結婚の向き不向き
仕事の向き不向き、スポーツの得意不得意、食べ物の好き嫌い、
人は区分が好き。
結婚に向き不向き、得意不得意はあるのだろうか?
私は、「決めつけ」が好きではない。
それはよく言えば寛容的であり、悪く言えば優柔不断。
向き不向き、得意不得意はあっても、そう決めつけて、あきらめる必要はない。失敗しても何度でもやり直せるし、努力を積み重ねれば100点は取れなくても、70点は取れるかもしれない、といった具合だ。ポジティブなのだ。
但し、離婚を目前に過去のことをたくさん振り返る中で、「結婚に不向きな人がいるのではないか」ということに気づいた。
元ダンナのことだ。
彼は誰もが認めるほどとても優しい人で、怒ることも、不平不満を言うこともなかった。愛情深く、マイペース。人からの要望を断ることもなかった(その後、彼の積み重なった不満により離婚することになるが・・・)
彼はおそらく子供のころからそうだった。
彼は、強いリーダーシップを発揮する父親が中心にいる家庭で育った。その父親は博識で、準備周到で、家族は父親に従っていれば問題ない、という状態で成立していた。例えば、家族旅行では父親が行先、ルート、宿泊先、食事の場所、すべてを決める。家族はお父さんに任せておけば間違いないし、父親もその予定がピタっとはまって、家族が喜ぶことが何よりも嬉しいのだ。
子どもに対しての期待も高く、名門校への入学、有名企業への就職を望んだ。子どもたちは無意識ながらその期待に応えていた。
こういう過程で、子どもたちは反抗期も、反抗心もなく、大人になっていった。
元ダンナは、こういう家庭の中で横道に逸れることなく育ってきた。
反抗期もなければ、親に口答えをすることもなかった。
私は気づいた。
彼は親とも、友達ともケンカをしたことがないのだ。
ケンカをしたことがないということは、仲直りをしたことがないのだ。
彼は一人暮らしの期間も長い。
家族であっても恋人であっても、誰かと一緒にいれば、楽しいことばかりではない。そんな中で時にはぶつかり、折り合いをつけながら人間関係は進んでいくのだ。だが、一人暮らしが長い彼は、マイペースにいつも包まれていた。
私たちは夫婦になる前も、なった後もケンカをしたことがない。
私が一方的に不満を言うことはあっても、ケンカになったことがない。
彼は問題に向き合ったり、感情や意見を交わすのではなく、
問題やストレスを避けていたのだ。
それは優しい彼の性格なのではなかった。
軋轢や、混沌とした人間関係や感情の交換に耐性がなかったのだ。
そうして表に出さなかった気持ちや不満がやがて膿として折り重なり、彼は離婚の決意をしたのだ。
私たちの離婚は、不倫や暴力といったわかりやすい理由ではない。
彼の中で積み重なった様々な不満や傷、ストレスがこのような決断に終結した。
彼の生い立ちを私なりに考えると、彼は人間関係の修復の仕方を知らないゆえに相手がたとえ私ではなくてもうまくいかなかったのではないかと思う。つまり、結婚にそもそも向いていない人間なのではないか、と。
私は「決めつけ」が好きではない。
が、私たちの結婚生活を振り返る中でそんなことを感じた、という話。
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