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運命変革の法「言霊が波動を変える・悦楽の法」象気功

象気功ではこれまでに常々、恨み辛み妬み妬み嫉み憎み怒り悩みというような想念を捨てなさいと申し上げているわけである。

人間というものは両親や先祖から受け継いだDNAにより組成され、さらに、まったく意思のない生まれた直後からの環境によって脳の神経細胞ニューロンシナプスの必要のないものが縮小削除されて、本人が望む望まないにかかわらず、あなたの意思とは無関係に、いわば勝手に現在のあなたが造られているわけである。

両親や先祖がろくでもない人間で、さらにろくでもない環境で育てば、あなたは現在のろくでなしにならざるを得ないわけである。

あなたには人生を選べないのである。

その「ろくでなし」とは、恨み辛み妬み妬み嫉み憎み怒り悩み焦りというような想念で脳を支配されたあなたである。

それではこの想念を捨て去ることができるのかというと、もうこれ、まるっきり無理である。

偉そうに人の生き方などを教えている宗教家や教祖やヨガの行者でも、何かあればすぐむかっ腹を立てて、「む~っ」と刺すような嫌な怒りの波動を発するのである。

どんなに偉そうなことを言ってても、自分の怒りすら抑えることができないのである。

顔は平静を装っていても、気に沿わないことが少しでもあると、怒りの波動をこれでもかと発するのである。

気功等に習熟して、ある程度氣感ができると、このことは誰でもわかることである。

つまり、どんなに厳しい修行をした偉そうな人間でも、年がら年中、些細なことで「む~っ」と怒りの波動を発しており、これを修正するのは無理ということである。

「人間がそのようにできている」からである。

もちろん、「表情筋が波動を変える」で解説したように、表情のコントロールで少なからず緩和されるが、そのことを知らないので、顔まで怒りの表情を呈するのである。

つまり、人間というものはどうやってもこうやっても、年がら年中、恨み辛み妬み妬み嫉み憎み怒り悩みの想念を持つように、言ってみればプログラミングされているのである。

だから、象気功でそれをやめれば運気上昇間違いなしと太鼓判を押しても、誰一人としてやめられるわけがないのである。

それで、あなたは一向に運気が上がらず、さらに運気が低下して、うだうだぐだぐだしてるわけである。

つまり、やめようとしてもやめられないのであるから、それは諦めるしかないわけである。

それをなんとかするのが、象気功である。

そのなんとかするメソッドが人間の発する言葉を意味する「言霊」である。

しかし、言霊と書いて「コトタマ」と読む場合と、「ことだま」と読む場合では意味合いが異なるのである。

ややこしいので、以降、「コトタマ」と読む場合はカタカナ表記で、「ことだま」と読む場合はひらがな表記とするのである。

「コトタマ」と読む場合は、真言やマントラや祝詞のように意味不明のものでも、その音の組み合わせが脳に作用して氣道のバランスを変えて、運気運命に作用するということである。

象気功独壇場のメソッドである。

つまり、言霊と書いて「コトタマ」と読む場合は、言葉の意味はどうでもいいのである。

たとえばマントラは、音の周波数を組み合わせて脳とチャクラに送る、ある意味信号みたいなもんである。

マントラや真言や祝詞は、古代の氣・波動に敏感であった人たちが、氣道に影響のある音を組み合わせて作ったものであるからである。

ところが、言霊と書いて「ことだま」と読む場合は違ってくるのである。

その「言葉の意味」が重要な要素になり、主に左脳にある言語中枢に作用して氣道のバランスを変えて、運気運命を変えるのである。

主に左脳というのは、左利き右利きの違いやそのほかの理由でそうではない人もおられるからである。

それはともかく、言葉の意味が精神状態に影響を与えることを意味する、一般的に言う「言霊(ことだま)」であるわけである。

まことにややこしいが、つまり、本章で言霊という場合は注釈がない限り、言葉の意味を中心とした「ことだま」と読むわけである。

その第一が「悦楽の法」である。

「悦楽」とは仏教用語では「現世の欲求を超越したところに得られる精神の安慰満足、大歓喜」ということであり、つまりは「喜び楽しむこと」である。

さて、言霊で運気運命を変える方法はいかなるものか、なぜ言霊で運気運命が変わるのか、「悦楽の法」とはいかなるものかという、人生に大きな影響を及ぼす言霊の作用と方法を、言霊コーディネーターの象師匠が言霊を全力で奏上して解説するのである。


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最後までお読みいただきありがとうございます。象気功は私の実体験によるメソッドです。私の運命が変わったように、あなたの運命は必ず良い方向に変わります。