漫画家1
子供の時はラクガキが好きだった。兄の図鑑に勝手に怪獣みたいなものを全部書き込んだ。精緻に描写された怪獣ではなくアヒルっぽかった。乗り物図鑑の乗り物のすべてに私の描いたアヒルが乗っていて動物図鑑にはすべての動物に私が描いたアヒルが乗ったり横に立っていたりアヒルが動物に食べられたりしていた。小学校高学年くらいになるとお姫様的なものを描くようになった。非常によく覚えていて今も教訓として思い出すことは、私がテレビを見ながらお姫様を描いていると横で見ていた父がそのお姫様を「可愛くない。お姫様はもっと可愛く描くべき」と言った時のことで、私が腹を立てて「じゃあ可愛いお姫様描いてみてよ」と言い返すと父は物凄く困りながらのらくろじみた形状を表そうとしているらしきヨレヨレした線を描いた。それを見て私は絵は描きたい人間が描けばいいのであって文句を言われたからといって絵を描きたくない人間に向かっておまえが描けというものではないということを子供心にもなんとなく理解した。中学校になると友達同士でノートマンガを描いて交換し、高校になりお互い違う学校に通うようになってもまだしばらくは交換していた。内容は普通の少女マンガだったが書き手の興味によって支離滅裂に内容が変化していった。覚えてるが最終的に当初無口だったかっこいい不良少年がヤク中になりながらスタン・ハンセンについて8ページくらい語っていたりしたが、友達は不思議なことに次巻をよく催促してくれた。そのある意味下世話な友達の興味は今となってはわからないでもない。高校3年くらいになるとノートマンガはやめ、私は絵といえば誰かの似顔絵を黒板の隅や友達に借りたノートのお礼に描き込む程度のこととなった。マンガは兄が買ってくるものを読んでいた。一番マンガを読んでいたのは10代の頃で大学に入る頃になるとあまり読まなくなった。大学受験は失敗した。当然受かるものと思っていた第一志望を落ち、何で私がこの大学に通ってるのか?と愕然としながらその大学に通っていた。いやいやきっとそのうち愛着が、と思い直しつつ図書館に入ると机に「我々は学歴社会の落ちこぼれだ」というラクガキがあるのを発見したりした。そのうち同級生がわりと皆私と似た状況と心境であることがわかってきた。そしてゼミでいい先生に出会えた。文学部のゼミだったが聴講生として色んな学部の学生がいたのもよかった。将来の夢については小学生くらいの時たぶんテレビか何かの影響で女刑事になりたいというようなことを言ってたと思うが、大学生になるとさすがに女刑事になりたいとは思ってなかった。現実的にはそれは警察官だが、明らかにしんどそうだから。基本的にゴロゴロしてるのが大好きなのでしんどいのは嫌だった。ただ確固たる意志をもってゴロゴロできるかというとそういう孤高の人ではなく人に流されやすく皆と同じになりたい傾向があり、例えば中学の時は楽ちんそうな美術部に入りたかったが友達がバレー部に入ろうといったのでそっちに流れ、高校の時は楽ちんそうな帰宅部にするつもりだったが友達が軟式テニスに入るといったので私も、となった。その傾向は私の人生にとってラッキーだったのかアンラッキーだったのかはわからないが、私の主体性のみでは部屋でゴロゴロをすることだけで平気で一生を終えてたと思う。ただ実家にそんな余裕はなく他に養ってもらえるあてもなく血反吐を吐く思いで大学まで出してくれた親に対して「大きな会社の会社員になったよ!」という喜ばせ方をしたい幼稚な気持ちもあったので主体性的には何もせずゴロゴロしていたいという気持ちを押し殺しながら渋々と就職活動をし紆余曲折はあったが仕事にありついて無事独立した。非常にラッキーなことに私はあまり職場で嫌なことはなかった。嫌なことはあったとしてもそれは大体自分のせいだった。だいたいは皆親切で優秀で優しい人たちだった。しかし毎日働くのが嫌になってきたのでしばらく部屋でゴロゴロしたいという理由だけで平気で仕事を辞めた。あと電車が嫌いだった。電車通勤が好きな人はまずいないと思うが。当時は企業も景気良く私がいたインフラ子会社ではボーナス5ヶ月プラス謎な特別手当があったり住宅手当も充実していて貯金はたまっていき、辞めた後も平気で1年くらい無職でいられた。ただ実家に帰ると会社員である素振りはしていた。