ロール」それぞれ独立した状態では、なにもうまれないが、その2つが組み合わさって動くと、遊びとなるのです。では、なぜ「しんにゅう」が付け加えられたのか。
遊びは一回性(即興性)の行為だから
でしょう。ぱっと思いついたが、もう一度やろうとするとなんか違う。さっきのやり方と微妙に違うからかも知れない。じゃあ、手順とか必要なものは何かにとどめておこう。
一回性(即興性)の行為を複製できる行為(いつでも動けるよう)にする
ことができるようになった。それが、「しんにゅう」に相当する「ルール」ということです。
「ルール」はコピーしないと意味がない
『遊字論』を取り上げたのは、以前に自分の書いたノート
で、ペンとサイコロさんのブログを参考資料として貼ったのですが、そのブログのタイトルが、
ルールのコピーを減らすために、ボードゲームデザイナーとしてできること
でした。なにか違和感があったのですが、「ルールのコピーを減らす」という文言が引っかかったからです。そもそも「ボードゲーム」というのは、
ルールにあることを模倣(コピー)して遊ぶ
ことなので、かなり矛盾しているタイトルなのが残念でなりませんでした。
むしろ「ボードゲームの無断複製を減らす」と書いたほうが、食い違いが少なくなるかも知れません。ペンとサイコロさんは他の記事、
にて「ルール」の相違点を書かれていましたが、結局はそのルールを実現するためのコンポーネントにも言及されていました。
ボードゲームデザイナーのモデル
最後に、『遊字論』からそれてしまうのですが「ボードゲームデザイナー」について。
ボードゲームデザイナーという概念を発明したのが、アレックス・ランドルフさんと言われています。漫画「放課後さいころ倶楽部」でもそのエピソードが取り上げられたこともあって、相当広まっています。では、
ボードゲームデザイナーという概念の基となったのは何?
となると、皆さんはどのように答えるでしょうか。
まあ、正しいかどうかは別として、自分の仮説を立てると、サム・ロイドさんやヘンリー・アーネスト・デュードニーさんなどのパズル作家で、ランドルフさんの同時代だと、「数学ゲーム」のコラムなどを執筆した
マーティン・ガードナーさん
ではないか、と考えます。ランドルフさんの最初期に作成したボードゲーム
「Pan-kai」はポリオミノを用いたものです。ポリオミノは「数学ゲーム」でも取り上げられましたので、ランドルフさんは「数学ゲーム」やガードナーさんのことをまず知っているでしょう。
ガードナーさんの書いたコラムには、誰が書いたのか著者名として自分の名前を入れます。当然といえば当然なのですが、
パズルの書籍や玩具は、制作者がわかる。あれ?ボードゲームは?
と気づいたのが、ボードゲームデザイナーの概念となるきっかけだったのかも知れません。
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