氣をつかむ「神氣の通り道」図解入り・象気功
一般的に気功師だけが氣を出して気功治療等をするように思われるが、気功の経験がないものでも、「氣」を出すということはできるのである。
自分の身体を、神とこの世をつなぐ連絡口、あるいは「神の氣」を通す「管」あるいは「チューブ」あるいは「媒体」あるいは「神の社(やしろ)」であるという意識を持てば、「氣」を出すことはできるのである。
自分の氣を出そうと思うと、気功の経験がないものや、「氣」がわからないものにはなかなか困難なことである。
「氣」はいったいどこから出るのか、どこから出すのか、どんな状態が出ている状態なのか、どこをどうしていいのか、何がなんだかわからないのであるから、出しようもないわけである。
しかし、これが、自分の身体が神の国からの「神の氣」をこの世に送り出す媒体としての管(くだ)であるという意識があれば、神が体内に宿り、それが即ち「神の社(やしろ)」であり、氣道は開き、それは意識により外にも内にも怒涛の「神氣」の波動が溢れ(あふれ)出すことになるのである。
あなたの体が神のエネルギーの放出口となるのである。
本人にはわからなくても、氣は身体から溢れ出ているのである
あなたの背後に神がいて、あるいは神の社(やしろ)があり、そのエネルギーである氣があなたを通して放出されるのである。
あなたの体が神のエネルギーの通り道あるいは媒体あるいは管ということである。
これが「神氣の通り道」ということである。
もちろん、それはイメージであり想念で行われることである。
右脳の活性化と左脳の一時停止状態をともなうことで、氣の壁を薄くして意識による氣の出入りを自由にするのである。
あなたの体は神の社(やしろ)となり、背後の神の氣を放出する氣の出口となるのである。
自分の氣を放出するのではなく、あくまであなたの体を通して背後の神のエネルギーである氣を放出する出口となるのである。
あなたの体は神の国と現世をつなぐ管であり通り道となるのである。
さて、神氣とは何か?通り道とは何か?神の社(やしろ)とは何か?ということを、無謀なマントラ読誦による全身のチャクラ暴発で神と同居する天才霊能気功師象師匠が神氣の世界を限りなく科学的に詳細に分かりやすく解説するのである。
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氣をつかむ「神氣の通り道」
たとえば気功や呼吸法やヨガなどの氣のカリキュラムに習熟して氣を出すことが分かっても、「自分の氣を出す」という場合は限りがある。
氣を放出し続ければ体内の氣の本体が小さくなって枯渇するのである。
ややこしい話であるが、体外に発する氣は、体内に集積した氣の本体から出る電磁波あるいは放射線のたぐいの波動である。
電磁波や放射線とちがうのはその場にガスのように滞留するということである。
その滞留した波動を意識で放出するのが「氣を出す」ということである。
本体である氣の集積をたとえると、水で言えば溜まっている液体である水を気体にして放出するので、本体の液体である氣が枯渇すれば氣は出なくなるのである。
分かりにくいたとえであると思うが、もちろん氣は水とは違うので、気体になるわけではないが、波動の凝縮したものから溶解して気体状の波動となり、放出されるのである。
気体状の波動というのはおかしな表現であるが、そうとしか言いようもないのである。
ものが科学で検証も証明もできない氣であるので、感覚で捉えることしかできないのである。
ガソリンが氣化して放出されるということに近いが、電磁波のたぐいの波動であるので、たとえば体から発するオーラが見える人には見えるのが、そのような波動の放出であるわけである。
波動であるので、誰かの氣の放出を受けると遠赤外線を受けることに近いが、もちろん氣は遠赤外線ではないし、放射線でもないのである。
あなたが神の社(やしろ)となって神氣の通り道として放出する氣は、そのようにこの世に充満してこの世を生成している物質である氣を、身体を通して意識により後ろから前へ通過させているということであるから、氣の枯渇は無いのである。
言い方を変えると、背中に氣の送風機を背負って、意識というスイッチを入れると、その送風機が勝手に氣を吹き出すという感じである。
神の氣があなたを通り道として無限に氣は放出され、それにともない、氣の通過を受けるあなたの氣道は開き、全身の細胞は活性化し、ミトコンドリアは豊かにエネルギーを生み出すのである。
細胞は生き生きとよみがえり、ミトコンドリアがエネルギーを生み出し、それは神の氣に加えて放出されるのである。
神の氣が全身を通過して、氣で身体を洗うがごとしであるので、体の邪気が抜けて氣道の状態も細胞も徐々に浄化される効果もある。
もちろん「やらないよりはマシ」という条件付きであるが、とにかくやらないよりは身体が浄化され、全身に張り巡らされた氣道が細部まで開き、それにともない毛細血管がくまなく開き、細胞に栄養と酸素が送られ、再生と修復が滞りなく行われるのである。
細胞がよみがえり、体調がよい方向に向かえば必然的に運気は改善され、運命は良い方向に向かうのである。
この「神氣の通り道」による氣の放出を経験上で理解した一部の治療師や導師や教祖が、「奇跡」という名のご商売にせいを出したりするわけであるが、自分で「神氣の通り道」を行ったとき以上の効果もないので、法外な治療費やお布施は無駄である。
古来より「気の持ちよう」ということで、プラシーボ効果もないではなかろうから、それなりの効果はあるが、高額な代価に相応しいかどうかは言うまでもないことである。
だから、「どんな病気も治る」なんて言い張る治療師、教祖、グル、センセイ等に出くわしたら、とりあえず眉に唾つけて、べとべとにしてから、できれば退散した方が無難である。
だから、氣の放出が大きくて奇跡に思える導師やグルや教祖なども、この方法を習得したに過ぎず、手かざしなどでその手の詐欺師に氣を当てられると驚いて心酔してしまう人も多々おられるが、誰でもできることで、神の化身でもなんでもないということを理解して、どんなに偉大に見えても、法外なお布施なんぞを払うのは愚の骨頂である。
まあ、たとえば自分の家族や自分自身が病気であれば、怪しい氣の治療や祈祷、お祓い、呪術、占術、くだらない御託宣等に頼るのではなく、当たり前であるが、専門医の診断、治療を受け、その専門医の指示に従い、それから、自然治癒力強化ということで自分で自分自身を「神氣の通り道」とし、「神の社」とすることである。
象気功は医者が第一で、それから「神氣の通り道」である。
自らの体を神の社(やしろ)として「神氣の通り道」を実践して、氣で細胞を洗い清めて潤し、氣道を開き、毛細血管を開き、全身30数兆個の細胞にくまなく栄養と酸素をいきわたらせて、細胞と修復を行い、免疫力を向上し、自然治癒力を回復し、健康状態を改善するのである。
「神の通り道」を日々実践すると、汚れた氣が神氣により洗われ排出されることにより氣道の閉塞が改善されて氣の流れが良くなることにより、運気・運命が良い方向に向かうのである。
それにはまず右脳優位な状態をつくり、左脳を一時停止の状態にして、宇宙と自らの体を一体化させることが肝要である。
つまり宇宙と一体化の想念を持つことで、氣の壁が薄くなり、体の氣の出入りが自由になるのである。
その上で、あなたの体が神の社(やしろ)となり、氣の出入りが自由になった体に神氣を通すことで細胞を洗い、細胞の汚れを落とし、邪気を落とし、氣道を最善の状態に近づけるのである。
氣道が最善の状態になれば、それにともない血管や臓器・内臓の状態は改善され、必然的に健康状態が向上するわけである。
体調が良くなれば脳機能は現在持っているものを全力で発揮できる準備が整うので、正しい判断力で人生の困難を解決することとなるのである。
最後にご注意として申し上げるが、「神氣の通り道」で氣が出せるようになっても、やたらと他人に当てたり、治療をしようと思うことは禁忌である。
神氣とはいっても、体を通すことで本人の波動となり、本人の汚れた氣や邪気も混じるので、相手に良いことは何もないのである。
自らの氣道を洗い清めるということを念頭に修していただきたい。
氣をつかむ「神氣の通り道」 完
自分の身体を、神とこの世をつなぐ連絡口、あるいは「神の氣」を通す「管」あるいは「チューブ」あるいは「媒体」あるいは「神の社(やしろ)」であるという意識を持てば、「氣」を出すことはできるのである。
自分の氣を出そうと思うと、気功の経験がないものや、「氣」がわからないものにはなかなか困難なことである。
「氣」はいったいどこから出るのか、どこから出すのか、どんな状態が出ている状態なのか、どこをどうしていいのか、何がなんだかわからないのであるから、出しようもないわけである。
しかし、これが、自分の身体が神の国からの「神の氣」をこの世に送り出す媒体としての管(くだ)であるという意識があれば、神が体内に宿り、それが即ち「神の社(やしろ)」であり、氣道は開き、それは意識により外にも内にも怒涛の「神氣」の波動が溢れ(あふれ)出すことになるのである。
あなたの体が神のエネルギーの放出口となるのである。
本人にはわからなくても、氣は身体から溢れ出ているのである
あなたの背後に神がいて、あるいは神の社(やしろ)があり、そのエネルギーである氣があなたを通して放出されるのである。
あなたの体が神のエネルギーの通り道あるいは媒体あるいは管ということである。
これが「神氣の通り道」ということである。
もちろん、それはイメージであり想念で行われることである。
右脳の活性化と左脳の一時停止状態をともなうことで、氣の壁を薄くして意識による氣の出入りを自由にするのである。
あなたの体は神の社(やしろ)となり、背後の神の氣を放出する氣の出口となるのである。
自分の氣を放出するのではなく、あくまであなたの体を通して背後の神のエネルギーである氣を放出する出口となるのである。
あなたの体は神の国と現世をつなぐ管であり通り道となるのである。
さて、神氣とは何か?通り道とは何か?神の社(やしろ)とは何か?ということを、無謀なマントラ読誦による全身のチャクラ暴発で神と同居する天才霊能気功師象師匠が神氣の世界を限りなく科学的に詳細に分かりやすく解説するのである。
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氣をつかむ「神氣の通り道」
たとえば気功や呼吸法やヨガなどの氣のカリキュラムに習熟して氣を出すことが分かっても、「自分の氣を出す」という場合は限りがある。
氣を放出し続ければ体内の氣の本体が小さくなって枯渇するのである。
ややこしい話であるが、体外に発する氣は、体内に集積した氣の本体から出る電磁波あるいは放射線のたぐいの波動である。
電磁波や放射線とちがうのはその場にガスのように滞留するということである。
その滞留した波動を意識で放出するのが「氣を出す」ということである。
本体である氣の集積をたとえると、水で言えば溜まっている液体である水を気体にして放出するので、本体の液体である氣が枯渇すれば氣は出なくなるのである。
分かりにくいたとえであると思うが、もちろん氣は水とは違うので、気体になるわけではないが、波動の凝縮したものから溶解して気体状の波動となり、放出されるのである。
気体状の波動というのはおかしな表現であるが、そうとしか言いようもないのである。
ものが科学で検証も証明もできない氣であるので、感覚で捉えることしかできないのである。
ガソリンが氣化して放出されるということに近いが、電磁波のたぐいの波動であるので、たとえば体から発するオーラが見える人には見えるのが、そのような波動の放出であるわけである。
波動であるので、誰かの氣の放出を受けると遠赤外線を受けることに近いが、もちろん氣は遠赤外線ではないし、放射線でもないのである。
あなたが神の社(やしろ)となって神氣の通り道として放出する氣は、そのようにこの世に充満してこの世を生成している物質である氣を、身体を通して意識により後ろから前へ通過させているということであるから、氣の枯渇は無いのである。
言い方を変えると、背中に氣の送風機を背負って、意識というスイッチを入れると、その送風機が勝手に氣を吹き出すという感じである。
神の氣があなたを通り道として無限に氣は放出され、それにともない、氣の通過を受けるあなたの氣道は開き、全身の細胞は活性化し、ミトコンドリアは豊かにエネルギーを生み出すのである。
細胞は生き生きとよみがえり、ミトコンドリアがエネルギーを生み出し、それは神の氣に加えて放出されるのである。
神の氣が全身を通過して、氣で身体を洗うがごとしであるので、体の邪気が抜けて氣道の状態も細胞も徐々に浄化される効果もある。
もちろん「やらないよりはマシ」という条件付きであるが、とにかくやらないよりは身体が浄化され、全身に張り巡らされた氣道が細部まで開き、それにともない毛細血管がくまなく開き、細胞に栄養と酸素が送られ、再生と修復が滞りなく行われるのである。
細胞がよみがえり、体調がよい方向に向かえば必然的に運気は改善され、運命は良い方向に向かうのである。
この「神氣の通り道」による氣の放出を経験上で理解した一部の治療師や導師や教祖が、「奇跡」という名のご商売にせいを出したりするわけであるが、自分で「神氣の通り道」を行ったとき以上の効果もないので、法外な治療費やお布施は無駄である。
古来より「気の持ちよう」ということで、プラシーボ効果もないではなかろうから、それなりの効果はあるが、高額な代価に相応しいかどうかは言うまでもないことである。
だから、「どんな病気も治る」なんて言い張る治療師、教祖、グル、センセイ等に出くわしたら、とりあえず眉に唾つけて、べとべとにしてから、できれば退散した方が無難である。
だから、氣の放出が大きくて奇跡に思える導師やグルや教祖なども、この方法を習得したに過ぎず、手かざしなどでその手の詐欺師に氣を当てられると驚いて心酔してしまう人も多々おられるが、誰でもできることで、神の化身でもなんでもないということを理解して、どんなに偉大に見えても、法外なお布施なんぞを払うのは愚の骨頂である。
まあ、たとえば自分の家族や自分自身が病気であれば、怪しい氣の治療や祈祷、お祓い、呪術、占術、くだらない御託宣等に頼るのではなく、当たり前であるが、専門医の診断、治療を受け、その専門医の指示に従い、それから、自然治癒力強化ということで自分で自分自身を「神氣の通り道」とし、「神の社」とすることである。
象気功は医者が第一で、それから「神氣の通り道」である。
自らの体を神の社(やしろ)として「神氣の通り道」を実践して、氣で細胞を洗い清めて潤し、氣道を開き、毛細血管を開き、全身30数兆個の細胞にくまなく栄養と酸素をいきわたらせて、細胞と修復を行い、免疫力を向上し、自然治癒力を回復し、健康状態を改善するのである。
「神の通り道」を日々実践すると、汚れた氣が神氣により洗われ排出されることにより氣道の閉塞が改善されて氣の流れが良くなることにより、運気・運命が良い方向に向かうのである。
それにはまず右脳優位な状態をつくり、左脳を一時停止の状態にして、宇宙と自らの体を一体化させることが肝要である。
つまり宇宙と一体化の想念を持つことで、氣の壁が薄くなり、体の氣の出入りが自由になるのである。
その上で、あなたの体が神の社(やしろ)となり、氣の出入りが自由になった体に神氣を通すことで細胞を洗い、細胞の汚れを落とし、邪気を落とし、氣道を最善の状態に近づけるのである。
氣道が最善の状態になれば、それにともない血管や臓器・内臓の状態は改善され、必然的に健康状態が向上するわけである。
体調が良くなれば脳機能は現在持っているものを全力で発揮できる準備が整うので、正しい判断力で人生の困難を解決することとなるのである。
最後にご注意として申し上げるが、「神氣の通り道」で氣が出せるようになっても、やたらと他人に当てたり、治療をしようと思うことは禁忌である。
神氣とはいっても、体を通すことで本人の波動となり、本人の汚れた氣や邪気も混じるので、相手に良いことは何もないのである。
自らの氣道を洗い清めるということを念頭に修していただきたい。
氣をつかむ「神氣の通り道」 完
一般的に気功師だけが氣を出して気功治療等をするように思われるが、気功の経験がないものでも、「氣」を出すということはできるのである。
自分の身体を、神とこの世をつなぐ連絡口、あるいは「神の氣」を通す「管」あるいは「チューブ」あるいは「媒体」あるいは「神の社(やしろ)」であるという意識を持てば、「氣」を出すことはできるのである。
自分の氣を出そうと思うと、気功の経験がないものや、「氣」がわからないものにはなかなか困難なことである。
「氣」はいったいどこから出るのか、どこから出すのか、どんな状態が出ている状態なのか、どこをどうしていいのか、何がなんだかわからないのであるから、出しようもないわけである。
しかし、これが、自分の身体が神の国からの「神の氣」をこの世に送り出す媒体としての管(くだ)であるという意識があれば、神が体内に宿り、それが即ち「神の社(やしろ)」であり、氣道は開き、それは意識により外にも内にも怒涛の「神氣」の波動が溢れ(あふれ)出すことになるのである。
あなたの体が神のエネルギーの放出口となるのである。
本人にはわからなくても、氣は身体から溢れ出ているのである
あなたの背後に神がいて、あるいは神の社(やしろ)があり、そのエネルギーである氣があなたを通して放出されるのである。
あなたの体が神のエネルギーの通り道あるいは媒体あるいは管ということである。
これが「神氣の通り道」ということである。
もちろん、それはイメージであり想念で行われることである。
右脳の活性化と左脳の一時停止状態をともなうことで、氣の壁を薄くして意識による氣の出入りを自由にするのである。
あなたの体は神の社(やしろ)となり、背後の神の氣を放出する氣の出口となるのである。
自分の氣を放出するのではなく、あくまであなたの体を通して背後の神のエネルギーである氣を放出する出口となるのである。
あなたの体は神の国と現世をつなぐ管であり通り道となるのである。
さて、神氣とは何か?通り道とは何か?神の社(やしろ)とは何か?ということを、無謀なマントラ読誦による全身のチャクラ暴発で神と同居する天才霊能気功師象師匠が神氣の世界を限りなく科学的に詳細に分かりやすく解説するのである。
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最後までお読みいただきありがとうございます。象気功は私の実体験によるメソッドです。私の運命が変わったように、あなたの運命は必ず良い方向に変わります。