漫画家2
無職の日々は天国だった。朝強制的に目を覚ましてすぐ駅へ行って電車に乗る必要がないという点が特に。当時養わなければならない人も払わなければならない借金もなかったこともラッキーだった。だらだらしきった後に昔描いていたノート漫画の続きを描こうと思い立ち、結局昔描いていた漫画の続きではなく全然違う「天使のうた」の原型みたいな漫画を書き始めた。当時クラシック音楽が好きでのめりこんでいたのだ。漫画は一応ラストまで描き、勝手に続編とか番外篇とか描いていったが段々飽きてきた。そろそろ仕事を探すためハローワークへ行かねばならなかった。そこで当時たまに買っていた雑誌の新人賞の賞金をもらうことにした。その雑誌には昔愛読していた作家の漫画が掲載されいて、たぶんその雑誌は昔でいう耽美雑誌の漫画のみ発展したようなものだと思っていた。私のノート漫画は指揮者がゲイだったので男同士の恋愛漫画は描けると踏んだ。描ける=賞金もらえる。当時の私の漫画知識および漫画業界知識はそういう感じで、舐めてるとか甘いとかムカつくとかいう人もいるかもしれないが何かを舐めていたとしても私はまあまあそのしっぺ返しはくらってきたし、人生全般において私が愚かであることの代償はまあまあ払ってきていると思う。ので平気で今言うがその時は賞金をもらうことしか考えてなかった。認識として漫画家とか漫画を描くことを仕事にするみたいなことは私の人生とは関係のないことだった。そういうことをする人はなんか特別な人たちだった。私とは無関係の。確かに私はノート漫画をしこしこ描いていた。中高時代、間を置いて10年後の失業中にノート20冊くらい。えんぴつで。しかしその行為と一般的に漫画とか漫画家とかいう社会的な概念とはまったく別個のものであった。私がノートに描くのは自分だけのための行為だった。寝てる時に見る夢のように自分だけのもので他者と共有するようなものではなかった。私はいつかハローワークへ行って仕事を探さなければならない人間で、それだからこそ生活の便宜上一回賞金もらおうと計画した。そして堂々と投稿した。謙虚に投稿するというのは行為として不可能だし。そして私は何の疑問もなく賞金を振り込むための口座を問い合わせてくる電話を待っていた。しかし電話はなく、結果の号を見るとどこにも名前はなくいわゆる選外という状態であったが私は100%郵便事故だと思った。疑いなく。郵便事故には手も足も出ない。のでもう一回描いて投稿したところで、仕事を見つけた。努力賞という連絡が来た時は正直がっかりした。努力賞。5000円とかそんなんだったと思う。5000円て。そう思いつつ努力賞の漫画が掲載された雑誌を開いてみると酷いド素人の絵が目についた。キューティクルのない抜け毛みたいな絵。こんなん載せるなよ。そう思ったのが自分の絵だった。しかしその頃は今ほど描き手も多くなくページを埋める人材が必要だったのだと思う。何か他に描いてみる気はないかと訊かれ、私は本来もう少し上手いつもりでいたしなんだかんだいってノート漫画を描いていたのでぜひと答え自信満々にネームを描いて送った。努力賞のやつはどうかしていた。今度こそ。これが私の実力ですよ。意気揚々と描いて送ったのが「奪う男」の最後に入ってる外国もののネームだった。ネームの返事は「こういうのは誰も読まない」だった。ネームを直せとも違うのを送れとも言われず明らかに失望まるだしの素っ気なさを残し電話は切れた。