てんてんてんの世界
作品表現が好きで・・・
いつの間にか「 芸術とは何か? 」理解しちゃってw
セミプロ・アマチュアの創る人達
この人達は評価を嫌う傾向あったりします。
「 作品表現に批評とか間違ってる 」とか。
そう言う癖に、自身の作品が好評価だと喜びます。
小説家などは
「 100回褒めても一度けなすと怒り出す。」
なんて出版社で言われたりする様です。
要するに~
甘ったれたお子ちゃま性質なのが
創作者の側面です。
尾崎豊(おざきゆたか)という歌手がいて
亡くなる直前まで、幻冬舎という出版社社長に甘えまくったそうです。
夜中に何度も電話したり、押しかけも当たり前みたいな。
芸術は2種類あり
大衆芸術と純粋芸術。
「 沢山の人に受けるで 」価値がある。
「 誰の評価も受けないが 」価値がある。
歌手や映画や演劇、プロスポーツなどは
多くの人に受け入れられる前提の
大衆芸術という性質を持ちます。
人気があれば許され、人気が落ちればハブられる。
その人気が親のコネや金で買ったものでなければ
その人の才能。
大衆芸術は人気という評価が下される、とても厳しい世界です。
ですので、結局そこで才能と努力が必要です。
「 創るに全てを捧げる 」
イチローという野球選手は、禅僧みたいと米国人に評価される。
それは野球以外を排除するストイックな側面。
尾崎豊は、創作の苦しみを抱えていたのは明白で、それは創作に対する厳しい自己評価があったのでしょう。
今はネットでスキマ時間に、ファンからの応援も届きますし、あの手この手で24時間ファンサービスに追われる創作者達。
空白のスランプが生じにくく、葛藤が生まれません。
才能を磨き鍛えるのは大変です。
他を犠牲にせざる得ない部分があります。
創作に対して厳しい分
世の中や対人関係に甘くだらしない。
「 芸の為なら女房も泣かす 」
そういう側面もありました。
さてさて
自己評価ですが。
自己評価の甘い、アマや趣味。
厳しすぎるプロや、天才という偏った存在。
芸術から一般の話に移ります。
私達人間は、必ず評価を下します。
評価しない判断は
最も低い評価とも云えます。
ここからは、その評価が合ってるか?
という問題です。
私達の充実は何か?
その一つを
「 スポッとはまる 」
だとします。
ちょうど
「 良い具合に 」
「 好い感じに 」
なれるかどうか?
不祥事を起こす芸能人は、過大評価を受け道を踏み外す。
うつ病などは、超過小評価を下して、身動きが取れなくなる。
自己評価って
とっても~不安定ですよね。
勉強してないのに、東大受験を当てはめて
合格できないと諦めるとか・・・
そもそも論が完全にズレてます。
やってもないのに
「 出来る出来ない 」を決めつけるが
今の日本人の傾向だったりします。
等身大の自分に合った採点。
自分の事は
自分が一番解ってる様で
解ってない
大学の卒論認定で、膨大な論文を読める筈がない教授が、扇風機を使って論文を吹き飛ばし、一番遠くに飛んだ順から合格。
なんて話が昔、あったりします。
現代社会でも、そういった採点が多く・・・。
せっかく良い人材も、悪い採点方法ではじかれます。
そしてまた多くの人が、その便宜さばかりマネし、他者や自身を見失ってます。
私達以外の動物は、どうしてるでしょうか?
自分を見失ってる?
一瞬で死に直結する動物たちの世界。
私は猫を飼ってるのですが
赤ちゃんの状態で拾ってきました。
まあ否応なく可愛いし面白いw
関心するのが、親に教えられた訳でもないのに、自然と毛づくろいとか、トイレで砂をかいたりします。
本能という脳?
もしくは遺伝子プログラムは、やっぱ凄いなと思います。
自分を信じられない
他人を信じられない
そういった人は、どうも本能が上手く働いていない。
特に現代では、本能を阻害する文明・文化が侵食し過ぎてる。
デザインとして、生物は様々なカタチをしています。
美しかったり、醜かったりと、私は判断します。
( 美醜の採点をドンピシャにするのが芸術 )
しかしそのカタチは
自己生命を最優先した、最も進化したカタチです。
どれも最強なのです。
私達は今、最強ですか?
確かに生物を絶滅させる力、あるかもしれません。
その採点方法、合ってる?
アナと雪の女王
「 ありの~♪ ままの~♫ 」
特にたいした言葉でなく
つまらない歌詞です。
もの凄すぎるぐらいのアホ映画でした。
中身無さ過ぎて超面白かったw
何故?
「 ありのまま 」に、大衆は惹かれたか?
何だか自分も、他人も社会も世界も、ゴチャゴチャし過ぎたせいで、元の姿を見失った危機感かもしれません。
心が弱ってる
困ってる人の為に
解りやすくまとめます。
私達は動物。
動物は難しく考えず、本能に従う。
本能は凄いエネルギーを持ってます。
エネルギーの発動は可能です。
まあ世の中では、一度飽きた筈のスピリチュアルをまた言い始めたり、次はヨガだと70年代のブームを再燃したり、相変わらず薄っぺらです。
現実に人が生き残るのは、大変で難しい。
エネルギーの発動も、簡単でありません。
しかし、どんな難しいも
実はシンプルなのが深理です。
「 そうか~、私は動物なのか~ 」
と、時々に思うだけで、大丈夫です。
それが布石になる。
私が言うのだから間違いありませんw
あなたには、来るべき瞬間が・・・
一応あります。
その瞬間を「創る」には布石を打つ。
自らが動物であり生命だと、ありのままのエネルギーと・・・
ドンピシャ!
ピタッ!とはまる採点の時。
あなたがもし、それを望むなら、布石を打っておく。